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奈留島はアジがおいしい

 奈留島なるしまは五島列島の下五島地区にある島だ。いちばん大きな島である福江島から定期船が出ており、その船で30分ほどで行くことができる二次離島である。島の住人は現在3,000人に満たない程度だとおもう。つまり小さな島なのだけれど、世界遺産ということで登録の数年前から注目を集めだした。構成資産のある江上地区には鉄川與助氏の設計施工による江上教会がある。
 鉄川與助氏の手による教会堂には煉瓦造りの教会も多くあるなか、江上教会はすべて木造となっている。柔らかいクリームがかった白壁と窓枠には水色が使われ、愛らしいカラーリングの外観をもつこの教会堂はとても人気が高い。
 1906(明治39)年に簡素な教会が建てられたあと(古い民家を利用したともいわれる)、現在の江上教会は1917(大正6)年に着工され、1918(大正7)年3月に完成、2018年には100周年をむかえ建物の補修や記念の行事がおこなわれた。

桜が咲いた姿もよさそうだ(左手にあるのが桜の木)

 奈留島の江上地区に潜伏キリシタンたちが外海から移住してきたのは幕末といわれている。1881(明治14)年に4家族が洗礼を受け、教会堂が完成する1918年ごろまでに50戸余りの信徒世帯があった。それももう現在は1戸を残すのみとなっている。

 世界遺産登録を前にして、この地区では反対決議が出ていた。登録となれば大勢の観光客がやってきて建物の傷みは加速する。文化財であるため修理費用が莫大になること、限られた信徒数での維持管理に対しての不安が大きかったようだ。結局まわりに押し切られるようにして、登録へと進んでいくこととなってしまった。このあたりは住民として、信徒として島の人々がどんなふうな思いで暮らしているのかというのは正直わからない。

 奈留島には、司祭がいる奈留教会と巡回教会である江上教会、以前は他にもうひとつ巡回教会があった。南越なんこし教会といった。
 南越地区は、近くの葛島かずらしまを経て信徒が住みついたといわれていて、その信徒たちのために建てられた教会だった。南越教会が完成したのは1927(昭和2)年、その後1957(昭和32)年に建物の老朽化に伴う建て替えがあり、さらに時代が進むにつれ信徒の減少や高齢化、また土地が急勾配であることなどを理由に、2015年の12月に閉堂となり現在に至っている。建物は取り壊されておらず、対岸から見ることができるらしい。(敷地周辺は私有地のため立入不可)

 つまりいま奈留島にあって定期的にミサなどがおこなわれている教会堂は奈留教会と江上教会の2つだ。
 江上教会は規模としては大きくないけれど、それをじゅうぶん補うほど外見も中身も好ましい姿をしている。全面は海、小川がかよう森に囲まれたこの建物は、湿気の影響を抑えるために高床式となっている。また、屋根部分には同じく通気性を重視して通気口がつくられてあって、これがまた十字の花のように見えて可愛らしさに一役をかっている。
 内部は控えめながら装飾帯のあるリブ・ヴォールト天井(こうもり天井)がうつくしい。一度この堂内で信徒の方がうたう讃美歌を聴いたことがあるが、音の響きがよかった。床がヘリンボーン(寄木張り)なのもいい。内部の特徴としては、三廊式であることと、リブ・ヴォールト天井のほか、柱や天井の木材に施された手描きの木目などがある。これは黒島教会(佐世保市)や出津教会(長崎市)などでも見られる技法で、安価な材質を上等に見せるためとおもわれる。と、こんなことを話すと、やたらとみんな柱を触りたがるので小声にしておく。
 またこの教会はガラス窓に施された手書き装飾も人気がある。玄関部天井の嵌めごろしの窓と合わせて、日本人が大好きな桜をおもわせる意匠(花)となっている。

