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11/12(日)の日記

生まれてくる側に意思なんてひとつもなくて、子どもを産むってことは完全に命をつくった人間たちの都合でしかないのに、どうして「女に生まれたからには出産は経験したい」とかそういうことをあたりまえに言えるんだろうって話、川上未映子のエッセイとか『乳と卵』を読んだとき、こんなにも"ある一点"を目掛けて確実に突き刺すような文章があるんだって思った。
わたしたちの誰も、生まれたいと思って生まれてきたわけではなくて、それは間違いなくそうで、そんなこと言ったらオカンがかなしいから口には出さないけれど、でもやっぱりそれはそうなんだよね。生きていくのは苦しくてかなしいし、生きてて良かったっていうのは生まれちゃったからそうやって救いを見いだすしか術がないわけで。生まれることは選べなかったのに、この人生を終わらせることはだれも許してくれない。出産ってなんにも、「おめでたい」ことなんてないと思う。
ていうかさ、昔はそうするしかなかったのかもしれないけれどさ、女に生まれたからには、って言ってスタンプラリーみたいに好きなひとと出会うとか結婚するとかウエディングドレスを着るとか愛するひとの子どもを産むとか、そういうチェックポイントひとつひとつを集めてまわって、それでこそ幸せみたいなの、ほんとうになんなんだ。なんでその、女っていうみずからの括りをあたりまえに受け入れて、あたりまえに子どもを産みたいとか思えるんだ。そう思えないわたしのほうがおかしいのか。

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