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『ヴィクトリア朝時代のインターネット』トム・スタンデージ著 服部桂 訳 について


トム・スタンデージ著 服部桂 訳『ヴィクトリア朝時代のインターネット』,ハヤカワ文庫NF,2024,


『ヴィクトリア朝時代のインターネット』(トム・スタンデージ著 服部桂訳)読了。 電信という技術の話はもちろんなのだけど、それ以上に、技術を受け止める人間の態度は、歴史を経ても変わらず亡霊のように回帰してくるのだ、という構造が面白い。

インターネットが世界の距離を縮めることで結果、世界平和に繋がるのだという主張や、SNSが登場したときも、その議論は再帰的に、例えばアラブの春のような形を伴って現れてきた。しかしその楽観論自体は、電信の時代すでにみてとれた議論だったし、それが上手くいかないことも電信の歴史が先取りしていた(第6章)。

自分の世代が歴史の最先端に浮かんでいると考えることを「クロノセントリティー」と形容するそうで(エピローグ参照)、確かに技術史を知ることは、このクロノセントリティーに加熱された現在の技術に対して、冷たい水を浴び我に帰るための装置として有効だと改めて思う。

最後に訳者解説で記された服部桂さんの『そもそも人はなぜコミュニケーションをするのか?』という問いこそが、活版印刷や電信、インターネットやSNS、そして生成AIなどの技術を考える上で、必要な問いなのだろう。

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