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不死身の花

先日息子の今年の調べ学習の記事を書きましたが、そこで紹介させてもらった未来年表というサイトにこんな記事がありました。

2050年
先進国(平均寿命が80歳以上の国)の平均寿命が120歳になる

類型 : 予測
出典 : ロシアの声/VOR
資料 : ロシア下院科学ハイテク技術委員会ワレリー・チェルシネフ委員長の予測

医学の進歩、健康志向、iPS細胞の研究や、いろいろな方の努力でそういう未来が遠くはないんだと知り、すごい事だね、と息子と話していました。

息子は「そしたらママが死なないでずっと生きてられるね」と嬉しそうでした。

「ずっとかぁ。そうだなぁ、長生きはしたいなぁ」

その後に続く、だけど永遠の命はいいかな、という言葉は息子の前では飲み込みました。

元気な身体で長生きできたらと願う人は多いと思います。

わたしだって、自分だけの都合で言えば息子が成人し、いつか所帯を持つまでは元気でいたいなと思っています。

それは当然寿命があるものとして生きているからこその願いです。

不老不死というのは、漫画の世界や物語の中でもいつも人々の憧れだったように思います。

火の鳥でも人々は不老不死になれる火の鳥の血を求めます。ドラゴンボールでもベジータが不老不死を願っていました。この人を倒さなければ未来の地球が危ないとかいうような場合、そのために不老不死を望むというような場面も未来はあるかも知れません。

でも今現在、わたしは永遠を望んではいません。『若返り』というなら飛びつきますが。

未来は不老不死が当たり前かも知れません。そうなったらそうなったで生き甲斐もあるかも知れません。今を生きるわたしには全く想像のつかない世界です。

わたしが大好きな歌にTHE HIGH-LOWSの不死身の花という曲があります。

その曲を聴くと、いつも何とも言えない切なさを感じるのです。

その曲の中にこんな歌詞があります。

愛されないのは生き続けるから
愛されないのは枯れないから
永遠にずっと変わらないなんて
燃えないゴミと一緒じゃないか
さよならが寂しくないなら
手放す時ためらわないなら
会わない方が すれ違うほうが
手に入れてしまわないほうが

甲本ヒロトという人は、『永遠』なんて不確かなものをどうこう考えるよりも、ただひたすらに『今』を生きているように思います。

桜を見て毎年毎年飽きずに感動する事、秋を迎える時なんとなく寂しい気持ちになる事、儚さに心が揺れる事。未来はわからないからこそ、今を大切に生きる事。

そういう人間ぽさまでも無くなってしまうとしたら、それは自分には必要なのかなと思ってしまったのです。

話はとっ散らかってしまいましたが、不老不死というのは不確かな未来の話です。

ひとまずわたしは将来の為にコツコツと運動をし、野菜を食べ、他愛もない日常を楽しみ、今しかない日々を全力で過ごそうと思います。

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