【就活・恋愛】失敗続きで自分を見失っちゃった話【頑張ろう】

「誠に残念ながら…」、「今後の活躍をお祈り申し上げます。」


この文面は、就職活動を経験した人ならば、一度は目にするであろう。

そう、いわゆる「お祈りメール」だ。

この文章で今もまさに悩まされている人がいるだろう。
何をかくそう、私もその一人だ。


この記事を執筆しているのは、6月中旬に差し掛かったちょっとだけむし暑い夜。すでに周囲の人は今後の進路が決まりはじめ、解放されている時期だ。

Instagramを開けば、進路が決まった子たちが友達、あるいは恋人と有意義な時間を過ごしている様子が流れてくる。

Twitterを開けば、私が応援している方々がキラキラと私のタイムラインを華やかにしてくれる。そしてその中にに時折流れ込むこのコメント。


「内定がでた!」「第一志望に受かった!」


そして、その投稿に対しての「おめでとう!」の嵐。

最終的に耐えきれなくなってすぐに別のアプリを起動させる。
(今はもっぱら某夢の国の悪役学園ものだ)

そして布団に潜り込んで、自分の努力不足とこみあげてくる後悔、そして将来が未だ決まらない不安・焦りで枕を濡らす。

これが私の最近のルーティーンになりつつある。

実によくないルーティーンだ。

簡単な話、SNSをやめてしまえばいい、見なければいい。ただそれだけの事。一度、SNSが嫌になってやめた時期があった。でも、自分が仲間外れになっていると感じたり、友達との話についていけなくなったり、そして何よりも情報が入ってこないという恐怖から結局はすぐにアカウントを作ってまた再開する。

これが、きっとSNS依存症なんだろう、改めて感じた。


話を戻そう。
正直に言うと私は今までに「内定」という文字を見たことがない。
いわゆる「NNT」というらしい。(私も最近になってこの言葉を知った)

そして厄介なのは、一次ですべて止まっているということだ。
某就活系YouTubeでは一次どまりの人を「やばい奴」と表現していた。
どうやら私は、どこの企業にも見てもらえない「やばい奴」のようだ。

「就活は恋愛だ!」と世間ではよく言われる。
Googleで「就活 内定 とるには」と打ち込むと、

就活は恋愛だ!」

と、どのサイトも就活アドバイスでも口をそろえて言う。


そうか、恋愛か。ということは、「やばい奴」な私は、恋愛もまともにできないのか。いわゆる誰にも愛されない人間なのか。いつしか考えるようになっていった。でも残念なことに、とても心当たりがあって、なにも言い返せなかった。

実際に私は他人とはちょっと違う。昔から「クラスの変わり者」というポジションにずっといたのだ。
「何考えてるか、言っているかわからない」
「考え方が独特だね」
「まともじゃないね」
クラスの子、塾の先生、そして学校の先生、校長先生にまで実際に言われたことがある。

ただ、私は普通に当たり前に生きているだけなのに、変わったヘンな奴認定を受ける。大体悪いことをするとすぐに疑われる。少し辛かった。
このことがあって、「自分は変わってる、自分はマイノリティ」と考えるようになり、自己肯定感がなくなっていった。

それからは、一般的な人になれるようにいろんな衣服を嫌々ながらまとっていた。「どこにでもいる普通の女の子」というなんの面白みに欠ける分厚い服をずっと。

そんな私でも、ちゃんと認めてくれる人が出来た。大学2年のおわりだ。
何よりも、一人の人間として、一人の女性として見てくれたことがうれしくて、その人の前だったらありのままの自分でいられるんだと、今まで体にまとわりついていた重い鎖が取れたような感じがした。

だけど、その人にも見捨てられた。それも自分を少しずつ出した途端にだ。
「価値観が違った」
この一言だった。とても曖昧できれいすぎる言葉で人生で初めての恋愛が終わった。

