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承認欲求の使い方✨あなたを知りたい人はたくさんいる。
以前、承認欲求についてこんな記事を書いた。
思えば、私は実は自分が「承認欲求が強い」ということをずっと許してあげたかったのかもしれないと、今そんな風に思う。
それで大丈夫だよ。いいんだよって言ってあげたくて、もがいていたのかもしれない。
だからきっと振り返ると、人一倍、承認欲求について悩んで、それはどういうものなのか?どうしたらいいのか?を考えていたのかも。
私が承認欲求について悩んでいた理由の一つに、「承認欲求が強いことは、いけない(ダメなことだ)ことだ」という概念を採用していたから。
これも今思えば、私自身が自分を責めたくて、無意識にそういう情報や概念を採用していたんだと思う!
で、私としてはこれって、自分の承認欲求を責めてる人の言い分だと思うのですよ!笑
認められたいのに、それを誤魔化していたり、本当は「すごい!」と言われたい気持ちがあるのに、そこに素直になれなかったり、ね。
〜
私も実はそういうところが本当にたくさんあって、自分の承認欲求は悪だと思ってた。
「認めてもらいたい」という気持ちを持つことは、恥ずかしいことだと。
でもね、それって自然な欲求だな。と理解できてどうして承認欲求があるか?と考えたときに、
私は自分の世界に、言葉や行動することを通じて、自分の幸せなことや自分の気持ちを表現することそのものが、幸せなんだと想った。
こういったblogや動画なんかはその手段や手法に過ぎなくて、私は自分の気持ちや自分の想いを、表現してそれらを届けたいんだ。
やっぱり、嬉しいことがあったら、共有したいし、悲しいことがあったら、話しを聞いてもらいたいと思う。
私たちの欲求の一つには、
分かち合いたい
があるな、なんて感じたときに、
承認欲求はそれを叶える欲求なのかもしれないな、と。
特に私はなんでもかんでも「みてみてー♩」と、綺麗なもの、できたこと、起こったことを話したいし
何か不満なことや悲しいことがあったら「実は今日ね…」なんて、話したくなるんです。
子供の頃はそれは迷惑かな?と思っていたけど、そんなことはないんだよね。
今は私の話しも「あなたの話し」も、聞きたい・知りたい人はたくさんいるんだ✨なんて思います。
それは「わかってくれない」と拗ねた気持ちを持つのではなくて、「聞いてもらっている」「時間を割いてもらって、ありがとう」という、
〜してくれて、ありがとう。
話を聞いてくれて、ありがとう。
話させてくれて、ありがとう。
そういう意識でいいんだなって思います。
〜
そう思うと、今すぐに自分から自分の世界に「実はこんなことがあってね!」とか「みてーかわいいでしょ♩」なんて、色んなことを共有したくならない?
(私はなります♡!)
私の承認欲求が強いというのは、きっと才能。
それ、上手く使っていこーう♩
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