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喫茶店百景-人生を豊かにしてくれる、カラフルなふつうの人々-

 それにしても、喫茶店というところは実に色んな人に出会える、わりと特殊な場所だった。店で出会ってきた、ふつうといえばふつう、ちょっと変わっていると言えば変わっている、そんな人たちについて書いていきたい。

*

 料理人のヒロカワさん(仮名)は、もと銀行員だったらしい。最初の店の近所にあった地元の銀行で、支店長までやっていたという。料理好きが高じて料理学校に通い、最後の店に来るようになった頃には銀行を退職し居酒屋を開く準備をしているところだった。
 食べ物に関する興味が強く、私が買い物してきた調味料や食材によくコメントをくれた。例えば「その醤油、からいとおもうよ」とかそんなの。九州の醤油は基本的には甘いから、口に合うかな? と言いたかったのだとおもう。
 ある日、梅の話になった。いつだったかの夏に、ぐずぐずと雨続きで土用干しをしそびれた梅があって、そうしたらヒロカワさんが「干さなくたっていいよ」と言うから、料理人なのにとおもって意外に感じた。心のなかで、でもそれって梅干しというより梅漬けでは・・・などとおもいつつ、試しに食べてみたらまあふつうの梅干しみたいだった。うん、干さなくたっていいのかもしれない。
 梅を見るたびにヒロカワさんを思い出す。

 もとやくざ屋さんのノリオくん(仮名)も、最初の店からのお客といった。私が保育園くらいのころを知っているらしく、人見知りが激しかった私に睨みつけられたなどと、笑いながら言われた(申し訳ない)。
 店を移転するごとに来てくれていたけれど、その経歴からほとんど定職にはついていなくて、店に来る時期なんかも不定期だった。根無し草、そんな感じの人だった。
 最後の店ではよく恋人を連れてきていて、その恋人というのがよその奥さんだった。上品な感じの女性で、トイプードルを飼っていた。ふたりはお揃いのアクセサリーを着けたりして幸せそうで、そのときのノリオくんの職業はたこ焼き屋だった。彼女も手伝いつつたこ焼き屋は順調だ、などと聞いていたんだけれど、しばらく姿を見ないとおもったら父も連絡がとれなくなったと言っていて、そのまま行方が知れなくなってしまった。

 父の同級生で米屋を営むミヤタさん(仮名)は、2店舗めの店によく来てくれた。米屋がわりと近所だったからだ。いまはもう息子に任せているようだけど、そのときまだミヤタさんは現役で、父の店でも米の注文を入れていたし、他には配達の途中なんかにも寄ってくれた。ひとつかふたつ年上の奥さんをもっていて(父によるとなかなかの美人)、奥さんとは商売以外の会話はもうあまりなく、廊下ですれ違うときなんかに身体がぶつかるなどすると「ああ!もう!」と毒づかれる、などとこぼしていた。夫婦っていろいろ大変なんだな、とおもった。

 ナガタさん(仮名)も最初の店からのお客さんだったと聞いた。学校の先生をしていた人で、父よりも年が上で、大きくなった私と初めて会ったときは、貴方のお母さんのこともよく知っているよ、リエさん(母の名、仮名)に似ているねえ、と言われた。
 木工を趣味としていて、だから退職後にはあれこれ雑貨を手作りしては、どこかに出したり人にあげたりしているということだった。私には、端材で作った木のたまごをくれた。すべすべしていて、触ったり握ったりしていると癒されるんだと言った。
 ナガタさんはがんを患って、数年間闘病をしていたんだけれど、ちょっと前に帰らぬ人となってしまった。

ナガタさん手製のたまご

 最初の店にだけ来ていた人で、マツダさん(仮名)という人がいた。店の近所で時計宝飾の扱いを生業にしていたんだけれど、それというのが全員独身の3兄弟だった。うちの店に来ていたマツダさんは、たしか三男だ。
 この人は、コーヒーに添えるミルクは牛乳というのが決まりだった。ふつう添えるのはコーヒーフレッシュで、だから冷蔵庫に準備してあるのはコーヒーフレッシュを入れたミルク入れだ。でもマツダさんにはわざわざ新しく牛乳を満たして出していた(カフェ・オ・レを頼むとかはしない)。
 彼らの宝飾店は健在で、その宝飾店の入ったビルのほかに近所にいくつかのビルを所有している。私のトモダチが行きつけにしている寿司屋もそんなビルのひとつで、トモダチから聞いた話では、彼は毎週月曜日の20時に寿司を食べに行くのだそうだった。そして、いつも同じ服を着ているといった。
 その話を父にしたら、昔からそうだったと教えてくれた。昔と今と同じ服を着続けているという意味ではなく(当たり前か)、何か彼なりの法則に従った気に入りの服を何着も買い、それをローテーションしているんだそうだ。何につけても決まりごとを設定し、それに沿った生活を何十年もしている人なのだろう。