結局、彼が見ていたのは、私が長年着ていた服を見ていただけであって私自身を見ていなかったのだ。

このことがきっかけで私はどんどん精神的に追い込まれていく。
そのころにゼミ配属と就職活動の準備、そして家庭内環境でのトラブルが
重なったのだ。なによりもアルバイトで一人暮らしのための資金も稼がないといけない、休む暇がなく、とうとう自分自身の誕生日2週間前に体調を崩しそこから誕生日当日まで意識が飛んでいた。(一応、調子は4日で戻ったらしいが、そこからの記憶がまるでない。気が付いたら自分の目の前に誕生日ケーキだったものが置かれていた。)


2月から本格的に説明会にも参加、3月に情報解禁。徐々に面接もスタートする。だけどどれもうまくいかなかった。

毎回面接をして、お祈りメールが届く。
反省点を次に生かそうとしても、届くのはお祈りメール。
恋愛で例えるなら、付き合って3日で別れるを永遠と繰り返すようなものだ。


その結果、私の身には何が起こっただろう。


タイトルにもあるように自分自身を見失ってしまったのだ。
お祈りメールが増えるたびに自分を認められていないとさらに感じてしまい、精神的な疲労・ショックに追い打ちをかけられているように感じてしまったのだ。大学時代にやってきたエピソードに苦労しているわけではない。でもそれを自分の言葉でうまく伝えることが出来ない。
ダメなところを改善しようと試みる。もう一度自己分析をやり直す。
自分はこういう人間ですよ、ありのままの自分を見てくださいとアピールするも、メールに届くのはお祈りばかり。
自分の無力さ・ポンコツさ、社会で生きていく難しさを就職活動を通して思い知らされた。

気が付いたら私は、精神科の診察室の椅子に座って号泣していた。

現在も、エージェント様の力も借りながら、就職活動を続けている。
正直に言うと、一人で就職活動をしていた時と比べるとやりやすくなったし、いろんな会社があるんだなと思った。しかし依然として本当に自分がやりたかったことではないのが心の底にあり、次第にそこまでして就職することに意味があるのかと考えるようになった。

私自身本当にやりたかったことがあった。
それは、夢の国でキャストとして働くことだった。
しかし、未曾有のウイルスによってそれも難しくなった今、
新たにやりたいことを探しながら就職活動しているようにも思える。

周囲の人は内定を勝ち取り、将来的に会社で働いてお金を稼ぐ。
何だったらそこで運命的な出会いをして家庭を築くものもいるだろう。
日本における一般的なレールがこれであると私は考えている。


ならば私はどうなる?
就職活動で大失敗して、路頭に迷う。
自分自身を見失ったままで今日生きていくのがやっとを死ぬまで繰り返す。
何とも悲しい現実が待っている。

残念なことに、今の日本社会では一般的レールに乗ることが常識であり、ニュースや記事でさらに正当化され、社会制度や価値観に反映される。逆にレールから反れたことをすると少数派としてカウントされ、レールに乗った将来が確定されている人から冷ややかな目で見られる。人はそれを「多様性」といったきれいな言葉で片づけるが、本当に「多様性」と心の底から思っているであろうか。自分ではうまく説明できないからこそ「多様性」という言葉で、逃れようとしているだけなのではないだろうか。
まだ社会にも出ていない若造が何を知ったかのようにと思う人もいるかもしれないが、これはあくまで私個人の意見であり偏見である。誠実に・正直に生きている人が社会的に報われない、なんとも悔しくどす黒く、そしてとても気持ち悪いことであろう。


ここまで見てくれた人は(きっといないであろうが)共感したかあるいは不快に感じたかは人それぞれであると思う。もし、不快にさせてしまったらとても申し訳ない。ただ、批判的なことを言われると私自身がさらに傷ついてしまうため、何も見なかったふりしてそっと閉じてほしい。


ただ、この自分自身が持っている負の感情をいったん整理して少しでも立ち直りたい、いい方向に変えていきたいと思い、ありのままを書き連ねた。
読みにくい部分もあったかもしれない。そこは温かい目で見守ってほしい。








この記事が参加している募集

就活体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?