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推し歴、それは人生。(前半)

こんにちは。

休みの日は病院か買い物ぐらいしか予定のない鮭です。
暇つぶしにこれまでの推し歴を振り返りたいなあなんて思ったのでつらつらと文を書いている次第です。なんだかんだ人生の半分以上は誰かしらを推している人生なので、「推し歴=私の人生」とも言えそうです。それくらい私の人生を詰め込んだ文章なので身バレしないか若干不安ですが、これを読んで「もしかして、あの人じゃ…?」って思ったそこの貴方、私は今頭に浮かんでいるその人ではありません。

顔も見たことない人の推し歴なんて誰が興味あんねん!だと思いますが、暇つぶしにでも読んでやってください。



【幼稚園】木村拓哉(SMAP)

SMAPxSMAPのビストロのコーナー見ながら、赤色の人が勝ってくれたら嬉しいなぐらいの推し度合い。でも、キムタクの本名が木村拓哉ということも知ってたし、たぶん既婚者アイドルだということも知っていました。どんな幼稚園児。
両親が劇場版HEROを見に行った時にパンフレットを買って来てくれて、もちろんHEROの内容も知らないくせに喜んで見ていたのをうっすら覚えてします。たぶんまだ実家にある。

【小学校低学年】松本潤(嵐)

ここら辺からしっかりと「好き」という感情を持って応援しはじめた気がします。きっかけは「花より男子」。さらに詳しく言うならば、映画公開記念で再放送されたドラマの方です。あの頃の松潤とは言わないけど、F4に惚れない方がおかしい。

「道明寺かっこいい」
「主題歌も良い」
「誰歌ってるの?嵐?」

といった流れで小学生の私は興味を持ち始め、「道明寺が好き」から「嵐の松本潤が好き」という形でシフト。嵐にとってのターニングポイントは花男だったと何かでメンバーが言っているのを聞いたことがあるが、私にとっても1つのターニングポイントなったと思います。

でも人生で初めて買ったCDは「truth /風の向こうへ」花男じゃなくて魔王っていうね。

【小学校中学年】二宮和也(嵐)

俗にいう担変っていうやつでしょうか。先述したように私は道明寺が好きで松潤を好きになりましだか、嵐を知るにつれてニノこと二宮和也が気になっていきます。ということで知らない間にニノ担へ転生。
ここら辺から自分の好き顔が形成されていきます。言い換えるならば、ニノは私の「好き顔」の原点。これから私が「推し」と呼ぶ殆どのアイドルは色白で、鼻筋が通っていて、ブルベです。

CDも通常盤だけど発売されたらお年玉を崩して買っていたし、私が体調崩したときに母が何故かポカリと一緒に買ってきてくれるアイドル誌を繰り返し眺め、しっかり付録のポスターも部屋に貼っていました。

そして嵐を好きになって約2年ほど経ったある年、私はライブというものに初めて足を運ぶことになります。人生初現場。何より嵐を生で見れるんだと思ったらワクワクして前日は寝れなかった。可愛いな、私。
初めて行ったライブは嵐の「君と僕の見ている風景」でした。この時、アリーナでまあまあ良い席だったが殆ど覚えていません。アリーナの手押しトロッコに乗った松潤が横を通った気がするだけ。それより公演が終わったのに「あーらーし!」という掛け声で、もう一回メンバーが出てくるのに驚きました。アンコールという文化を知らなかった私は「え、まだ出て来るの?いつ家帰れるん?」という心情でした。本当に失礼なやつ。

【中学校】洋楽ブーム到来

今まで洋楽という分野には触れてこなかったし、当時の私としてはこれからも触れることはないだろうと思っていました。
しかし、学校行事の時にBGMとして流れていたOneDirectionWhat Makes You Beautifulを聞いたことで、その考えが180度ひっくり返ります。鎖国的だった私の世界に黒船がやってきました。横浜の浦賀で黒船を見た江戸時代の人々はこんな気分だったのだろうかと思う。
私はレンタルショップに行き、その当時流行っていたOneDirection、Taylor Swift、Carly Rae Jepsenのアルバムを片っ端から借りて、パソコンに取り込んで携帯に移す、そんな作業を勤しんでいました。なんか時代感じる。

