パパ活と、友だち
過去の恋愛について自分語りの途中ですが、ずっと考えていたことが胸の内からあふれてくるのを止められないので、一時中断して今日は別のことを話すことをお許しください。
今日は、パパ活に手を出した私と、それに対する友だちの反応、それを受けて私がいつも考えていることについてです。
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「そんなことするのはやめておいた方がいいよ。」
「絶対あなたのためにならない。」
パパ活や恋活アプリで知り合った人と半ばヤケになって身体の関係を持っていると、友だちから言われる言葉です。
中高時代は最悪な交友関係を結んできましたが、大学に進学した後は数少ないとはいえ、一般的な『友だち』というものが出来ました。向こうの人の意見を聞いていないのでこの人たちのことを『友だち』と呼んでいいかは分かりませんが、話を進めるにあたり、『友だち』と呼ばせてもらうことにします。
ヘラヘラしながら「昨日の人、すごく雑に扱ってくるから痛かった」とか「明日の人は女性経験無いらしいよ」とか言う私に対して、鼻で笑ったあとに、もしくは冷ややかな視線を向けたあとに、心配だからやめたら?と言ってきてくれます。
または、「私があなたを好きだから、そんな人を相手にしなくてもいいじゃない」と。
あなたには私がいるじゃない。
私があなたを見ているじゃない。
私があなたを大好きな気持ちに嘘はないから。
そう言われても、私は素直に受け取ることが出来ません。
だって絶対に思っていないでしょう。そんなこと。
言ってる自分に酔っているだけでしょう、友だちを心配して気にかけてあげている私、素敵!って思っているんでしょう。
私はそんな彼女たちのことをふと偽善者だ、と考えてしまうことがあります。私は、友だちの気分を良くさせるために存在しているわけじゃない。この人たちはずるい。本当にひどい人だ。
しかし、分かっています。一番性根が腐っていて、ひねくれていて、屁理屈をごねているのは私だ、ということぐらい。
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そもそも私がパパ活や恋活アプリをしている理由は、至ってシンプルです。
満たされるから。
多分性欲が強い方ではないし、気持ちが良いなんて思ったこと一度もありません。得られるのは肉体の快楽ではなく、精神の安定です。満たされるのは私の全ての行動の根底にあるどす黒い承認欲求です。
その瞬間だけは、この人は私のことしか見ていない。私とのことしか考えていない。それが赤の他人だろうと、1周りも年上だろうと、好みの外見じゃなかろうと、私には関係ありません。
私は父親からの迫害が理由というのもあり、この年になって分かりますが、主観的に見て男性からの愛情に飢えています。
ただ、彼氏や旦那といった持続的に関係を構築しなければならない関係はとても苦手です。縛りたくないし縛られたくない。人と関わるのが下手すぎるせいで、「この人は私といて楽しいんだろうか」「私なんかがこの人の時間を取ってしまっていいんだろうか」と考え、どんどん深みにはまっていって闇すぎる世界に引きずり込まれてしまいます。
だから、一夜限りの、その時だけ私を埋めてくれる人が居てくれればそれでいいんです。この私の隙間を埋めてくれるのは、生物学上の男の人しか無理なんです。
これはある一種の呪縛なのかもしれません。自分自身で暗示をかけてしまっているだけなのでしょうか。そんなことは分かりません。もう考えるのは止めました。
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そんなクソめんどくさい私に、友だちは言います。
私がいるから大丈夫!
私と遊べばいいじゃん!
その言葉を聞くたび、ああ、この子はまた私の心を殺しに来ているな、と思います。『普通』ならばそれで満たされるのでしょう。『大多数の人』はそうやって胸の穴を塞ぐのでしょう。
私はそれでは塞げない。自分が普通だとか普通じゃないとかを問題にしているわけではありませんが、それで自分を満たすことが出来ない自分自身にまた嫌気がさし、自己否定感が研ぎ澄まされていくのを感じてしまうのです。
そして、その反動で高まった承認欲求を満たしに、知らない男の人に抱かれる選択をする。
負の無限ループですね。とても滑稽です。
こんな自分を変える機会はいつか来るのでしょうか?
少なくとも、
「いつか来るのか?」
なんて言っているうちは、
一生来ないでしょうね。
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