 ウラカミさん(仮名)はノリオくんよりももっと腰の入ったやくざをやっていた人で、3店舗めの店に顔を出したのはもう足を洗ったあとだった。ここに至るまでには、全国各地の刑務所を転々としたそうだ。比較的若いころから毛髪が減り始めたために、知り合ったころにはスキンヘッドにしていたが、人を和ませる穏やかな表情はどう見たって気のいいおじさんだった。でも小指はない。
 性格はさっぱりとしていて、訊けば刑務所暮らしのことをあれこれ教えてくれる。たまにそういう話をきくのはとてもたのしかった。長い刑務所暮らしのおかげで(?)とても行儀がよく、横断歩道を斜めに渡る父に対して顔をしかめるなどしていた。
 ほとんど毎日店に顔を出してくれていて、甘いもの好きだから饅頭なんかをみやげにすると、にこにこと喜んでくれる様子が好ましかった。でも全身しっかりもんもんが入っているから、真夏でもハイネック気味の長袖を着用していた。

父(ささやかな気づかいとしてぼかしてある)

 シンスケくん(仮名)は兄のトモダチだ。彼は気ままに暮らしていて、基本的には定職につかず、しばらく働いてまとまったお金を手にすると、世界各地を旅して歩いていた。そういう生活から携帯電話的なものをいっさい持たず、また日本にいても実家だけじゃなくあちこちに仮住まいしていたことから、兄は自分から連絡を取ることはほとんどできないといっていた(シンスケくんから兄への連絡方法としては公衆電話だ)。兄のトモダチとしては珍しく、父の店にときどきひとりでふらりとやってきた。
 シンスケくんも気は優しい。おおらかだし、明るい性格だった。にこっと笑って、「おお、つかさちゃん、久しぶり!」などと言ってくれるけれど、Tシャツの下にはいかついボディアートがしっかり透けて見えていた。

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 ほんとはもっと書いてたんだけど、けっこうな分量になってしまったので、また別の機会に続きを書くということにする。
 今回は男性のことばかり書いたけれど、店の後半というのはやはり父がひとりでやる、喫煙可能で硬派な(?)店だったということなどから、男性客が圧倒的多数を占めていたから仕方がない。母が切り盛りしていた時代の女性客については過去の記事にちょこちょこっと書いてあります。
 ところで、ここに書いたり書かなかったりしたおじさんたちは、ほとんどみんな奥さんがいるわけだけど、ふしぎと奥さん連れで店にくることはなかった。だからと言って別に家庭が冷えているというわけではなさそうで、もちろん仲のいい夫婦関係を保っている(とおもわれる)人もいた。
 ただそうはいってもやはり、パートナーのいない空間や時間、場所と言ったものは必要で、風通しよく生きる上ではけっこう大事なことなのかもしれない。

 もうひとつおもったこと。
 私は生まれたときからだいたいこんな環境にいて、店で過ごす時間だって多かった。ということは、両親の外向けの顔をある程度そばで見続けてきたわけだ。これがサラリーマン家庭なんかだと、親の仕事用の顔というのは知らない、見たことがないというのがほとんどではないか。
 社会においての、自分の両親に対する周りの評価というか、接し方というのを見て育ってこられたのは、なんだかちょっといいものかもしれない。それが自分のなかの父や母の姿とは、一致しない部分だってもちろんあるんだけれど、自分の視点と周りからの視点を持つことで、少し多角的な捉え方ができているような気がする。

 たびたび書いているように、両親、とくに父に対してはちょっとひと言では説明できないようないくつもの感情を持っているし、尊敬できない部分もたくさんあるけれど、こういったカラフルな人たちと知り合ったり、働くことがどういうことなのかを見せてくれる機会をつくってくれたという点においては少なくとも感謝といえる気もちがある。

 というところで、結局なかなかの長文になってしまった。

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