垣間見えた希望、突き付けられた現実
人生で初めて、私のことを見てくれる人、ひなこさんと巡り合わせてもらえた私。
生きていてよかったと本気で思い、他人との出会いに感謝したのは初めての経験でした。
それでも、中高一貫校に入学してしまった現実はやはり重くのしかかっていました。
このメンバーであと3年間。
空気のままであと3年間。
考えるともう、ぎゅっと掴まれたように胃が痛みました。
それまでは自分の未来など何も考えず、何の希望も持たず生きてきましたが、少しでも、一瞬でも希望が見えてしまうと、現実の惨めさや残酷さを実感してしまい、直視できなくなってしまう。
素敵な出会いを経験して、しかし、
今自分が置かれている状況の厳しさや孤独感を意識してしまい、
どうしようもない現実に絶望していました。
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中学3年生の初め、成績上位者が強制的に受けさせられる模試の結果を見て、担任の先生が薄く笑いながら私にこう言いました。
「お前、このままここの高校に進むのやめたら?」
どういう意味なのか分からず、しかし馬鹿にしたように笑う先生に対して『嫌な先生だな』と思いつつその時はスルーしました。
が、家に帰って自分で結果を見た時(この当時、周りの全員がこちらを見ているような気がして、学校で成績表を見ることが出来なくなっていました)、さすがに驚きました。
その学校、学年でどうこうではなく、全国での成績上位者の欄に私の名前があったのです。教科別の、国語科では全国1位となっていました。
先生が若干笑いながら私に言ったことは、
友だち関係最悪なんだから転校すれば?
という侮辱の念とは別に、
成績的に考えてこの高校にじゃなくてもいいんじゃない?(友だちもいないんだし)
という意味も含んでいたのかもしれない、と思いました。
このままこの高校に進まなくても良い未来がある?
上手くいって、もし仮に、県外に出ることが出来るならば、この親と一緒に住まなくても良くなる?
全く新しい環境に身を置くことが出来る?
そんな可能性を考えて、こみ上げてくる笑いを抑えるのに必死でした。
「お父さんとお母さんにお願いしてみよう。もしかしたら・・・!」
感じたことのない期待に、胸がはちきれそうでした。
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まず、花の水を変えている母親にこの話をしてみました。
「成績が良かったから、先生に、別の高校に行ってみるのもいいんじゃない?って言ってもらった。私もそうしたいと思ってるんだけど」
すると、絶叫とともに、目の前に花瓶が飛んできました。
「お前は一生ここで惨めに暮らすんだ」
次に、晩酌をしている父親に、この話をしてみました。
「自分が本気になれる場所で、本気で勉強してみたい。県外の高校に行きたい」
すると、壁に思いっきり殴りつけられ、目いっぱい抑えつけられ、こう言われました。
「お前にそんな選択権があると思ってるのか?親に向かって一丁前に意見を言うな」
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お分かり頂けましたでしょうか。
私に見えた希望は、一瞬のうちに失墜したのです。
この両親に対し、「なにくそ!」と再び立ち上がり、この巨大すぎる壁を壊す気力と根性と精神は、私にはありませんでした。
夢に向かって努力するだとか挫折だとかを経験させてもらえることもなく、夢を見ることすらも許されず、小さな箱の中で生きろと、自分の気持ちなんか口にせず生きろと、そう宣告されたのです。
私は弱かったのでしょうか?確かに、もっと行動的になっていれば違う未来が待っていたのかもしれません。
しかし、この時、両親に生まれて初めて意見を言った私には、これ以上もう何かを考える気力が湧きませんでした。
今でもどうすればよかったのか分かっていません。
高校デビューを目前に、
なんの楽しみも
なんの喜びも
なんの期待も
抱かぬまま、
色と言葉の無い毎日を送ることしかできませんでした。
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