見出し画像

私も”1人の人間”なんだ


先日、父、母、姉と家族4人で旅行に出かけた。

姉が大学4年ということで、いわば
「最後の家族旅行」
として1泊2日いろいろなところを回ったが、
私は小さい頃のように、純粋に旅行を楽しめなかった。

というより、ベタな観光地(海とか水族館とか)を回るなかで、「家族の一員」
としての自分を演じることができなかった、とでも言おうか。

なんとなく、小さい頃〜高校までの
「家族の中の私」として、ではなく、大学生になってから形成された「1人の人間としての私」として行動していたような気がする。

現在、大学3年生の私は、地元を離れ、県外の大学に通っている。

入学した2020年はちょうどコロナの年で、前学期は実家でリモート授業を受ける日々を過ごした。

そのため、本格的な大学生活のスタートは大学2年生から切ることになったのだが、
大学2年生からの1年間を経て、私は「個としての自分」という防壁を構築することに成功した。

今思えば、大学2年の頃は、友だちすらうまく作れなかった(うわべの関係でしかなかった)から、1人で居られる耐性/態勢を身につけるしかなかったんだと思う。

だから、それ以降、私は”大学以降に形成された自分”としてしか、家族や友達の前で振る舞えなくなってしまった。



そして、今回の
「旅行を純粋に楽しめない」問題。

家族という括りで行動するとなった時、どのように振る舞うのが正解か。どんな話をするのが適切なのか。

そんなことを考えていたら、有名観光地に行った感動が、言葉にできないモヤモヤに負けてしまった。
両親と姉には申し訳ない思いである。

けど、たぶん私は、もはや前の自分には戻れない。もし前の自分に戻ってしまったら、いち大学生としてうまく生きていけない。

これが良いことなのか悪いことなのかはわからない。

ただ、私はもう「いち大人」になってしまったという事実があるだけだ。

しかし、この考えの背景に
水族館に行ったということが大きく関係していることは間違いない。

というのも、私にとって水族館は、
展示されている生物たちを見る場所ではなく、
人と一緒に会話するときのただの「背景」としての場所でしかないからである。

だから、姉のように純粋に海洋生物をみてワクワクしたり、イルカショーなどのパフォーマンスをみて感動したり出来なかったし、何も思うことができなかった。

そんな現実を突きつけられ、
自分自身に対して「なんだこの捻くれ者は」というメタ認知的なものに駆られて、ちょっと辛かった。


これに加えて、4ヶ月前、まだ付き合ってた時にも水族館に行ったことを思い出してしまって、単純に胸が締め付けられた。

ゆっくり反芻できたはずの思い出が、
消化不良を起こしている。


そんな状態だった。


失恋ってこんなにもつらいものなんですね。笑





ーーさて、これからどう前に進もうか。


なんて、水族館でこんなnoteを書いている私は何なんだろう、、

この記事が参加している募集

これからの家族のかたち

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?