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【徳島の右下生活】#144日目 稼ぐ必要はなくなった

※不労所得があるとか、大金を手にしたとかではない。厳密に言えば、「僕は今稼ぐ必要はない」だ。理由は明日生きられる貯金があるから。

今あるもので充分な満足を得られるようになった。
前も得られなかったわけではない。ただ、会社で働いていた時は、会社という生命線がなかったとして満足に生きられるかどうかと問うた時に、明確にYesと言える自信がなかった。

今はある。

手に入れるお金よりも出ていくお金の方が多いし、何かを買う時も躊躇が絶えないし、買っても気持ち良くないし、お金を使う時は生きていくのに必要かどうかレベルから考えるし、正直言ってストレスである。
でも。
「お金に苦労しなかったらなぁ。」
なんてことは思わない。

会社にいた時もお金のこと、生活費のことを絶えまなく考えてた。
当時も今あるもので考えることには変わりない。
けれど今と違うのは、より夢を追ってる感があるのだ。
現実というお金の世界と、夢という自分の世界と、50:50で今生きられてる。夢と言うのは、「生きるということはどういうことか?」を追うこと。俺にはやっぱりこれを突き詰めたい。
だから、もうそろそろ具体的行動に移していく。

今ある問いに対する手段は、相対化すること。つまり、自分以外の生きるということを知って、もう一度自分に問いかけるのだ。
人だけじゃなくて生物、もはや物でも対象になるだろう。相当な数だ。でも相当な数だけデータが取れるってもんだ。
俺の生きるということはどういうことかの答え見つけに行こう。

っと昨日「これがそうか」って感覚あった。
いつものようにお寺の掃除をしてた時。本当に雲がなく快晴で、気温は動いてると暑いけどじっとしてると心地いい。それに、たまに吹く風が目を瞑らせて感じずにはいられなくする。
この瞬間、言葉ではない感情、全ての時間空間を超越した感覚、一瞬であり永遠の刹那を生きた。
生きるってもうそこにあるのかもしれないなぁ。

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