実は私が洋楽を避けていた大きな理由が「聞いても歌詞の意味わからない」でした。しかし、私の想像以上に世の中は便利なもので、レンタルしたアルバム(日本盤)には日本語訳が載った別冊が入っていたり、YouTubeを探せば翻訳動画が山のようにある。

「あれ?意味が分かってしまう。」

そして、洋楽は2度美味しいということに気付く。1回目は何もわからず、ただ音楽として楽しみ、2回目は歌詞の意味を知った上で聴いて楽しむ。「ひつまぶし方式だ!!」と当時の私は目をキラキラさせていました。

中学生だった私は洋楽ならではの歌詞や世界観に酔いながら、一方で「この歳で洋楽を嗜む私」というものに若干酔っていたのも事実だったと今白状したいと思います。

洋楽ブームの初期はOneDirectionを中心に聞くような所謂ミーハーな洋楽好きでしたが、少し経った頃、あるボーイズバンドに出会います。

それがオーストラリア出身の4人組ボーイズバンド”5 Seconds Of Summer”(以下、5sos)
OneDirectionのオープニングアウトを務めたバンドということで5sosを知り、Heartbreak Girlという曲で見事にハマる。


メロディ最高、歌詞最高、MVも最高。何よりそこに登場するボーイズたちが驚くほどにイケメン。そう、結局イケメンに弱い。

そこから彼らの曲を聴き始め、YouTubeで動画を漁る生活に。そして今になってはオタ活に必要不可欠なSNSを始めるのも5sosがきっかけでした。そもそもメンバー本人達がTwitterやインスタをやって何か発信しているということが当時の私からしたら衝撃で、勿論すぐアカウント作成した。

SNSは基本見る専だったが、メンバーの誕生日には中学英語を駆使してTwitterでお祝いもしていました。”Have a nice year”と”Have a great year”どちらが良いのか悩んだり、今思えば本当にどうでもいい悩み。

突然ですけど、海外の歌手を好きになったら必ずと言っていいくらい言語の壁を乗り越えたくなりません?前述したようにYouTubeには翻訳動画が沢山あるが、所詮は他人が書いた言葉だし、そもそもマイナーなグループではそのような動画が少なかった…
そこで、私的言葉の壁を乗り越えたくなった洋楽好きがすること第一位である「歌詞の翻訳」に例外なく私も挑戦する。しかし、到底中学英語で太刀打ちできるはずなく、Aメロからサビまでの間で諦めましな。
今思うと身の程知らず感がすごいですが、洋楽のおかけで英語を身近なものだと感じることができて、英語学習に対するモチベーションも高いまま学生生活を送ることができたなあと。もし今も続けていればもっと英語ができるようになっていたかな…いや、それはないか。

【高校生】迷走期

高校生らしく当時流行っていた邦バンドも聞いていましたが、基本的には中学校に引き続き洋楽を聴く生活を送っていました。だが、そこにはある問題がありました。それは洋楽界隈は供給量に波があるということ。ワールドツアーの一環として来日することはあっても、なかなか日本に来ないからライブに行けない。アイドルのように曲をコンスタントに発表することも確約されていない。だからといって邦バンドもライブに行くほどではない。 

そんな中、友達に偶然誘われたHey!Say!JUMPのライブに行ったことで一気にジャニーズに引き戻されます。ライブから帰ってきてすぐCDをレンタルして聞き漁り、プリ画像で画像を保存しまくる。「やっぱりジャニーズ良いな!」の一言にすぎた。しかし、小学校の時とは異なって高校生の私は量産系のジャニーズオタクに憧れていました。当時の私の1番欲しいものはMaison de fluerのトートバッグだった。

ちょっと長くなってしまったので今回はここまでということで!

それでは〜


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