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禁煙に成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した成功した

私は成功してしまいました。
以前から交わしていたニコチンの悪魔との契約を破棄し、無事一ヶ月が過ぎました。一ヶ月経ってみて、やっと禁煙について語れるような気がするので話してみましょう。ただタバコを辞められて偉いでしょという話をするつもりはなく、辞めたあとに感じている少しの悲しさ、もしかしたらタバコは人生を豊かにするものでもあるのかもしれないという気持ちにもなっているので、そこも聞いてほしい。

僕はずっと、人類がタイムマシン開発に成功したら、21歳の自分がタバコを吸い始める寸前にタイムワープしてぶん殴って止めようと考えていました。そう頭では分かっているのに、タバコを吸い続けてしまう。それくらいには喫煙者である自分を憎んでいながらも辞められない、そんな状況を7年も続けた、どうしようもない喫煙者でした。

吸いはじめたのは21歳の冬

タバコを吸いはじめたときのことはしっかり覚えている。当時ハマっていたのは麻雀。今は亡き西千葉の煙たい雀荘で、友人Tが白地に青メタリックのキラキラしたかっこいい箱のタバコを吸っていた。

マルボロ クリアハイブリッド3mm

それを一口貰って、吸ってみた。もちろん、むせた。
でも同時に、憧れを1つ達成したような、ゲームで言えば実績解除をしたような気持ちにもなった。一番好きな映画、探偵はBARにいるの高田(松田龍平)に少し近づけた、そんな気がした。僕はその麻雀の帰り道、友人Tにもらったタバコと同じものと100円のライターを買って帰ったのだった。

それから数週間、「タバコをむせずに吸えるようになる」ための訓練をした。今思うとダサいし、タバコを吸うために努力するとかいう謎の行動。
タバコの吸いはじめは別にニコチン中毒にもなっていないので、義務でも何でもない。なんなら別においしくもない。ただ真剣に、がむしゃらに、タバコを吸う練習を続けた。3~4箱目が終わるくらいのタイミングで、むせずに吸いきれるようになった。煙を吸い込むときに主流煙(フィルターを通して吸う煙)だけでなく、口の端からも空気を入れて薄めるテクニックで、むせてしまう問題を解決した。喫煙をやめる最後まで同じ吸い方をしていたが、この吸い方が正しいのかは最後の最後まで分からなかった。タバコなんてそんなものなのだろう。

そこから日常にタバコが溶け込んでいった。最初はベランダだけで吸っていたタバコも、換気扇の下で吸うようになり。周りでIQOSが流行り始めたらすぐ切り替え、匂いもしないからと部屋で吸いまくっていた。もちろん匂いはするし、IQOSの中でも特に副流煙の匂いがキツいと名高いパープルメンソールの虜になっていた。ちなみにパープルメンソールの副流煙の匂いを一言で表現するなら甘い屁です。


アイコス Marlboro パープル・メンソール

別れたばかりの元カノにタバコ吸い始めるなんてダサいと陰口を叩かれたり、サークルの後輩に似合わないと何回言われたか分からない。その時はタバコに対してやめたいとかいう気持ちはなく、周りから何を言われようと本当になんとも思っていなかった。ただもうその時にはタバコへの憧れも、かっこよさなんてものも感じることもなく、ただ吸いたいから吸っているという状態になっていた。

喫煙者に対し、タバコを吸っていて美味しい瞬間はいつかと聞けば三者三様の答えが返ってくると思うが、僕は屋外でうまいものを食べたり飲んだりしているときが一番だった。バーベキューやキャンプで、おしゃべりしながら吸うタバコは格別。ほかにも、飲み会を抜け出して狭い喫煙所で吸うタバコも、雪が降る寒い日に澄んだ空気と吸い込むタバコも大好きだった。

タバコを辞めたいと思い始めた

社会人になって、日ごろのストレスも増えたのだろうか。タバコの本数が、本当に徐々に徐々に、ゆっくりと増えていった。大学時代は1日5~10本でまったく問題なかったが、社会人になり、就業中の休憩にタバコを吸いはじめてから、また家でゲームをしながらスパスパ吸うようになり、最終的には平均1日1箱くらいにまで増えた。

