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掛けた言葉が思いがけず他人の人生に影響を及ぼしていたことを4年越しに知った話

私は今日から一週間、地元・茨城に帰ってきています。

年が明けてから地元に長くとどまるのは今回が初めてです。
電車に乗ったり人の多いところに居られない私は、車で妹に迎えに来てもらっての帰宅となりました。

妹は私の3歳年下で、先天的に知恵遅れのようなものを抱えて生まれてきました。そのことが原因で精神的な病を患ったり、姉の私から見ても、人よりはるかにつらいことがたくさんある人生を歩んできていると思います。

そんな妹ですが、底抜けに明るく超ポジティブな性格です。
一緒にいるこっちまで明るい気持ちになれるほど。
つらいことにたくさん出会って、人から心無い言葉もたくさん投げかけられて、性根がひん曲がってもいいはずなのにまったくなんでこんな明るくいられるんだ…と本当に不思議です。

そんな妹と今日車内で話していたときのこと。
妹の親友が、今ちょっと疲れ気味で精神的に不安定だという話を聞き、私もその親友を知っていたのですごく心配でした。

しかし、妹の口から「ねえ、お姉ちゃん。これ覚えてる?」と投げかけられた言葉に私は驚きを隠せませんでした。
今日はそんな、ちょっぴり嬉しさも混じった驚きについて書き残しておこうと思います。


妹と私

妹と私は今、友達と言っていいくらいの仲良しです。
私も妹が大好きですし、妹も小さい頃から「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と私の後ろをついてまわってくるような子で「それは今でも変わってないから!」と、公言しちゃうほど、お姉ちゃん子です。
ただ私が就職して家を出るまでの関係性は最悪でした

私の家庭環境は決して良いとは言えない環境だったと思います。
母子家庭だった家庭内で暴力は日常茶飯事、警察を呼ばれることもあれば、児童相談所に通報され一時保護所と呼ばれる場所で軟禁生活のような暮らしをした時期もあります。家にいても、片付けの出来ない母を見て育った私はものの片付け方というのを知らずに育ち、妹も弟も物心着く前からその環境が当たり前だったので、これを不思議だとも思わない。どんどんゴミで溢れ返っていく部屋はさながら地獄で、私はそれにただ自分の心を殺す以外の選択肢がありませんでした。
「母も妹も弟も、家を出たら絶対に縁を切ってやる」
そう心に決めた誓いだけが、私が生きている理由でした。

実家を出て2年くらいは、本当に連絡を取らなかったと思います。
何故連絡を取り合うようになったか、具体的には覚えていませんが、妹が
「当時はこの環境に対して何も不思議に思わなかった。お姉ちゃんだけにすべてを抱えさせていたことがよくわかったよ。ごめんね」
そんなような連絡をしてきたのがきっかけだったんじゃないかなあ。

「私なんて」という言葉には呪いがかかっている

離れても妹はお姉ちゃん子のままで、それからは頻繁に連絡を取るようになりました。

しかし当時の妹は今とはまるで違っていました。
すべてにおいて自信が無く、精神的にも不安定で、すぐ「私なんてダメ」「お姉ちゃんみたいに上手く出来ない」と泣きながら電話してくるなんてしょっちゅう。

「お姉ちゃんみたいに上手く出来ない」
それは私にはとても複雑な気持ちにさせられる言葉でした。
他人と比べるという行為は、現代人にとって苦痛だと感じる人の方が多くなってきているような気がします。もちろん、他人と比べて劣っていたら「なにくそ!」精神で頑張れる人もいると思いますが、圧倒的にその割合が減ってきてしまっていると思うのです。
何事も、足並み揃えて、みんなと同じように、目立たないように。

これに関しては、こちらで少し詳しく私の気持ちを語っています。

少し話は飛躍しますが、私は「他人と比べる」ということと、「自分を客観視すること」は似ているようでまったく違う行為だと感じます。
自分を客観視する=今の自分を俯瞰的に見ること。それは境界線がすごく曖昧で、少しでも捉え方を間違えると「他人がこうしているのになぜ自分は上手く出来ないのだろう」と思ってしまう原因でもある。
それによって自然と「私なんて」という言葉が溢れてしまう。
この言葉、私は本当に「思っても口に出しては行けない言葉」No.1だと思っています。

少しでも私はそんな気持ちを払拭してほしくて(この頃の私は「私なんて」から脱却出来た頃でした。これについてはまた別の記事で)、様々な言葉を妹に投げかけました。どうにかしてそれを妹に伝えようと奮闘しましたが、やはり人からの言葉だけではすぐに変わらないのが人間です。
話をきちんと聞きつつ、それをどうにかこうにか噛み砕いて伝えることしか出来ない自分に無力さを感じていました。

しかしこの無力さを、今日妹は払拭してくれたのです。

掛けた言葉が、思いがけず相手の人生に影響を及ぼしていた

私は車を運転することが好きです。
そんなに頻繁に乗ることはないれないけれど、真夜中のドライブは自分だけのために道路も車も存在しているような気がして、適当に走らせては知らない公園やコンビニなどで一服して星を眺めてはぼんやりして、また何も考えずお気に入りのプレイリストを聴きながら帰る。
色々なことを考えるには最適な時間です。

今日はそんな私の運転で、地元まで帰ってきました。
車中、親友の話をしていた妹はぽつりと「お姉ちゃん、この言葉覚えてる?」と私に問いかけました。

「私がここまでポジティブになれたのは、お姉ちゃんが言ってくれた言葉のおかげでもあるんだよ。」

驚きと困惑と、「どれだ?!」みたいな気持ちが一斉に押し寄せてきて、「私、なんて言ったの?」とシンプルに聞き返しました。

「私が一番メンタルが壊れてた頃、お姉ちゃんに色々話を聞いてもらってすごく心に響いたことがあるんだ。お姉ちゃん、「私の好きな人の悪口をこれ以上言わないでくれる?」って私に言ってくれたこと、覚えてない?」

はっとしました。たしかに言ったかもしれない。
でもそれは、私のなかでは躍起になって「もうどうにでもなれ!」くらいの感覚で放った言葉でした。

でも彼女からしてみたら、それは特別心に刺さって、今のポジティブな彼女を作り上げたきっかけになる言葉だったのだと、彼女は自信満々に言いました。

我武者羅に相手を思って放った一言が、この明るくて素敵な人を作り上げた一つの要因になれたと思うと、特別だと感じて今でも覚えていてくれると思うと、あの頃悩んだ私の気持ちは無駄では無かったんだなと驚きと同時に嬉しさが込み上げてきました。

人はいつ、どのタイミングでこうして他者に影響を及ぼしているか分からない。それは嬉しいことかもしれないし、嫌なことかもしれないです。
一度は縁を切るつもりでいた人とも今繋がりがあったり、逆にずっと繋がっていたいと思っていた人とも、いつの間にか疎遠になってしまっているかもしれない。
言葉だけではないかもしれないけど、人それぞれの感性は言葉によって及ぼされる影響も計り知れないと思います。

今日はそんな影響を、間近に感じられてとても嬉しい発見が出来た日でした。



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