#63 自分が思うわたしと周りが思うわたしとのギャップに驚いた、という話。
こんにちは、まるもです。
最近、自分が思ってる自分と、周りが思うわたしにギャップがあることに気づいて、もやもやしています。
というわけで、とりあえずこのことをnoteに書いてみます🐶
図解できるほどまとまってないので、よくわからん話になるかもしれませんが、どうぞよろしくおねがいします。笑
わたしが思うわたし
性格は、平和主義のおとなしいタイプ。すぐ顔に出るし、好みはハッキリしてるけど、人の意見も受け入れられる方。あと、ビビりです。
能力で言うと、計画立てるのは好きだけど、予定通りにいかなくてもまぁいっか、って感じです。とても不器用。体力ない。人といるのも好きだけど、1人の時間も大事にしたいタイプですね🤔
職場でのわたし
周りからは「コミュ力おばけ」「穏やかで優しい」「仕事楽しんでる」「よく考えてる」とか言われます。
正直、え、そう?って思ってます。特に、仕事はゼェゼェ言いながらやってるし、あんまり深く考えておらず感覚でやってることも多いです…
でも、まわりがそう思ってくれているのは、ありがたいですね。
あと、ある時「信頼してるけど、ちょっと面倒くさい」と言われたことがあって、これは納得しすぎて笑いました。笑
自分でも面倒くさい人間だと思ってましたが、やはりそうだったかと。笑
ギャップに困惑
「見る人によって印象は違う」ってよく言いますけど、周りから見えてる自分と、自分の見てる自分の違いに、ただただ驚いてます。
正直、なんでそんなふうに見えるんだろう?って、まだ納得できてないんですよね⚡️
ちなみに、わたしはわたしのことが結構好きです。笑
そりゃ課題はありますけど、ダメなところも含めて全体的に満足してます!
だから、周りの評価とのギャップとか、持ち上げられてる感じが苦手なんですよね。
「そんな人間じゃないんだけど…」って思っちゃうし、できればそんな風に見ないでほしいなぁ、と思うのです。
なぜ苦手なのか
なんで苦手なんだろうって考えてみると、「壁を作られてる」感じがするからかもしれません。
例えば「まるもだからできる」「まるもだから大丈夫」って言われると、「いやいや、わたしがやれるならみんなもやれるよ」と思ってしまいます。人と自分は当然違うと思うけど、人を褒める理由にしてほしくないのかも。もし、わたしがそれを実際に成し遂げたとしても、そう言われると、それまでの努力や時間が無視されたように感じて、悲しくなるんですよね。
菅田将暉とわたし
ちょっと(かなり?)話変わりますけど、上の話を書いてて思い出したことがあります。
2019年頃に俳優の菅田将暉が「菅田将暉ってなんなんでしょうね?」ってラジオやテレビで言ってたんですよね。(ちなみに、わたしは菅田将暉が好きです😇)
そのたび、周りは笑ったり「さすがやなぁ」って言って終わるんですが、それを見てわたしは、本人としては真剣に考えてるのに、誰も答えてくれない感じがして、気になっていました。
もし、わたしが菅田将暉だったらと想像してみると、こんな疑問が出てくるかもしれない。
「俳優とは関係ないのに、なんでわたしの着た服が売れるんだろう?」
「なんでわたしに歌ってほしいって楽曲が提供されるんだろう?」
みんなわたしのこと、どう見てるの?なんなん、わたし?って。
そして、「菅田将暉なら大丈夫」「菅田将暉だからやれる」って言われるたびに、「いや、みんなが言う菅田将暉って何よ!」って思ってたのかもしれないなぁ、と。
もちろん、菅田将暉とわたしは全然違うし、彼自身はそんなこと思ってないかもですが。笑
でも、そう聞きたくなる気持ちはわかった気がしました。
自分が自分に納得してればOK
わたし自身、あまり周りの目を気にせずに、ふわふわと過ごしたいのですが、言われすぎると嫌でも考えてしまいます。
「こう見えてるなら、こう振る舞わないといけないのかな?」とか、「本当の自分とはちょっと違うんだけど…」って思うこともあったり。
でも、結局のところ、自分がどう思ってるかが一番大事なんだな、と改めて感じました。
他人がどう感じようと、自分が自分に納得できていれば、それでいいのかなと。
今回、軽く振り回されちゃったけど、しっかりと「わたしが好きなわたし」を大切にしながらやっていこう、と思うのでした。
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