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 先月(もう先月になるのか)、奈留島を再訪した。2年か3年かそれくらいぶりだった。2021年の11月に開館した『奈留島世界遺産ガイダンスセンター』を訪問した。小規模ながらいくつかの展示物があり、そのなかでは瓦に目がいった。
 それは実際に江上教会堂の屋根に葺かれていた瓦で、2016年の修復の際に新しい瓦に取り替えられたというので展示してあった。瓦の裏面にあった刻印から、福岡県久留米市城島町で作られた城島瓦と書いてある。ぜんぜん知らなかったけれど、城島町というのは大正時代には瓦の製造業者が140件ほどもあった、全国有数の瓦の生産地であったらしい。久留米という土地にはこのごろちょっとした縁を感じていただけに、おおっとおもう。久留米もなかなかである。
 他にこの施設の見どころはといわれても言葉に詰まるが、まあ各種パンフレット類が揃えてあったり、島の情報や望めばガイドも頼めるようなので、訪問の際には立ち寄ってみることをすすめる。

鬼瓦/奈留島世界遺産ガイダンスセンター蔵

 施設内の案内板のなかに「奈留島前史」が書かれた1枚があった。それによると8世紀初頭から16世紀にかけては、遣唐使船や大陸との交易船の寄港地として、海外交易上の拠点となっていたとある。13世紀ごろは奈留氏がこの地を治め室町幕府から派遣された遣明船の護衛などを担っていたが、15世紀の初頭になると五島列島全域を宇久氏(のち改姓して五島氏)が支配領域としていたため、その傘下に入っていった。江戸時代には代官も置かれたが、平地のすくないこの島において住民の生活は半農半漁といったところで、開拓は進まず、未開拓地となって残されていった。そこに目をつけたのが潜伏キリシタンたちで、ここを移住先として選んだというのがおおまかな成り立ちのようだ。奈留島で獲れたというアジの開きはとても立派でおいしかった。

「ぶじにかえる」とかそういうことだろうか

 世界遺産を観光の目玉にしているため、ここを訪れる観光客の大半が江上教会を目当てにしているといって差し支えないとおもう。また、福江島と奈留島の間にある久賀島ひさかじまにも構成資産があるため、海上タクシーでそれぞれの教会堂をピンポイントで目指してやってくるツアー客なども多い(ここ2年はさすがに激減しているが)。行程を聞くと、長崎や佐世保、あるいは博多といった港からチャーター船で世界遺産を巡るツアーとかいったたぐいのものだ。ほとんど目の前に接岸して、教会堂をひと通り見てまた出発する。島を歩いたりする時間はない。ああいうのは効率としてはいいかもしれないが、なんだか風情がないようにもおもわれる。まあ、私がいうことでもないんだろう。
 また、ときたま観光客の人と会話したりもするんだけど、それぞれ興味がむかうところが違うというのもおもしろい。私が冒頭に書いたように、鉄川與助氏の設計とかそういう建築物としての側面に興味をもってやってくる人、テレビ番組や映像作品(あるいは好きな芸能人が訪れたなど)で観た土地に立ってみたいという人、もちろん巡礼者もいるし、学生や学者と言った論文のためという人もいる。変わったところでは世界遺産登録の記念銘板の写真を、全国各地を巡って集めているなんていう人もいたりする。その他にふらりとやってきた人のなかには、こちらが思いもよらないような質問をしてきたりするからおもしろい。
 旅に限らないことだが、何を求めているかとか、選んだ理由というのは多種多様で興味深い。

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 奈留島には他にも遠見番山烽火台跡(市指定文化財史跡)や平家塚石塔群(落人の墓といわれる)、寺屋敷石塔群(室町時代の墓)などといった、キリシタン移住より以前の歴史や文化が感じられる場所や、池塚のビーチロック(市指定天然記念物)やトンボロ(陸繋砂州:県自然環境保全地域)などの自然あふれる見どころもあるのだけれど、私はそのほとんどが未訪問のまま今に至っている。仕事がら、キリシタン関係の場所への訪問が多くなってしまうが、いつかそれらの場所にも行ってみたいとおもっている。

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