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さる、す、べり

 このあいだ『百日紅』という漫画を読ませてもらった。杉浦日向子氏の作品で、葛飾北斎と娘のお栄を中心に彼らの(たぶん)日常が描かれている。
 感想はいろいろだけれども、そのなかからひとつおもったことでも。

 第1話目からおんなの首が出てくるんだけれど、たまたまそこを通りかかった北斎さんチの居候、善次郎がその首をサラサラと紙に描いて持ってくるんですね。その絵でもって、こういうのがあったよって報せる。
 他に、死んだ親父の死に顔描いてくれっていう依頼が北斎さんのトコにやってくる、という話もある。
 写真などない時代だから、そうか、そういうことがあったんだな、とおもいながら読んでいて、ヒトの死んだ様子をほとんど体験したことがない自分、つまり今の時代と比べたりした。昔はもっと死は身近にあったことについて考えた。私などせいぜい葬儀場で棺桶に納められた故人に手を合わせたことくらいしかないです。

 なんだか今は、死は敬遠されているものね。この作品に限らず、歴史に関する書物なり映像作品なんかをみていると、日本でも、世界でも、戦いがあれば人が死ぬし、処刑だって公開でおこなわれることが少なくなかった。公開されてあれば人々は見にゆくし、戦いの場では人を殺めることだってあって、そこには出向かない人だって(女人や子供)襲われることがあった。
 現代では死はどちらかというと忌避されていて、見てはならないものというか、自宅でさえ死なせてくれないし、処刑だっていつの間にかどこかで行われていて、そういうものごとの扱われ方がずいぶん違うことにどこかモヤモヤとする。
 人が生まれるのも死ぬのも病院になってしまったし、刑罰は書類上の手続き的で人々の目に触れず、つまり実態が掴めず、感覚的にも遠いものになってしまっているようだ。それがどこか、正しいこととはおもわれなくて、ではどんなふうだったら正しいのかとか訊かれたところで、すぐには答えられないんだけれど(ちょっとねむたくって頭が回っていないというのもある)。

 そう、今日はすごくねむたくって何が書きたいんだかぜんぜんまとまらないのですよ。

 漫画はおもしろかった。江戸時代って、この『百日紅』の他といえば『浮浪雲』(秋山ジョージ氏)とか『さくらん』(安野モヨコ氏)とか、あとはいくつかの大河ドラマあたりくらいで得た知識くらいしか持ち合わせていないのだけれど、地方での暮らしはどんなだったんだろう。
 『百日紅』は、あっさりとした線の作品だったんだけれど、ところどころキレイな絵があったりして、そのあたりを書いてみたいような気もしたんだけれど、死人の話になりました。
 トップ画像は、そんな『百日紅』から何か持ってこようとおもいつつも、どうしてだか三八式歩兵銃(日本軍)とM1カービン(米軍)になってしまいました。妹尾河童さんの『河童のスケッチブック』から拝借して書き写したものです。
 三八って、明治38年制定という意味なんですね。これを日本軍は昭和20年代まで使用していたんだとか・・・。

 今日も、というかいつも以上に散らかった記事で申し訳ない。

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今日の「空模様」:冬至から3週間と少しが過ぎた。日が長くなってきたなあ。

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