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12/13(水)の日記 - 卒論を書き終えて

家から病院までの近道となる細い路地を、ゴミに集った4羽ほどのカラスが塞いでいた。私は慌てて自転車のハンドルを来た方向へと切り替え、べつの路地へと迂回した。病院に到着したのは予約時間の3分後だった。

締切を30時間後に控えた今朝、ようやく卒業論文の主たる部分を書き終えた。とはいえ、序章や出典リストは未だ手つかずの状態のため、今夜は眠れそうにない。それほど追い込まれていることも知らず、3ヶ月前のじぶんが今日この日に診察の予約を入れてしまったこともまた、私という人間をよく表しているだろう。
私の論文は、とある映画監督が見つめる、人間の姿やその人生に対する描き方について取り上げている。人生観という日本語ではすこし足らず、人生というひとことで括るにはすこし広すぎる。先生はこれを"life"とよんだ。

4月に卒論演習(ゼミのようなもの)が始まってからというもの、それまでの私には文学というものの本質を探る眼など微塵も備わっていなかったことを、毎週のように実感させられた。頭のなかにぼんやりと浮かぶ"何か"に充てることばは、身体じゅうを絞りきるような苦しみを経てもなお見当たらず、先生から容赦なく飛んでくる質問には何ひとつ答えられなかった。その物語はどういった"体験"であるか。作者は何を提示していて、観客に残されるものは何か。はじめは、じぶんが何を訊かれているのかすら分からなかった。幼いころからずっと、文学という世界を必要として生きているつもりではあった。しかし、私が見ていたのは、その世界の表面に浮かぶほんの一片に過ぎないことを知った。「文学を必要としながら生きる」とは、表面をやさしく愛でるなんて、そんな温いものではなく、その奥に広がる海に、私の身体ひとつでどこまでも深く潜っていくことを意味していた。
悔しかった。ずっと、分かったような気持ちで生きていたことが悔しくて、恥ずかしかった。「今のあなたでは、何も語ったことになりません」と言い放つ先生は、もう何十年ものあいだ、海の底で息をしているようだった。私と先生のあいだには、果てしない数の語彙と、積み重ねてきた人生が、決して追いつくことのできない隔たりを築いていた。二十数年という歳月を人間として過ごしていながら、その海に潜るどころか、水面を覗き込むことすら試みなかった自らの人生を、これほど惜しいと感じたのは初めてのことだった。
だから、はじめは、先生に少しでも認められたくて頑張った。そんなふうに、原動力をじぶんの外側に委ねることは、正しいかたちの熱とは言えないのかもしれない。それでも、時間をかけてゆっくりと、文学に対する「眼」を知り、先生が繰り返し触れる"life"という概念に近づいていくことで、認められたいという理由に先立って、知りたいとか学びたいといった純粋な感情が生まれるようになった。
書き終えた論文を読み返すと、1年間をかけてゆっくりと距離を縮めることを試みた、深くて暗い、どこまでも続く文学という海に、僅かながらに足を踏み入れているような気がした。学部の卒業論文なんて、人生をかけて文学と向き合う人間から見れば、何かを語ったことに値しないのかもしれない。しかし、たとえそうだとしても、私にとっては意味のある「精神の探究」だったと言える。

病院での待ち時間ほど、じぶんが人生のはずれくじを引いていることを実感する瞬間はない。もしも私の身体がまったくの健康体であったなら、今この瞬間にはきっと、自室の机でパソコンと向かい合って、先ほど書き終えたばかりの論文を推敲していただろう。たまたま"引き当てて"しまったがために、私は人生のうち、あと何回、何十回、何百回と、この待合室で何をするでもなく時間を溶かす。
まっさらな健康を纏った私'<わたしダッシュ>の前には、同じだけの時間に対して無数の選択肢が広がっている。それは、当たりのくじを引いた者の特権である。いくら嘆いて羨んだところで、私の前にあるのは混み合う待合室と、また3ヶ月後の予約と、90日分の薬だ。これからもずっと、こうやって生きていく。
私が提示する"life"があるならば、こんなかたちをしているのだろう、と思った。

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