飛び降り自殺しようとしても止まる足


皆さんnoteでなんて調べてここにたどり着いたんでしょうか?

見に来てくださった方々ありがとうございます。



いきなりこの記事見に来てくれた方に、いきなりぶっとんだ質問するんですけど

自殺しようって思ったことってありますか?

結論から言うと、私は何度もあります。


なんで過去死にたくなったかと言うと

小学生の頃のいじめ
母親の借金抱えてまでするギャンブル力
鬱病になった父に振り回される毎日で私自身も精神崩壊
世の中の意味分からない『安定』という『嘘の安定』
謎の宗教団体に勧誘されて入った結果プチ洗脳

もう、完全に  にやられまくっていました。

なんだろう、もう生きながら殺されている感覚?今でも覚えているのは小学3年生の頃に上履きの中に学校で飼育していたサケの稚魚の卵(ようはイクラです)がめっちゃ入っていた時はなんだか許せなかったです。

あれをもし踏んでいたらあいつサケ殺したって言われますからね。今考えたら小3で生き物殺すとこでしたし、

とりあえず水槽の中から水をすくって、靴で汚れた卵をなんとかなんとか破れないよう洗ってそっと水槽に戻しました。

今考えたら、あれ絶対どうやってももう死んでいたと思うんですけどね。


小学3年の時に、たしか母親のギャンブル借金と不倫が発覚したんですよね。まじでさ、30そこらの歳のババアがなにやってんだって子供ながらにおもいましたよ。

んでまあ、離婚したキッカケでイジメに合いました。それだけで、親の都合だけなのに何故こっちが被害食らうんだよと思いましたけど。

そのイジメのレベルも、今はネットを使ったイジメが多かったりすると聞きますが、私の場合は犯人だれかわからないパターンの陰湿なイジメでした。

まぁこれ、結局唯一の友達と思ってた子が主犯でほぼクラス全員が犯人だった話はまたいつかどこかでさせてくださいね。笑

9歳にして、私は死ぬことを考えました。

私が最初に自殺を考えたのは首を吊ることでした。夏休み、親が仕事中、使っていない携帯の充電器で首を吊る事。

まあ上手くいくわけないんですよね、充電器壊れただけでしたし、

なによりも、苦しすぎて、恐ろしくて。

でも毎日毎日死ぬことばっかり考えていました。ぶっちゃけ言うと、22歳なってからしばらくも考えていました。

そしてイジメにあっている最中に、途中父親に新たな嫁ができましたが、まぁその女も飛んでもないカスビッチ女だったんで別れたんですよ。

その後、親が鬱病になりました。親も同じ状態だったんだなと今思えば思います。

でもその間、自分のいじめはずーっとずーっと続くし。

朝起きれば片親の鬱状態を支え、学校行っていじめられて、帰宅すれば荒れた親のサポートをして、夜寝る前には自殺行為をして、学校に行く準備をしても全く眠れず1日3時間寝れるなんてまだいい方みたいな毎日。


なにこれ、生き地獄じゃねえかって毎日思ってました。リスカも当たり前ですし、相談しようと思っても親は鬱。頼れる身内も全くいない。当たるところがなかったので、腹が立ち、叫びたい気持ちを抑えて自分で自分を殴っては痛みで耐えてました。


今考えたらまじで狂ってる。でもそんだけ辛すぎた。


ぶっちゃけこんな辛い毎日をこれから先も送るくらいなら、その辺歩いている人殴って、警察に捕まって、少年院暮らしでもしようかなんてことも考えていました。


でもこれよりひどい思いをした方って、世の中もっとたくさんいるだろう。いじめなんて耐えればいい。それしかない。と親にはもちろん、身内にはこのこと言いませんでした。でもそれに全く気付かない身内もどんなんだよって当時思ってましたけど。



