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episode4.身近な人の死

高校1年の時に祖父と祖母が立て続けに亡くなった。
私の物心ついてから初めての身近な人の死だった。

祖父母とは、私が高校に進学すると同時に同居を始めた。
二人とも90歳前後と高齢で、祖母はアルツハイマー病を発症していて物忘れが激しくなっていたため、二人暮らしをするのに限界があるという父たちの判断だった。

祖父は私が小さな頃から何度も入退院と手術を繰り返していたものの元気だったので、幼少期の私は無邪気に「おじいちゃんは不死身だ!」などと言っていたくらいだった。
でも人は老いには勝てない。
同居が始まって数ヶ月経った頃、祖父は肺炎などを併発してしまい、亡くなった。
その時、息子である父や、息子や私たち孫のことも忘れつつあった祖母が泣いたのがとても印象に残っている。
私は二人が泣いたのを、その時初めて見た。

その後、在宅で介護を続けていた祖母は、同居する前に手術した癌が再発し、高齢で再手術が叶わず数ヶ月の後に亡くなった。

二人が亡くなったのはとても悲しかったし泣きもした。
でも高齢な二人が亡くなったのは私にとっては自然な流れのうちだった。
いくら長生きせども寿命はある。
亡くなってしまった後「もっとあれやこれやをしてあげたらよかった」と思うことはあったけれど、今振り返ると、遠方から駆けつけた叔父や叔母や従兄弟たちと共に家族で見守りながら最期の時を過ごしたのは、私たち家族に出来た最善のことだったと思う。

寿命を迎えて亡くなった祖父母のことをよそに、私の生きることに対するプレッシャーは年々膨らむばかりで、同時に、その苦しみから解放される救いの手段としての「死」への意識は強まる一方だった。

寿命まで死を待てない。
今このときの生きている苦しみから解放されたい。
その一心だった。

なかなか家族や友人に相談することが出来なかった私は、いつしかインターネットで悩みを吐露するようになった。
その時はちょうどSNSが登場し活発になり出した頃で、SNSの1つであるTwitterと、blogを併用してその日の出来事や、悩みをつらつらと綴っていた。

インターネットには同じように1人で悩みを抱えている人が溢れていた。

悩みの種は人それぞれだけれど、みんな周りに悩みを打ち明けられる人がおらず、1人でも抱えきれずに、匿名性を利用して実生活とは関わりのないところで思い思いに悩みを発信していた。
最近ニュースで取り上げられるようなこともあったけれど、そこには日常的に「死にたい」という言葉を発する人々が存在する。日本の自殺者数が年間3万人前後だというのがすぐさま納得できるくらい、数えきれない程たくさんいる。

ただ勘違いしたくないのは「死にたい」という言葉がもつ多面性である。
きっと大なり小なり救う術があるはずなのに、それに辿り着けず、助言してくれる人にも出会えず苦しみもがき続ける人もいて、緩やかな「死にたい」という気持ちを発信する人もいるし、自分の苦しみを言語化するのが難しく「死にたい(くらい辛い、苦しい)」という言葉を発することで自身の苦しいという気持ちを昇華出来ている人もいる。

もちろん中には緊急性を伴う「死にたい」もあるけれど、誰もが「死にたい」と言ってすぐに死んでしまうわけではないと思う。
自殺者予備軍かもしれないけれど、然るべき対処が施されれば救われる人もいるのだ。大切なのは、それに辿り着けるか/出会えるか、否かなのだ。

私はインターネットで悩みを吐き出し続けている中で、色々な人に出会った。もちろん、オンライン上で、だ。

「甘ったれるな」という批判の声に出くわしたこともあったけれど、記事やツイートにコメントをくれた多くの人は「私も同じように悩んでいる(いた)」と共感して打ち明けてくれる人だったり、「辛い時はきちんと休むんだよ」とか「頑張りすぎないでいいんだよ」といった励ましの声をかけてくれる人だったり、「こういう人(機関)にSOSを出してごらん」などと具体的な助言をしてくれる人々だった。

年齢層は、年上から年下までさまざま。
その人が何者なのか、画面上からの情報や言葉からしか知るすべはない。
その情報が、嘘なのか本当なのかも。

しかし匿名のインターネットの住人たちの声は、実生活で弱音やSOSを上手く発信できない私にとっては、本当に心の支えだった。
「良い子でいなければ」「優等生でいなければ」と肩肘張っていた私にとって、唯一何も包み隠さず吐き出して、その私を認めてくれる世界だったのだ。

なんとかそうやってバランスを保ちながら、高校を卒業した。
大学受験を終えて、現役での志望校への合格が叶わなかった私は浪人生活を送り始めることとなった。
が、そこでいよいよ心身が限界を迎えた。

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