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物事の本質は誰が決めるのか?

ある物事について、その本質は誰が決めるのか?という疑問がある。
今日ツイッターで見たとあるツイートを元に、物事の本質の決定者について考察してみたいと思う。

とあるユーザーのツイート

ツイートの内容はこういうことだと読み取った。
・フォロー外れるバグがあるよ
・知らぬままに外れててびっくりするかもよ
・私はフォロー外れてても気にしないよ
・フォローが外れるのを気にする人たちは地獄を見るから気をつけてね

ということだと思う。
とても優しい注意喚起で、僕自身は今の所そういうバグをこのツイート以外に見聞きしていないけど、もしかしたら気づいていないだけの可能性もあるので注意だね。
最近、能動的にフォロー外した覚えはないのでフォロー外れてるよって人がいたら教えてください。

さて、本題は2つ目のツイートについて。

>繋がり直しOK
>見たくない期間だけフォローを外す
>1週間ほどで出戻りする

これらの行為を「ツイッターの本質的な使い方」をしていると表現されていて、反対に

>フォロワー=友達派
>交流の為に相互にしている

これを「ツイッターの本質的な使い方」ではない使い方という風に表現されている。

先に断っておくと、このツイートをした方の意見に反対とか、批判とかそういうことを言いたいのではなくて、疑問が浮かんだので今回のネタに選んだというだけ。

「ツイッターの本質的な使い方」ってなんだろう?

っていう。

この方の表現する「ツイッターの本質的な使い方」は

1.気軽な関係性や、フォローするという行動は誰かのミニブログをブックマークに入れて閲覧している

というような意味合いに近いと思う。
それの反対は

2.いわゆるLINEとかのメッセージツールの延長で、友達とつながったり、ネット上の友人関係を求めてツイッターを使用している

という感じかな。

僕が気になったのは、本来ツイッターの本質的な使い方というのは、1の意味を指しているのかな?というところ。
さて、そうしたらツイッターの本質は誰が定義するのか?

Twitter社
・利用者

これのどちらかだと思う。
冒頭の話に戻ると、この例の場合は、

物事 → ツイッターの使い方
本質は誰が決める? → 作成者(Twitter社)? 多数派(利用者)?

作成者によって本質が決まる場合

Twitter社がツイッターというSNSを開始したとき、こういう機能のある、こういうSNSですよ、とアピールをしたと思う。
それがツイッターというSNSの本質であり、Twitter社が更新しない限りは不変のものになる。

例えばツイッターが「40代以上の中高年向けSNSです」という、ツイッターを利用する年齢層に言及していたとした場合に、実際のツイッターの利用者が10代・20代ばかりになっていたとしたら、作成者の定義と実態が異なることになる。
そうなったとき、Twitter社が「全年齢層向けのSNSです」という風に更新しない限りは矛盾を抱えたままになる。

また、矛盾を抱えているとき、10代・20代より40代以上に利用してほしいと思ってツイッターを作成したのだから、40代以上だけがアカウントを作れるようにしよう!とTwitter社が制限を設けたとする(実際には難しいが)。
すると、ツイッターというSNSは、「40代以上の中高年向けSNS」という定義と、利用者の年齢の実態が一致することになる。

ようするに、作成者による本質の決定は、

・実態との矛盾を抱える恐れがある
・作成者によるコントロールを加えれば矛盾を解消できる

という点から、作成者が作成物をコントロールしたい場合に行われるとも。

実際にTwitter社がツイッターはどのようなSNSなのか表現しているページがある。

https://about.twitter.com/ja.html

ここでは、有名ユーザーをフォローしてツイッターでいち早く情報を得ようといったメッセージや、流行のハッシュタグでトレンドに乗ろうといったメッセージが込められているように感じる。
つまり、Twitter社のツイッターのアピールポイントはこのような部分であって、「友人と繋がろう」とか、「交友関係を増やそう」といったものはツイッターのアピールではないらしい。
そういうのはFacebookかな?

多数派によって本質が決まる場合

作成者によっていくら定義されようが、実態そのものが本質となると考える場合はどうだろう。

先の例で、10代、20代が利用するSNSがツイッターというものだとすると、Twitter社が40代以上に年齢制限をかけたとき、Twitter社は大きな批判を受けることになる。

実際にはそこまで極端なコントロールは批判が大きく、難しい。
とすると、「大きな批判を作るグループ=多数派」が物事の本質を作り上げている可能性がある

実際にはどうだろうか。
ツイッターの全ユーザーにアンケートを実施しない限り、多数派がどういう意見を持っている人たちのことなのか、わかりはしない。
結局、自分の周りの人はこう思ってる人が多い、という程度の感想しか言えない。
ここまで大きな物事の多数派の意見というのは流動的で掴みづらいものだと思う。

つまりは、「ツイッターの本質的な使い方」というのは、ユーザー各個人が判断して決めるものではないということだと思う。

まとめ

「ツイッターの本質的な使い方」に言及された方のツイートの

>繋がり直しOK
>見たくない期間だけフォローを外す
>1週間ほどで出戻りする

という部分については、Twitter社によるツイッターのアピールポイントである、

>有名ユーザーの情報を得るSNS
>流行に参加するSNS

という点と一致する部分もあるのではないか。
ようするに、

「ツイートを見るためのフォロー」

であって、

「フォロー返しをしてもらうためのフォロー」

ではないのだ。

そういう使い方をTwitter社はアピールしているし、利用者にもそういう使い方をしてもらうことを求めている部分もあると思う。

しかし、(実態を完全に把握することはできないが)「友人関係」をフォロー&フォロワーに求めている人というのもかなり多く存在する。
その人達をTwitter社は排除するわけでもなく、というよりそういう人たちのために「ブロック」ではなく「ミュート」機能を搭載したのだと思う。

さいごに

僕も過去に

「フォロー&フォロワーの関係に固執しなくていい」
「フォロー外したかったら外していい」
「嫌な奴ミュートすればいいのに」
「ブロックはされたくないな、せめてミュートしてほしい」

といった発言をしてきた。

僕のツイッターの利用方法はかなり「友人関係を求めている」という感じだけど、かと言ってフォローされたりされなかったり、外したりといったそういうことに関して、嫌な思いをすることはないし、僕も外したり外さなかったりだ。

というか、僕のツイートはかなりセンシティブなので、フォローすること自体慎重になったほうが良いかもしれない。

人のツイッターの利用方針に文句をつけるのはおかしい気もするし、人によって「ツイッターの本質的な使い方」というのが違っている可能性もあるだけに、自分の利用方針を明確に表すのはとても大事だと思う。
例えば

・フォロバ100%
・リムブロご自由に
・お別れはブロックで

などなど。

また、それらを守らなかったとき、守れなかったときに怒ったり責めたりする前に、「そういうのはTwitter社が決めたルールなのか?」ということを自問するのも大切かと。

そして、amazarashiの多数決をみんな聴こう

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