「好き」が「嫌い」になりそうなその先に。
好き過ぎるが故に感じる不毛さや痛み、苦しみ。
わたしはそれを恐れ過ぎて、
もともとあまり本気を出せない(出さない)性分である。
好きなひとや好きなものに
“真正面から” “本気で”向き合ったとき、
これまで見えなかったものが見えたり 知らなかったことを知ったりして 望まない真実に出会ってしまうことがあるし、
うまくいかなくて苦しくなったら、それを嫌いになってしまうのではないか。
好きな気持ちが冷めてしまうのではないか。
喜びが苦悩に、情熱が失望や倦厭に変化してしまうのではないか。
それがとてもとても怖い。
(本当に怖くて、
大好物を習慣にしてまで食べずに程々にしておくし
ツボすぎて大好きな加瀬亮を直視出来ないし 笑、
髪型とかファッション、恋愛、暮らし、、
人に甘えるとか本音を話すとかもそうかも。
そしてアロマデザインを本業にしないでずっと副業として静かに暖めていたことも。)
何でもここらで手を打とう、このへんにしといたろう~、と出し惜しみしている感があった。
でも、惜しんでいるとそこまでで。
苦しまなくていい代わりに喜びも腹八分かそれ以下。
腹八分でいいときももちろんあるけど、今のわたしはそれじゃ満足出来なくて悶々としていたらしい。
最近 感じていた停滞感や行き詰まりはこれだった。
おなじみの出し惜しみ癖という沼にはまり、
さらに体の疲れと寒さもあり(寒いの苦手すぎ)
その沼の引力が凄まじくてまあしんどかったのだけど、
今朝、“甘えるな!”という声がどこからか降りてきて
スコーンと目が覚めた感じ!
スッキリした~。たまには厳しさが必要。。
出し惜しみは自己防衛であり、甘えであり、そして無責任である。
自分をこんなもの、と低く見積もっているし 自分を信じてあげられていない状態。
アホになれば奇跡だって起こせる自分なのに、可哀想すぎる。
ごめんね、わたし。
信じると決めたのに、信じきれていなかった。
「好き」が「嫌い」になりそうなとき、
そこからさらに越えていくこと。突破していくこと。
きっと、その先に見たことのない絶景が待っている。
わたしはそれが見てみたくて、弱いしビビりなりにも歩み続けていこうと決めたのだった。
休むのはいいけど引き返したくはないから、ただ、先の景色を描くことを止めない。
そんなに恐れるほど好きなものって多分嫌いにならないし、なんなら嫌いになっても別に大丈夫。
きっと逃げなかった自分のことはもっと好きになれる気がするから。
細くても継続し続け、
小さくても挑戦し続け、
ゆるくも前進し続けて、
自分の心の向く先の光を感じ取り 追いかけて圧倒的に景色を変えてみたい。
さて、本気出すかな~。
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