好きな格好をするための覚悟

最近息子が善逸のように金髪にしたいと言い出しました。

それなら休校中にやってみたらよかったねーと少し話を逸らして、また長期休みがあればやってみよっかと話しました。

まぁこれは単に思いつきの発言だろうなと思いましたが、もし本気でそうしたいと言ったら何て言おうかなとちょっと考えました。

わたしの目から見たら、息子はまだそれは早いかなと思います。別に学校が禁止していないなら金髪でもパーマでもピアスでもいいと思いますが、それには相応のリスクというものもあるわけで、それを息子はまだ消化できないだろうと思ったのです。


思い返すとわたしのは中学の時から身だしなみについての校則が理解できず、それを破る事で反発をしていました。

いや、当時はただただ反発したかったから校則を破ったところもありますが。

靴下はワンポイントで、ワンポイントの大きさは何センチ以内。丈は足首で色は白で、と随分細かく決まっていました。そんなの探すのも大変だし、指定にしたらいいのにと母もよく零していました。

スカートは膝下で髪のゴムの色は黒。まぁよくある感じですね。

わたしはみんなと同じというのがすごく嫌いだったんです。おしゃれをしたいし、可愛いものを身につけたいという年頃もあり、とにかく校則が大嫌いでした。

勉強をちゃんとやって、ピアノもやって、部活も頑張って、素行も別に悪くなかったのです。校則を破ると不良だとかそういう目で見られるので、そう思われないだけの事をしてから校則を破っていました。

それはわたしの中でのルールでもありました。やる事をやりなさいという大人への武器です。


高校は私服の学校でした。基本的に最低限の校則しかありませんでした。校則は、過去にそういう事があったから禁止になるわけで、そういう事がない限り規則を作る必要もありません。

生徒が一定の常識を持ち、学生としてすべき事をしていれば金髪だろうが何だろうが自由だという事です。

先生達がそうやって生徒を信じている事も、とても嬉しかったのです。

着たい服を着るとかしたい髪型をするという事は当時のわたしにとってはすごく当たり前の事で、着たい服が着れない事が謎でもありました。

スポーツ少年が、好きなスポーツウェアを着てスポーツ刈りをする事と、ファッションが好きだから華美な格好をする事の違いがわからなかったのです。


その後わたしは音大のピアノ科に入りました。相変わらず奇抜な格好を好み、髪もオレンジやピンクや緑など、気分で変えていました。コンサートでみんなは長い黒いスカートを履いていましたが、別に決まりは無かったのでわたしは当時好きだったヒスのワンピースでした。

ただ、ピアノは学年で1番か2番をキープするようには毎日努力していました。だから別に服装の事でとやかく言われてもなんとも無かったのです。学ぶ事が学生の本分である以上それはクリアしていました。

それはわたしが好きな事をする上で学んだ事でした。自由を得るには相応の努力が必要です。当時は好きな格好をする事がわたしには重要でしたが、他の人からしたら取るに足らない事でしょう。現に今のわたしは服は機能性重視で奇抜な格好はしたくないです。ただ、何かを主張するためには相応の努力は必要という考えは変わらずにあります。

あんな格好して、とか見た目で判断するというのはいつの時代もあまり変わらないと思います。最低限の社会のルールを守ればファッションは自由でいいと思います。ただ、それだけだと損をすることの方が多いのも事実です。


当時よりは少しは寛容になった世の中ですが、やっぱり見た目が与えるイメージというものはあります。もしまた息子が善逸みたいにしたいといったら、まずは髪を染めるリスクを伝え、その上で自分の武器を手に入れてからにしようねと話そうと思います。善逸だって雷に打たれて死にそうになりながら金髪になってますからね笑。

まぁ、ちょっと目を離すとどこにでもサンダルで出かけ、秋でも半袖を着ようとする息子は、身だしなみとかTPOを身につけることの方が先のようです。



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