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出会いに感謝、雑草大先生

突然ですが、僕は大学三年生です。2020年の4月から4回生になります。そのため、今は就職活動のES(エントリーシート)を書いていたり、SPI(就職試験)を受けたり、面接をしに取り組んでます。

ではなく今僕は農業活動に取り組んでいます。今日は野菜の収穫、草抜きを行いました。草抜きはいろんな意味で疲れました。草抜きをしていると、1人の雑草大先生に出会いお話をしてきました。今日はその内容と学びについてシェアしたいです。

これまで僕はどこか幸せ願望を求め行動してきました。また僕だけでなく人は何かを求めると思います。就職活動においてもそうだと思います。その時によく聞かれるのが「なぜ」。僕も自分自身に自問自答します。いわゆる深堀り。僕の場合だと「なんでインドネシア行ったん?」とか聞かれます。わからない。でも結局行きつくところは、僕が生きているから。だと思う。「インドネシアどうだった?」のほうが肌感覚的に答えやすいです(笑)

4時間の対話

しかし、今日の作業で4時間ほど「雑草魂」で有名な雑草大先生と出会い、対話する中で

「求め続けると満たされない」

ということを、偉大な先生から教わりました。インドネシア人もこれに似た考えを持っているなとふと思った。

たどり着いたとこで場所で一生懸命に生きていく。まさに雑草魂。雑草大先生から直伝を受けました。

大先生はもちろん動けず、そこにとどまり続けていました。しかし、「なんでここで育たなあかんのん、根むっちゃ張りにくいねんけど?」とか「なんで僕って雑草なん?」など悲しい表現は大先生の口から聞くことはありませんでした。

人間でいえば「なんで勉強せなあかんのん?」とか「なんでこんな仕事せなあかんのん?」とかとか、いろいろな愚痴や不幸を感じると思います。

ユートピアとディストピア

美しい自然を目にしたり、旅してるときは何も問題はないなって。怖いこと以外どんなことも実は素晴らしいものなのに。でも社会的にみんなが決めて、「ここには問題がある」とか「こういう風にならないといけないよね」っていう環境と自分がセットになった瞬間に不幸や焦りを感じ、ネガティブに見えてしまう。それは自分でそうしているのに、求め続けているからそうなっていることに気づかない。過去の自分もそうでした。どこか頭の中で理想郷であるユートピアがありました。理想というユートピアがあれば現実というディストピアもある。しかしこの考えが間違っていました。

ユートピアを生きているのは「今のあなた」です。現状を受け入れ、「どうやったらいいか」を考えるようにする。「なぜ」を問うことは時に大切ですが、うまく調和をとることが大切です。おそらく78:22(どうやって:なぜ)。ありのままを受け入れ、それでいい。

まずは美しい自然を見に行くこと、旅をお勧めします!!!!

追伸:先生ありがとうございました。




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