まとまらないけれど
わたしは何かの出来事の渦中にいるときに、その時の感情を自分自身で理解することが苦手です。
だから今まで書いてきたnoteも全て過去の話。
渦中にいるときは、どうしても気持ちがこんがらがってうまく整理できなくて、時には自分でも勘違いしてしまってうまく伝えられないことのほうが多かったように思います。
だけど今、この8ヶ月の留学を間もなく終える今、あえてとっ散らかった感情を書いてみようと思います。
もしかしたら、後で読み返して「ちょっと違うな…」と自分で首を傾げてしまうかもしれませんが。
まずは、すごく寂しいです。
親しい友人にたまに電話したときには「辛い帰りたい」なんてよく言っていたのに。
わたしはあまり何かに強い興味関心を持てるタイプではなくて、この留学が唯一と言えるほど強く恋焦がれたものでした。
コロナ禍で強行するくらいには、どうしても行きたかった。
異国での生活は、まさしく夢のような毎日でした。
考えすぎで自意識過剰なわたしにとってたくさんの人とのつながりがある自国での生活は、とてもありがたいことだけれど、それと同時に窮屈さを感じてしまうことがあって、
だから、無理に人との関わりを持つ必要がなくて、いうならばヨッ友ばかりが増えていく「腰掛け留学」は最高に心地よい環境でした。
わたしは人と仲良くなることが苦手です。
仲良くなるまでにたくさんの時間を必要とします。
大学に入学したばかりのころは家に引きこもってばかりで、1年生のころなんて同じ学科の人と授業で顔を合わせるだけで、長期休みに連絡をくれるような友達は1人もいませんでした。
2年生になるころから少しずつ学外で会ったり、たまに連絡を取ったりする友人が増えて、大学4年目となった今では、入学当初はほとんど関わりがなかったような人たちに心を許せています。
そうです、ほんとに時間がかかるんです。
以前、2週間だけの短期留学に行ったときに出会った人とは、もう全く連絡手段がありません。行方知らずです。
だけど、今回の8ヶ月という期間は、わたしにとって少し短いけれど、それでも前よりは充分に人との距離を縮めることができました。
ここまで読んでいただいた方は、もしかしたら混乱しているかもしれません。
思いつくままに書いているので読みにくいのは申し訳ないです。
だけど、これがわたしの心の中そのまんまです。
人と関わることが嫌いで、人と関わりたい。
そうなんです、矛盾しているんです。
もっと正確に言うと、人が好きで関わりたい、だけど自分はうまく関わることができない、
うまく関われない自分に気づいて、毎日人と交流するたびに自分反省会を繰り返していて、うまくできない自分が嫌になって、
例えば「この子いい子だな」と思う人がいて、例えば自分がうまく関われなかったとしたら「こんないい子を困らせたくない」と思って距離を縮める努力をやめてしまいます。
加えてわたしは、他者に自分の意思を伝えることが苦手です。
けれど本音はすごくわがままです。
幼い頃、姉はあらゆる分野で優秀で、両親は姉をとても可愛がっているようにわたしには見えました。
そして姉はちゃんと意思表示をするタイプのわがままでした。
両親に可愛がられたいわたしは、姉のわがままを全て受け入れて「聞き分けのいい子」を演じていました。
そうするうちに、他者に甘える方法が分からなくなってしまいました。
一方で自我だけは強くなっていくばかり。
話も下手で相手を楽しませることができないわたしは、相手を優先することでどうにか気に入ってもらいたいという無理をして
でも本当は自分が嫌なことは嫌で、実は自分がやりたいと思っていることが言えなくて
だから人と過ごす時間が苦手だと感じることが多いです。
他の人はそんなに深く考えていない、わたしが過剰に考えすぎだ、ということは分かっています。分かってはいるんですけど、変えられないんです。
コロナ禍の留学で、1人で過ごす時間がたくさんあって、自分自身と向き合ってここまで分かりました。
だけど、帰国してからどうやって人と関わろう、どうしたらストレスフリーな生活を送れるのだろうという疑問が解消されていなくて
まだ夢から覚めたくないなぁ。
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