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三寒四温メンタル


4回生が卒業して、履修登録やら健康診断、オリエンテーションといった新年度の連絡が毎日送られてくる

学科のみんなが「あと1ヶ月もせんうちにあの地獄始まるなんて鬱」と言っているのを見て、みんなやっぱりあの日々はしんどいんだなと思った

みんな似たような日々を過ごしているのに、みんな腕は綺麗だし薬も飲まずに全てをこなしている

死んだり、しない


選択肢に“死”が出てくるようになったのはいつからだろう
そちら側に天秤が傾くようになったのはいつからだろう
どうすればこんな人間にならずに済んだの

住民票を動かすために市役所に行った
私はやっぱり一言も発せなかった
腹痛がひどくてトイレで蹲った
何歳までこれなんだろう

「死んでもいいなら全部こなすよ」
大真面目に、真顔で言ったら両親は何事もなかったかのようにスルーして話を進めた
あぁ、私は死んでもいいんだと思った

死んでしまおうと本気で思った

でも、死にたいけど、もし失敗したら
それが誰かに知られたら
私は多分実家に強制送還される
そうなったら両親はきっとここぞとばかりに私からあのアパートを取り上げるだろう
実家にいたって何も休まらないのに


私はずっと忘れられない
緘黙に対して「話さなきゃ伝わんないよ」
拒食に対して「今度こそちゃんと食べて」
パニックに対して「電車で通学してる時点で贅沢だよ」
それでも自分はいちばんの理解者だと主張されるからもうわけがわからなくなった

みんな、親もきっと寂しいんだねって
寂しかったら何してもいいのかよ
臭いものには蓋をしてきたくせに都合良すぎない?
私には寂しい幼少期過ごさせておいて自分たちは嫌だってわがまますぎない?

言えばいいって言われる
お前が話さないから、お前だって話すことから逃げていると言われる
痛いところを突くなあと思う

でも、もう理解してもらえるとは到底思えない
学校と病院の先生がそれぞれ真剣に時間をかけて話してくれても聞いていなかったのに

嘘、そんなの言い訳

本当はただひたすらに怖いのだ
わかってもらえないとわかっていてもどこか期待をしてしまう
まだ隠してるから、私が話さないから
そうやって自分に責任を押し付けることはとても楽だ
これからも数十年は関係が続くのに今全てをさらけ出して絶望してしまったら、もう元に戻れない
私はそれが怖い


震える手で大学のカウンセリングルームのホームページを検索した

〈なんでも相談してください〉

なんて
相談して何が変わるの

相談したって実験もそれに伴うレポートも無くならないし、教職辞めろとか言われたらもうこの大学に通う意味がなくなってしまう
休むことが認められたってその分遅れを取り穴埋めをする負荷を考えれば五十歩百歩
そうなれば何も休まらない気がする
だったら動き続ける方が楽だって
いつからそんなに休むのが下手くそになったんだろう


中高の頃からカウンセリングにはずっと抵抗があった

高校の時は先生に話聞いてもらってたけれど、「カウンセリングや治療とは違う」と言われていた
事実、いつも話を聞いてくれていたK先生は心理学的な資格は何も持っていなかったし

当時の私はそんな第三者の手を煩わせることはせず専門の人だけを頼ってさっさと治すべきだと思っていた

でも離れてわかった
ただ話を聞いてもらえることでどれだけ救われるか
あれは確かな居場所だった
何を言ってもちゃんと一緒に考えてくれる
その人なりの答えを出してくれる
手を止めて受け止めてもらえる

あぁ、私が望んでいたことってこれだったんだ
「お前にとって親はただ話を聞いてくれるような存在じゃなかったんやな」
高3の一緒に病院に行った時に言われたそれを痛感した


私はずっと安心できる居場所が欲しかった


大学はなんだか事務的だと思う
私がよく知らないだけかもしれない
学生支援センターも合理的配慮もどう対策していきましょうか?とすぐ聞くけれどそんなにずっと前は向けないと思ってしまう
明確な願望や要望を持っていないといけない気がして頼れなかった
前述の通り、何かで楽になったり変わったりすると思えないし、もし楽になってしまったらそれはズルのような気がする。だってみんな同じだし

わかってる
規模やシステム、学生の年齢を考えればただ話を聞いてどうこうなんてそんな子ども扱いしていられないことぐらいわかっている
自分で上手く対処していかなきゃいけない
私が甘えているだけ

でもどうしたらいいんだろう
すっかり依存してしまった自傷行為とかやっと見えてきた親との関係とかずっと残っている緘黙も
どうやって歪みと戦えばいい?
目に見えて困らないけど、確かに困る普通から外れたことはどう対処すればいい?

