生まれ育った場所が世界遺産になるということ


ちょうどコロナが流行する瀬戸際の話。

昨年の3月中旬、わたしは九州旅行に出かけていた。

きっかけは夏に行った五島列島だった。海沿いに建つ教会。西洋建築をただ真似するのとは違い、素朴で独特の装飾が施されていること。そしてその教会は現在も大切な信仰の場として、ミサやお葬式が執り行われたり教区ごとの行事が開催されたりしていた。

外から来たわたしにとっては観光地でも、ここにいる人々にとっては、日常生活を営むところで、ほんとうに大事なんだ。そう思った。


五島をはじめとする長崎や熊本の教会の一部は、潜伏キリシタン関連遺産として世界遺産に登録されている。

そしてこれらは建物自体が古いからとか建築様式が珍しいからとかという理由ではなく、日本の「潜伏キリシタン」という歴史を評価しての登録である。


五島列島で、二十六聖人殉教事件で長崎の西坂で処刑された人々が京都から出発したことを知った。当時わたしが住んでいた場所から、徒歩で行ける距離だった。

いつかぜったいに、西坂公園で手を合わせたいと思った。



潜伏キリシタンに関する論文を読み、教会の写真集を眺め、それなりの予習をという気持ちで勉強した。五島で感じた教会のある風景はとっても美しくて、でもそこには厳しい歴史が積み重なっていたんだと少しでも知ってしまったら、調べずにはいられなかった。


3月、二十六聖人殉教地で手を合わせたわたしは、その数日後、天草の崎津集落に来ていた。


海に面した漁村で、昔ながらの木造民家が並ぶ。山側には神社があり、海側にはグレーの壁に青とオレンジのステンドグラスというなんとも素敵な色合いの教会が建つ。

周りの家々と海に挟まれた教会は、集落のなかでひときわ大きく見える。


ひととおり集落をまわり、バスが来るまでまだ少し時間があった。

観光案内のおばあちゃんが、若いんだからと神社の上にある展望所を勧めてきた。大きな荷物、ここで預かってあげるからと。

教会と神社、海がよく見えるよという言葉に押されて、登った。


教会を眺めていたら、声を掛けられた。「観光ですか?」

若い女の人が一人でいるなんて驚いて、とその人は言った。このまちで生まれ育った、わたしよりふたつ年上の男の人だった。


1時間くらい話した。

わたしは、教会のある風景に惹かれたことや五島での思い出、今回の旅のこと(実はこの時かなりの長旅で、まだ半分くらい残っていた)。彼は、帰省中であること、来月から新社会人になること、進学や就職でみんな地元を離れるということ。

勉強の話もした。彼がわたしの進路を「どんな学問もぜったい繋がってるよ」と肯定してくれたことがとっても嬉しかった。


「ほんとうに、良いところですね」

「教会があって、海があって、こんなに素敵な風景があるということを、知らなかったです」

わたしは言った。

ずっとこの場所で育ってきて、教会で遊んだりするのも日常で、これが当たり前だったから分からないんだよ、と彼は言っていた。でも世界遺産になって、テレビで放送されたりなんかすると、友達に観てよ、って言うんだって。

やっぱり良いところなんだなあ、と思うようになったと。


こんなにも素敵な場所があるなんて、神社と教会と海が隣り合っておなじ風景に溶け込むなんて、知りもしなかった。だから驚いて、同時に、とてもきれいだと思った。

そう言ったら、そうかあ、と返ってきた。

全然感じ方が違って、おもしろいね、と笑った。


どこかへ行って、知らないものを知って、ああ素敵だ!すきだ!と思う気持ちは、子どもの頃の経験や刷り込まれている価値観や当たり前が覆されたときに、いちばん大きくなるのではないでしょうか。


わたしの幼少期の思い出に、海も教会もない。

大人になって出会えたことは大きな感動になって返ってきた。

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