でもある日、ほんとにどうってない事で自分の中でなにかがぶっ壊れました。親が夜中、自分の名前をめちゃめちゃ叫んでいた時です。


当時、精神科に行くことを辞めた父親は酒に走りました。本人は覚えていないようですが、何度も私の発言を反抗していると解釈し、暴言を浴びせられる毎日を送っていました。そこに+学校でもイジメも当たり前にあるような状態。


私はその時、いつものように自分の足に痣ができるまで殴り、いつものように手首を切りまくっていました。そんな時に何回も何回も名前を叫ばれて。


あぁ、もう無理だ。本当にだめだ。と。


リビングで叫ぶ父親の元へ行き、『そんなに呼ぶな。こっちももう生きることにつかれている。叫ぶな。話しかけるな。』と。


多分このことはもう父親、覚えていないと思います。


その後、外に出て行ってとにかくとにかくもう死んでやろう。もう死ぬことに恐怖なんてない。もうどうでもいい。死んでも誰も悲しまない。とめっちゃくちゃな状態で歩き回りました。秋でもう上着着ないと寒いのに、サンダルでパジャマで。


住んでいたマンション街は、当時鍵が共通で3か所のマンションだったらどこの棟でも行けたので、唯一屋上の扉が開いている棟を知っていた私は、屋上までいって、普通に飛び降りをするつもりでした。


もうどうでもいい。どうでもいいと思いながら柵を乗り上げて。もうあと1歩だせば、すぐ死ねる位置にまで来たのに、



来たのに。目つぶって落ちるだけで、もう生きることなんて終わるのに。



情けないことに、全く死ねない。


そう。ここでも死ぬ前の恐怖に合いました。


情けなさ過ぎた。そこで声だして泣いた。


しかも上着も着てなくて、当たり前に寒すぎたからありえないくらいの鼻水もすごくでた。水分抜けて死ぬかと思った。


目をパンパンに張らしながら、涙を拭き、静かに家に戻ったら

酒に酔った父親が廊下でぶっ倒れていた。いつもなら、声かけて、寝る部屋まで運んでたんだけど。


もうその日はどうでもよかった。あの時からもうどうでもいい。と思ってしまった。


翌日も普通に学校。学校に行った結果、先生から呼び出し。


当たり前に目の腫れなんてひかず、むしろめっちゃパンパンだし

あぁ、昨日死のうとしたことでもばれたか。と思った。


でも昨日死にきれなかった分、その日は休憩中に学校の屋上から飛ぶこと考えていたから、ぶっちゃけどうでもよかった。


でもそこで『全部何あったか、話しなさい』


と担任に言われた。言われてまた泣いた。


まぁ結局、担任にはすべてを話した。リスカしまくってる腕も足も見せたらため息よりももっと重い息を吐いたあとに


『もう耐えるな。好きなことして。何かあったらすぐに先生には言って。』と、もうこの人にしか全て話せんなと確信した。



ちなみにこの担任の先生とは、現在連絡が途絶えてしまって、結構後悔しています。私の人生救ってくれた最高の恩師なので。



その後、いじめ発覚して内密に内密にいじめてきた主犯が分かり(友達だったはずの人とクラスの生徒ほぼ全員)徐々にいじめは落ち着き、自分の好きなことを見つけてみて、と担任の勧めから部活に入ったりもした。でも、その頃も変わらずに常に死にたい感情は変わらなかった。


ビルを見れば『あこから落ちたらすぐに死ねるな』とか、走ってる電車を見て喜ぶ男の子をよそに私は『今ここで飛び出したら痛くても逝けるんだろうな』とか、



自分でも、あぁやばいわ、と思ったし、今思えばこんな失礼な事はないのですが


おおばあちゃんが亡くなった時、


ぶっちゃけ、いいなぁ。私と変わってよ。と思ってしまった時。


そのくらい心は荒んでしまっていたし、明るく振舞えるようになっても、学校では全然息苦しさは抜けず、家に帰れば酒を飲んで、いつ暴れだすかわからない親の顔を見るだけで、自分が死ねば親も鬱病以外の育児で、苦労しないで楽になれると思うようにもなった。