全部分からないまま、このまま大人になることが怖い

ずっと訳の分からない苦しさを自分にぶつけて生きてきた
まるで氷のように生きていた私が先生たちによって溶かされて、ようやく見えてきた
もう戻れない
私にだけ春を訪れさせてお別れするってそんなの無責任すぎるよ

なんて、これはただの八つ当たり


だんだん全てが嫌になっていつロープを買うかどこで首を吊るかをぼんやりと考えていたのが引っ越した最初の週


2週目はずっと出かけていた
友達とラーメンを食べに行き、高2のクラスで集まり、2日間小豆島へ
全部終わったら悔いがないな
これは本音だった

でもそうしてみんなと会う中で次の予定が自然と決まって行った
高2のクラスで集まった時に「誘うって言って誘ってくれてないじゃん」と拗ねたら、「ごめん金欠で 今なら行ける!直近やと2日」と言われ即決まった

死にたいし死んだ方が楽だと思う
全てが無になることは救いだと思う
でも今はまだ未練がある

何より死んで私を知ったように語られるのは嫌だ

来年度こそ死ぬかもしれないという考えは抜けない
その時が来たらもう鬱に負けてしまってもいいと思う
でもその前にやれる手は全て打っておこう
自分が尊敬する人が教えてくれたこと、遅くなってしまったが踏み切ってみよう

そう思ってもう一度、カウンセリングルームをHPを開き、緊張しながらメールを送った

気温が上がるように私の気分も向上して3月が終わった


そして4月1日
珍しくカウンセリングルームからメールの返信が来ないことに不信感を抱いて大学に向かった
学校という場でメールが埋もれることはよくあることだしでも電話はできないから直接確認したかった
それと昨日の夜ぐらいから急降下していった自分をなんとかしたかった
ずっと出歩いていたツケが回ってきたのだと思う
本当にキャパシティが狭くて嫌になる
そのくせやりたいことは人一倍だからさらに嫌になる

階段を上がったところにあるホールで何分突っ立っていただろう
入った人が出て行った。不審な顔をしていた

やっとの思いで趣旨を伝えると
「今はやっていない。大学の授業開始日にしか予約ができない」
と言われた
そんなことはHPにもTwitterにも学内メールにも書かれていなかった
裏切られたような気になって涙が滲んだ
駄々を捏ねることもできないから、会釈してその場を後にした
去り際に対応してくれた人も含めた看護師さんたちの笑い声が聞こえた

決定打だった

涙が止まらなくて踊り場でひたすら泣いた
誰も来ないとわかっていたから蹲って泣いた
泣いている自分に驚いていた
嫌なものなはずなのに予約が取れないことに絶望し泣いてしまうぐらい私は疲弊していたようだった
こうして自分に驚く度、自分は鈍感で何も知らないのだと思い、そんなでは何にもなれないと失望した
喋れない私はやはり笑われるほどに稚拙なのだと恥ずかしくなった

動き出しても涙は止まらなかった
泣きながら校内を歩いた
ベンチに腰掛けて、泣いてることを誤魔化すために自販機で飲み物を買って、さも私は水分補給の為にいますよーみたいなふりをした

泣きながらいつ死ぬかだけを考えていた
今すぐにでもと思ったが、さすがに友人の遊ぶ前日は残酷だなあ
そんなことを言っても手元には自殺方法の検索結果が開かれていた
何故か自傷より先に自殺が浮かんで、自分でも違いがわからないから変なのと片隅で呑気に思った
そのぐらい自分がどうでもよかった
確かに自分なのに自分じゃない
もう負けてしまいたいと思った
あと3年
たかが3年、されど3年
乗り越えたいと思うほどの気力が残っていなかった
きっかけは違えど学校に行けば死が隣にやってくる
休みになれば上がって、その分落ちる
あと何回あるんだっけ、この山と谷
みんなだってそうなのになんで私は越えられないんだろう。這い上がれないんだろう

大学が始まるまでの期間この不安も恐怖も希死念慮も全部自分で戦わないといけないのか
メールさえも返さないくせに、相談してくださいなんてできるわけがないだろう
ほら、やっぱり事務的なんだ
わかっている。何も間違っていない
苦しいから助けてくれ なんて言葉でひとりを助け始めたらキリがない
向こうも人間だ。年中無休のAIではない
わかっていても、わかっているからって耐えられるものでもなかった
ふと頭に浮かんだのが先生の
「無理な時は無理って言ってくれたらいい。先生も無理な時はそう言う。それでもお前がどうしてもって時はそこをなんとかって言っていい」
という言葉で、色々あって純粋な気持ちで信頼や尊敬を伝えられなくなった今も尚、こういう時に思い出すのは先生の言葉なのだと苦しくなった
わがままだとわかりながら求めたくなる私は甘えすぎてしまったし優しさを知りすぎてしまった
そして散々一緒にいて育ててきてくれたはずの親の言葉はひとつも思い浮かばない自分が心底嫌になった

気づけば最後に時計を見てから一時間ほど経っていた
イケイケな感じのお兄さんお姉さんたちの声がして怖くなって逃げた

気づいたらキャンパスの端に来ていた
少しぐらい気分を上げないといけないと思ってコンビニとスーパーに行った
品物を見るだけで楽しくなるタイプだから、いつもと会社が違うというだけで少しテンションが上がった
軽く店内を見て家のそばで買うより安い食品を買った
やっとご飯を作る気が起きた。献立を考えながら帰るのは余計なことを考えないので楽だしちゃんと楽しい
美味しそうなスイーツも買って、これ食べるためにご飯も食べようと思えているから良しとしよう

大学の中を通って帰るのが早いとわかっていたけれど大学の人全員が怖かったから裏道を通って帰った
迷路のみたいまあ帰れるだろぐらいの余裕はあった

家に着いて食品をしまって
そろそろご飯作ろうかな
食べられるかはわからないけれど、さっきよりは食べたいかも
まだ死にたいけれど、とりあえず今日は辞めておきたいかも
カウンセリングじゃないからダメかもしれないけれど、本当に不安定だったら保健室にメールしてみてもいいのかも?

ちょっとだけ余裕出てきたしご飯作ろうっと


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