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コンプレックス駆動型の奴

 僕だけじゃない。あいつも。こいつも。

 学歴が高い人のうち一定割合はコンプレックスで成り上がった人たちだ。

 周りと比べられて、劣等感を持って、だからこそ努力できてしまった可哀想な人たちが少なからずいる。

 親に問題があることもある。テストで100点以外だと褒めてもらえなかった。だから100点を取れるように努力できてしまった。そんな人だとか…

 クラスでいじめられていた。だから受験で見返す。そうやって実際に努力ができてしまった人だとか…

 そんな人たちの末路はなんだろうか。私の観測の範囲内ではほぼほぼ幸せになることはない。

 彼ら彼女らは自分の人生に対する要求水準が高くなってしまっている。100点以外は認められないのだ。

 彼ら彼女らは、元から才能があったり運命に愛されて成功している人と自分自身を比べてしまう。

 結果として、大学受験で東大に入れなくて何浪もしたり、無茶な投資にハマったり、詐欺に引っかかったり、結婚相手に求める水準が高すぎて結婚できなかったり、とにかく幸せになることはない。

 そして、失敗体験を積み重ねた結果、さらにコンプレックスを積み重ねる。下手に知識や経験もついて損切りができなくなる。結末は玉川上水で入水する太宰治でしかない。

 かくいう私もコンプレックスの自認がある。行きたい地元の公立小学校に行かせてもらえなかったし、高校時代の部活の結果は散々だったし、兄はそこそこ優秀だし、大学受験は浪人した。

 だから、努力できてしまった。大学ではたくさん勉強をし、たくさんの資格を取得し、学生団体を立ち上げ、人付き合いでも大いに努力した。

 しかし、その結果得たものはなんだったか。なんの発展性もない知識と、その利益を台無しにするにはあまりあるコンプレックスの数々だった。


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