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Bという感情について

「此処に行きたい」
そんなふうに思ったときはなるべく素直に行くようにしている。現実的に行ける場所や時間帯であれば、私はすぐに車のエンジンをかける。
先日のこと。「古本屋に行きたい」私は強くそう思った。古本屋なんてよく行くし、毎日でも行きたいと思っているのに。しかしなぜか、この日はいつも以上に強くそう思ったのである。言葉にすると簡単なのだが、焦燥感にも近い「これ」はなかなか厄介なのだ。Aのことを考えていたとする。次の瞬間Bの感情(今回は古本屋に行きたいという感情)が沸き起こる。このときAのことはすでに忘れている。私はBの感情のためにせかせかと用意を始める。まだAのことは忘れている。きっとこちらを恨めしそうに見ているに違いない。いやそんなことはないだろう。するとなぜだか、Cの感情が通り過ぎて———どうしようか———と刹那的な迷いが生じる(このときだいたい私は座るとも立ち上がろうともしているような妙な体勢をとっている)おそらくなのだが、このAとCは友人だろうと思われる。AのことをおざなりにしたからCが助け船を出してきたのである。友達は大切だからね。ちなみに、こういう話は生物学的にとかエビデンスに基づくだとか、科学的には統計的には、そもそも人間というものは云々、スピリチュアル的に言うとそれは精霊の仕業だよねとか、文学的に言うと君、それは〇〇である、とかそんなことではないのである。一個人の勝手な、お粗末なひとつの言葉に束に過ぎない。ふぅ。作者もため息である。これだから直治は面倒くさい。そういうおまえは誰か。誰か。誰か。私は誰か。
閑話休題。
兎に角、頭の中の意識の流れを書くというのは難しいもので、本来ならばこれの2倍も3倍も(さらに本当のことを言うと数百数千倍)細く長い意識が川のように網目状に流れているのである。

古本屋に到着。
さてどうしようか、と考える間もなく歩き始める。文庫本のコーナーへ。このとき大概私は海外作品から眺める(きっとうっとりした顔をしているに違いない)新品ではお目にかかれない作品をみつけ思わず声が漏れてしまう。この辺で腹痛を覚える(本屋での腹痛あるあるは解決したのかしらん)本の状態を確認する。ちなみに、あまりにレアな作品ならば状態はどうでも良い。即買いである。しかしこの日は珍しい作品とは出会わなかった。今読みたい作品とは?それもパッとしない。おかしい。何かがおかしいな。私はBの感情に従い古本屋に来たのに、まるで何もないじゃないか。よし、もう一周してみよう。私はしつこいのである。こと本に関してはしつこいのである。だって紙の本が好きなんだもん。結局私は3周した。このぐらいになると忘れていた腹痛がまた戻ってくる。Bの感情どころではない。腹痛。それは人類が始まって以来……どうでもいい。私はそんなことを書こうとしているのではない、今回はBの感情に従ったらこんな素敵なことが起きました、ちゃんちゃん、はい終わり。を読者は期待して(私が期待させて)いるのではないか。これだから直治は……作者冷や汗である。直治よ、しっかりしいや!はい!書きます先生!

どこまで書いただろうか。もうペンを置こうか(指を休ませてくれ)そうだ、私はAの感情もCの感情も置いてきぼりにしてBの感情に従い古本屋に来たのだ。いやむしろ今もこうして書いているのだから居るのだ。私は今古本屋に居る。そして買いたい本がわからないばかりか腹痛に襲われひとり小さくなっている。ああなんてことだ、ここまで書いてきて本当にお腹が痛くなってきた、コレは作者の言葉だよ、みなさんおわかりですか、これはノンフィクションともフィクションともつかぬ御伽話ですよ、すべては作者の思惑、直治を動かし読書の懐に入り込む、狡猾な文学だね、あらいやだ、へっへっへっである。くくくである。いや、そんなことはない。ただの破綻した文章、阿呆の、阿呆?或る阿呆の?どこかで聞いたことある、誰だっけな、たしか大文豪のあ、あ、あ……芥がら←変換したらこうなった。

誰かが指を鳴らす。
そうだ、誰だったかな?を調べてみよう。名案じゃないか!やはり人には教養が必要だ。さあ雑学か、化学か、哲学に文学、宗教か!なんでも来やがれ!
気が着いたら私は雑学棚の前にいた。
一冊の分厚い本がこちらを見ていた。私の指が本の背を撫でた。本が私の愛撫にこたえる。なかなか色気のある本である。他とは年季が違う。その誇りはいまや埃になっている。ずっしりとした重み、栄養をたっぷりと含んでいるのであろう。これで読書は知を得るのだ。ペエジ割れが酷い。前オーナーの圧が強かったのかい。おーよしよし。優しくしてあげようね。帰ったら補修が必要だね。そうだ、ヤスリもかけてあげよう!ん、最後のペエジに何か?それはゴマアザラシの写ったポストカードだった。裏の空白にはこんなことが書いてあった。

Happy birthday
大学生になって
色々なことに
チャレンジしている君は
素晴らしい

Enjoy!

父より 

「此処に行きたい」
そんなふうに思ったときはなるべく素直に行くようにしている。私は今、君を探しているのである。

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