大人になりたくない。


(続)大人にならないと決めた私が大人になった話



ー 11歳までの私


小学校6年生の夏までは至って普通の女の子。スポーツが大好きで、勉強もちゃんとやって、友達もいて、ちょっと人見知りだけど目立ちたがりなとこもある、よく食べてよく寝てよく笑う、ありふれた女の子。
強いて言うなら男の子と喧嘩して勝っちゃうような、負けず嫌いなとこもある女の子。テニスに打ち込んで、戦績も多少残していて、このままそれなりの人生を歩んで、結婚して、子どもを産んで、平和で幸せな家庭を持つんだろうなって思ってた。
それが正しい事だと思ってた。そうなると思ってた。自分が一般的じゃない、って気が付くまで。



ー 生きる と 死ぬ


12歳になる手前のある日 ー初めて公式戦でシングルスとダブルスの両方優勝して1ヶ月も経たない頃ー 、事故に遭った。生死の境を彷徨うほどの。

私の人生が変わった日。

99%の人は即死の状況。意識も無かった。呼吸も止まった。
その場に居た誰もが、「死んだ。」って思ったらしい。

良くても植物状態、意識が戻ったとて、後遺症は確実に残る。日常生活が送れるかわからない。



本当の事かはわからないけど、幽体離脱みたいな体験をした。
私は空に浮いていて、校舎の屋上と同じ高さにいた。
人工呼吸をしている先生、AEDを持って走ってくる先生、他の生徒を誘導している先生を私は見下ろしていた。
そのあと、色の無い水墨画で描かれたような世界に私は飛んでいった。
目の前に川があった、流れこそゆったりしていたけど今にも飲み込まれそうな、気持ちの悪い川。
そこにいつ壊れてもおかしくなさそうな木の船があって、それに乗り込むために人が10人くらいだったかな、並んでいて、私も当たり前のように並んだ。
私が乗ろうとしたら船長みたいな50代後半から60代前半くらいのおばちゃんが「あなたまだ若いねえ、この船には乗せられない。」って言った。
私は船に乗れなかった。



そんな中で私は目を覚まして、生き返っちゃった。
敢えて“生き返っちゃった”って表現するけど。

「生きてるのは奇跡だよ。何で生きてるの?!」
って当時の担当医に言われた。

管に繋がれて、モニターやら酸素マスクやらを付けられ、出血も止まらず、何が起きたかわからないまま放心状態で只々全身の痛みに泣き叫んでいる私と、そんな私を笑顔で囲んでいる大人たち。

私の頭蓋骨はバッキバキに割れていた。

ちなみに事故前後の記憶は無い。いわゆる“記憶喪失”。
いまだに思い出せない。
自分が何故この状態なのか、全部聞いた話。

みんな口を揃えて言う言葉は決まって


「生きてて良かったね。」


何が “生きてて良かった” だよ。


状況を理解したところで、自由に体も動かせずに見える景色は白い天井。

目が覚めてから世界が一変して、何で私が?って絶望しながら、ニコニコする大人たちに「大丈夫だよ元気だよ」ってニコニコし返してた。

それが正しい事だと思ってたから。
大人の、親の、顔色伺って。周りからのイメージに合った求められる私でいなきゃ。
それが正しい事だと信じてたから。そうでもしないと何かが壊れてしまいそうで、そういう生き方しか出来なくなっていた、すでに。
周りの理想通りの人格、親の望む人生、大人の期待に応える事、それが正しい事。それがあなたの幸せになる。って教え込まれてたから。
12年間それを信じて疑わなかったから。

退院してから数週間後、運動会があった。
もちろん私は競技に参加なんてできない。
だけどどうしても行きたくて、お見舞いに来てくれたりたくさん心配してくれた友達は唯一の救いだったから、そのみんなと同じ場所に立ちたかった。
私が救急搬送されて、先生が病院に行くってなってみんなが手紙を書いてくれて。もちろんすぐには読めなかったけど、それが物凄く嬉しくて、今でも大事にとってある。

組体操の時、先生に付き添ってもらって整列だけ参加させてもらった。演技中は端っこで体育座りして見てた。それだけで満足だった。十分すぎるほど。
私が立つはずだったタワーのてっぺんは代役をたてずに空けてあった。

「ここはサトミの場所だから。立てなくてもサトミが帰ってくる場所だから。」

ってみんなが話し合って決めてくれたらしい。その話を聞いて絶対に運動会に行くって決めたの。私の居場所を作って待っていてくれることがすごくすごく嬉しかった。
ただ座ってるだけの私と、参加できた事を喜んでくれる友達。それだけで幸せだったの。

ニコニコしてるそんな私に浴びせられる見知らぬ保護者たちの声。

「なんであの子何もやらないの?」
「障害者なんじゃない?」
「あ〜障害者だから何もできないのか。」
「可哀想ね〜みんなと同じ事できないなんて。」
「うちの子が普通で良かったわ。」

って笑いながら言われてた。

それでも私はひたすらに耐えた。絶対に泣いてたまるか、怒ってたまるか。心の底から悔しかった。
想像だけで決めつける事、何もできない理由を伝えてくれると学校と約束したのに伝わっていなかった事、障害がある=何もできないと言われる事。

「大人になりたくない」

初めて思った。

「大人になる前に死のう。」

って思って帰って布団の中で泣いた。

不信感と悔しさで、次の日から学校を休んだ。
入院中あんなに行きたかった学校を、自分の意思で休んだ。
覚えてないけど、目を覚まして最初に言った言葉が「学校行きたい。」だったのに。
大人たちに会いたくなかった。大人を信じられなくなった。
とにかく自分が生きてるこの世界が嫌で嫌で堪らなくて今すぐにでも消えて無くなりたかった。
助からなかったら良かったのに。そんな事すら思った。
生き返りすらしなければ、こんな思いをせずにすんだのに。


少しして、保健室と教室を行き来する生活になった。
今まで当たり前に過ごしていた日常生活は身体的にも精神的にもキツかった。
起きてから寝るまで続く頭痛と耳鳴り。音の聞こえない耳。視野欠損。片麻痺で動かない顔面。水を飲もうもんなら零れ落ちる口。次こそ死ぬからねと言われた恐怖。今まで出来ていた事が出来なくなる事。心ない言葉。


一番苦しかったのは大人たちの「大丈夫?」のひとこと。
もちろん悪気は無くて心配して掛けてくれた言葉なのはわかってた。
だけどこれを言われたら決まって私は「大丈夫、元気だよ!」って言わなくちゃいけなかったから。
私がニコニコ笑っていれば丸く収まる、そんなもん。


ヘラヘラと愛想振りまいて大人になる前に消えてやろう、そう決めて私は小学校を卒業した。

悔しくも、顔面麻痺のせいでうまく笑えていたかもわからないけれど。


世界に絶望することなんてなかったのに。生き返りさえしなければ。

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