話はとんで社会人になった。



会社に就職するようになっても、親の病気は落ち着いた(ぶっちゃけ何年も精神科に通ってないくせに何が分かるんだ。と思うが)様子らしかったが、酒の量が増え、廊下に倒れる姿や物にぶつかって、落ち込んで、過去の事思いだして語る口調にだるさを感じてしまい、全く死にたい気持ちは変わらないまま、20代上がってもずっと引きずっていました。


でも今23歳の私ですが、少しずつですが、死んでやろうという感情を抑えられつつあります。



なんでかっていうと、自殺した時に、別の人に迷惑かかるってことが、この年になって分かったからです。


自殺をしたとき、した瞬間は自分は楽かもしれないが

残って生きている身内は金銭的にも、精神的にも参ってしまい

ある意味死に早く近づく連鎖が続くかもしれない。と思ったから。


そこまで迷惑かけてまで...自分死ぬことあるか...?

確かに人のせいで、辛いことのほうが多くて、初めて死ぬキッカケも人のせいが多かった。

でも、自分が自殺した時に苦労して。なんでそんなに苦労をしているんだと聞かれたときどうなる?


苦しませてきた人たちはきっと死んだ私のせいに多少はするだろうと思った。


なんか、そういう負の連鎖ってよくないなと思ったから。単純にそんな理由で私は自殺はやめよう。好きなように生きて、自分の生きやすい環境で生きて、静かに死んでやろう。と思いました。

死ぬくらいなら、生きている中で自分の価値を見つけてみようとも思いました。

9歳の頃からはじめたリスカや自分を殴ることは今はおさえていますが、

今は抜毛症と日々戦っています。

抜毛症は、自分の体毛を抜く事で、ストレスが軽くなるような感覚になってしまうものです。よくないことです。

私の場合、髪の毛とまつ毛、眉毛をブチブチと抜いてしまいます。毛を抜きすぎて、血がでた時点でやっとやめようと思うんです。

頭皮が剥げているので、美容師をしている知り合いにも『AOの髪の毛、キレイに切ってあげるしいつでも連絡してな~』と言われるんですが、抜毛症の事が言い出せずにいます。なので髪の毛は自分で切っています。



抜毛症に関しては、マズいな。と自分でも思います。


でも今、治す事はハッキリ言って無理です。


まだ多分、心のどこかでは死にたい自分がいるんだなぁ。と思います。



でも、今これを見て死にたい、とか思っている人がいるなら私はこういいたいです。


せめて好きなように生きてください。

働いている環境で無理だ。と思っている方

世の中に縛られなくていいんです。自由になっても、不自由なことはありません。胃が痛くなるまで働くくらいなら、自分の働きやすいものを見つけてみてください。

いじめにあって苦しい方、イジメている人達は、いずれ大人になったら、違う形で痛い目に合います。これは本当にそうなんです。大体そんな人しかみてません。

とにかく自分が楽して生きれる価値のあることはなんだろうなと考えてみると、意外と生きてみようかな。と思えます。


綺麗ごとに聞こえてしまうかもしれませんが、人間、生きてるだけで価値があると思います。私はここまで思えるようになりました。


いつだったかのテレビでたまたま見ていたら、明石家さんまさんご本人の再現ドラマのようなものが放送されていました。


私はそのドラマのなかの、明石家さんまさんの言葉で

『生きてるだけで、丸儲け』という言葉で、なんだか心が軽くなりました。


本当にそうだな。と細かい理由は思いつかなかったですが、本当にそうなんだな。と確信しました。


何度も死のうと思い、2度は完全にいつでも死ねる事をしましたが、それでも生きたかったのは私だけじゃないと思います。


世の中で苦しんでいる人の中で、この記事をよんで少しでも心が軽くなりますように。と思い


たまには真面目なことを書きたくなった私でした。







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