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7/5(金)の日記


駅前のロータリーで、わたしが幼いころから営業していた昔ながらの定食屋さんが閉店していた。閉店していた、というよりは、気付いたときにはもう空き店舗の状態となっていた。通勤にはべつの駅から電車に乗るので、大学を卒業してからはお店の前を通る機会も減っていた。
実際にそのお店に入ったのはたったの1度だけなので大した思い出もないのだが、店先に立てられた「営業中」の旗や目にするたびに値上げされていた定食のメニュー看板は、無くなってしまうとどこかさみしい。街の一部が欠けているような気がする。どうせ入らないくせに、アルバイトの帰り道に夜定食のメニューを眺めながら信号待ちをして、入らないくせに何を頼むか考えていた、ほんの半年前までそこにあった生活と風景はもう何も残っていない。


新紙幣をいちはやく手に入れるため、7月3日の朝から銀行の前に長蛇の列ができていた、というニュースを見た。母は鼻で笑っていたし、わたしも正直なところその行動を理解することはできなかった。それでも思うのは、あのひとたちのほうが絶対に人生たのしい、ということだ。確信を持ってそう言える。
そういう魂を持てる人間はきっと小学生のときから年越しの瞬間には家族そろってジャンプしていただろうし、合唱コンクールで歌わない男子に本気で怒って涙を流し、文化祭の浮ついた空気感に任せて気になる女子に告白し、大学生になりたてのゴールデンウィークには先輩の運転で御殿場に行って、5時間並んでさわやかのハンバーグを食べただろう、大谷翔平が結婚すれば大谷と名のつく無関係のお店に足を運び、元号が変わるまえには「平成の空気」をつめた瓶も買ったに違いない。あれはどう考えても「蓋付きの空き瓶」だろ。
何であれ、そういうひとのほうが人生をまっすぐに受け止めて楽しむ才能があると思う。わたしにはできない。


ずっとずっとずっとずっと食べものとじぶんの胃のことばかり考えている。朝ごはんを食べ終わった瞬間にお昼ごはんのことを考え、午後はずっとおやつと夜ごはんのことを考えている。
先日、とある料理家の方の「汁物が好きだ」という文章を目にして以来、わたしも汁物ってかなり好きかも、ということに気付いた。とくにお味噌汁やお吸い物といった和食系。他のおかずは要らないからお味噌汁だけたくさん飲みたい、という日もある。ひとり暮らしをしたら、なんでもかんでも具材を入れて煮込んで、めちゃくちゃお手軽に栄養のとれる"完全お味噌汁"をどんぶりなみなみにして食べたい。え?「なんでもお味噌汁に入れる」って発想、天才では……?!と真剣に考えていた。仕事中に。

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