1日に1箱タバコを吸うと、値上げの影響もあって単純計算ひと月2万円くらいかかってしまう。月2万という値段はタバコを辞めるのに十分すぎる負担に感じるが、喫煙者はそれだけでは簡単にタバコを辞められない。

そんな僕がタバコを辞めようと決断したのにはきっかけがあった。
鎌倉に遊びに行った日のこと。鎌倉駅に到着後、ぎゅうぎゅうの商店街を歩いて通過、鶴岡八幡宮に参拝、鎌倉駅に戻ってきたときには歩き疲れてお腹もペコペコ、5時間くらいのガマンで喫煙欲もMAXの状態。ふらっと寄れる喫煙所が鎌倉駅の周りには全くなく、我慢していたのでかなりイライラしていたところ、喫煙可のオアシス的なカフェを発見。僕がウキウキしていると、お腹を空かせた同行者は、ご飯を無視して先にタバコを吸いたい僕を見てイライラ。かなり険悪な雰囲気になりながらも、さすがに気を遣いご飯を優先した。
その後めでたく喫煙可のカフェでタバコを吸い、我慢したおかげで人生で相当うまい部類に入るタバコだとか何とか言いながらスパスパ吸っていた。

ちょっと喧嘩しかけた、くらいならタバコを辞めるほどではないのだが、問題はその時撮った写真。後日写真を見返すと、鶴岡八幡宮も、鎌倉の商店街である小町通りで撮った写真も、自分がめちゃくちゃつまらなそうな顔をしていたのだ。多分だが、吸えないイライラが顔に出ていたのだと思う。同行者にどうしようもなく申し訳ない気持ちになったし、これは周りに迷惑をかけている、とその時感じてしまった。僕は四六時中タバコを吸える環境にいたらおそらくずっと幸せそうにしているが、タバコを絶たれたときにメンタルが持たなくなる、という状況に恐怖と周りへの申し訳なさを感じた。それがタバコを辞めたいと思った理由である。

禁煙させてくれた一冊

鎌倉事件から約半年、ふいに禁煙のチャンスが訪れる。季節の変わり目の3月、謎の胃腸炎に罹患。高熱と倦怠感で目が覚めると、いつもの習慣である朝の一本が要らないことに気付く。最近タバコをやめたものの数週間で再度吸い始めた職場の先輩が、「インフルになったときに吸わなくなったらしばらく禁煙できた」と言っていたのを思い出し、とりあえず具合が良くなるまで禁煙してみようと考えたのだった。
そしてまた別の職場の先輩(元ヘビースモーカーで禁煙済)が昔、禁煙するならこの本が良いぞと勧めてくれた本があったのを思い出し、電子書籍で売っていたので、高熱の中読んでみることにした。
タイトルは「マンガで読む禁煙セラピー」。正直、読む前はこの本を舐めていた。どうせお金がもったいないよとか、将来や自分の健康を考えたらやめた方がいいよとか、そんな内容だと高を括っていた。実際は、なぜタバコは辞められないのか、タバコとは、ニコチンの依存性とは何なのかが書かれた一冊で、精神論少なめの「タバコの説明書」だった。もし禁煙したいと悩んでいる人がいたら、覚悟が決まったときに読んでほしい。多分気持ちさえあればこの本で禁煙は成功する。

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ただ、本書の内容に疑問も残った。この本はニコチンの依存性についてふんだんに書かれているのだが、その中でタバコの離脱症状(禁断症状)についても触れられている。

「肉体的な禁断症状はほとんどない」

嘘である。めちゃくちゃしんどい数日間があった。昼間、仕事中は集中力がガタ落ち。些細なことでイライラしてしまう。夜はゲームをすると習慣からかどうしてもタバコが吸いたくなってしまうので、自炊をして時間をつぶした。この機に乗じてスパイスカレーとか作り始めてしまうくらいには、辛い数日間だった。

一瞬でもタバコのことを考えると持っていかれそうになった。「シロクマのことだけは考えないでください」と言われるとシロクマのことばかり考えてしまう心理学の有名な実験が、タバコに形を変えて自分に襲い掛かっていた。脳内の鈴原サクラ(エヴァに出てくる友人トウジの妹)は「タバコのことだけは考えんといてくださいよ!」とまくし立てる。この離脱症状は、本当に防ぎようがない悪夢だった。

そんな心が折れそうなときは、紹介した名著「アレン・カーの禁煙セラピー」を読み返した。「最後の一本を吸った時からあなたは既に自由で幸せなノンスモーカーなんだ」「あなたの体は体内からニコチンという悪魔を追い出そうとしている」そんな言葉を反芻し耐えようと努力した。一週間くらいで電子タバコなどの喫煙グッズをヘビースモーカーの後輩に譲渡し、喫煙所でよく話す割とかなり偉い上司には「タバコ辞めました!」とあいさつ回りをして退路を断っていった。

そして、今に至る。離脱症状がヤバいのは最初の1週間もないが、体内から完全にニコチンが消えるのは約3週間かかる。ちょうど3週間達成したくらいで、タバコへの欲求が完全に消えた。自分で書いていてすごく不思議な感覚なのだが、タバコに対して完全にニュートラルの状態になった。

おそらく禁煙二週間くらいでこの記事を書いていたらタバコを吸いたくなって発狂してしまうと思うが、今は本当に全く吸いたいと思わない。タバコに関して、かすかに思い出せるのは、めちゃくちゃ我慢した時の一服の気持ち良さ。それ以外の日常吸いの感覚は完全に体から抜け落ちてしまった。

ここまでニュートラルに戻るとは思っていなかったので、めちゃくちゃ勧められたら1本くらいもらって吸ってしまいそうなのが怖いが、あの離脱症状はもっと怖いので多分吸うことはないだろう。

喫煙者は幸せだとも思う

朝まで麻雀をして、すき家で朝限定まぜのっけ定食を食べた後に吸ったタバコ。パチンコで勝った友人Tが稲毛のカフェでパスタを奢ってくれながら吸ったタバコ。友人Yと原付で初詣に行き、正月の朝方になぜか先輩たちと集合して大学の屋上で写真を撮りながら吸ったタバコ。卒業後久しぶりに友人Sに会いに遠出して、河原でギターを弾きながら吸ったタバコ。
なんかかすかに覚えてはいる、しょうもない記憶がタバコと一緒に出てくる。エモいとかそういう言葉じゃなくて、多分普通に幸せな思い出。

今でも人生をそれくらい楽しめていたら、タバコを気にせずおいしく吸えていたら、禁煙しようなんて多分思っていない。禁煙してみて、喫煙者に対して羨ましいだろと思う反面、羨ましいとも思ってしまう矛盾。禁煙という選択を取ってしまったゆえに、おそらく僕はまた縛られてしまった。喫煙を再開しようにも、また覚悟が要る。もうあんな離脱症状は体験したくないし、鎌倉写真萎えぽよ事件も嫌な思い出。僕はもう、今後一切のもらいタバコにも笑顔で対応できないのだ。なんか、不幸じゃないか?

最後に

長々とタバコと自分について書いてしまった。こんなにダラダラとした文章を書いたのは初めてなのだけど、タバコを吸ったことがない人からしたら、珍種の生態を見るような気持ちで読んでもらえていたらと願っている。非喫煙者の人に聞いてみたい。自分がタバコを吸う人生、想像したことありますか?疑似体験ができるほどうまく書けた自信はないのだけど、僕がなぜタバコを吸い続けてしまったのか、なぜ辞めたくなったのか、どうやってやめたのか、一端でもわかってもらえたら。エッセイってそういうもんなので、気楽に読んでもらえていたら少しだけ幸せです。僕はいったん火を消しましたという報告です。ジュ。


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