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鍛冶屋町あたり

 支払いのため古書店に行った。6週間くらい前のことになる。

 この古書店はずいぶん古くて、創業は100年を超えているらしい。年に数回伺う機会があるけれど、店番は年配と壮年の男性のどちらかだ(たぶん親子だろう)。このときは年配氏がいた。
 領収書を切ってもらうのを待つ間、手近にあった小さな本が目についた。図書館で見かけたことのあるそれは、文庫本よりも小さい長崎や九州各地の昔話集だった。ぱらぱらめくってみて、サイズの好ましさと中身への興味で、いくつもある中から4冊を選んで買い求めることにした。

 年配氏は、「これは貴方が(個人的に)買うの?」と訊いた。そうですとこたえると「ぜんぶで2,200円だけど、いつもわざわざ支払いに足を運んでくれるし、お勉強しようね。2,000円頂戴」と言って、ディスカウントしてくれた。さりげない言い方がよかった。
 ほくほくして店を出た。

*

 それからしばらくして、昼の散歩でシシトキ川近くを特にあてもなく歩いた。このあたりに輸入雑貨店があったのを思い出して、店のあった場所まで行ってみると、まだ営業を続けていた。シシトキ川というのは、古書店のすぐ裏手の通りにあたる。
 暑い日で、入口でマスクを着けて(息が上がってしにそうである)入店すると、年配の女性がいらっしゃいと言った。そう広くない店内には、輸入雑貨店らしく沢山の商品があふれ、他にお客はなかった。
 歩いてくたびれていたのと、久しぶりの訪問でいろいろと興味深く見せてもらう。オーナー(たぶん)の女性も「散らかっているけれどゆっくり見てくださいね」と言ってくれた。
 わが町にこういう店(洒落た雑貨店)は多くないし、ごちゃごちゃの中から探すのは案外たのしい。私が好きなファイヤーキングのものもいくつかあった。欲しいものはあれこれあるものの、色んな兼ね合いでじっくり考えてしまうのは私の癖で、これはあまりイイところとはいえないかもしれない。
 分厚いガラスの、小さなグラスが目についた。手に取って眺めていると、店主が声をかけてくれた。そのショットグラスは4つセットだけれど、単品売りもできますよ。ぜんぶカットデザインが違うから、好きなものを選んでね、ということだった。

 テキーラを飲むわけでもなし、確かに4つは不要である。私はこれに、楊枝を入れたいと思ったのだった。
 悩んだ末(4つセットのほうがいくらか安い)、やっぱり1つだけ買うことにして、包んでもらった。いい買い物だった。

 このあたりにはコーヒー・スタンドみたいな店もある。ずっと前に1度利用したけれど、今っぽいしゃれた人々が集う店といった感じで、なじめなかった。けっこう人気があるらしく、雑貨店に寄ったこの日も数人の客が見えた。

*

 鍛冶屋町には知人がやっていた古い長崎雑貨(古賀人形や長崎染)の店もあったんだけど、それももうなくなってしまったし、景観もずいぶん変わってしまった。
 そういえばずっと以前、このあたりで花をつけた月下美人に出合った夜があった。ものすごい芳香で、幻想的な花を咲かせた姿は印象深い。珍しい花だから写真があればよかったけれど、なにせ十数年も前のことだし、残念ながら絵にも描けないから思い出話だけ。

 以前も書いたが、手元にある長崎の古地図復元図(江戸時代)を今回も開いた。このあたりは東西にのびる通りと、南北を貫く通りがこまごまと走っている。本によれば東西を本通り、南北が横町ということらしく、このふたつは道幅が違い、本通りの方がいくらか広い。そう言われてみると確かにその通りで、寺町通りから一本西の通り(中通り商店街)は車両が通れない細い通りだ。平行に走る寺町通りや、中島川沿いも一方通行である。なるほどとおもった。

*

 鍛冶屋町はくんち踊町のひとつで、演し物は宝船と七福神である。とてもめでたい。
 昭和41年に当時の今籠町全域と鍛冶屋町・萬屋よろずや町・榎津町・銀屋町・高平町・八坂町の各一部が合併し現在に至る。
 はじめに書いた古書店から北方向は寺町通りで、晧臺寺こうたいじ・長照寺・延命寺・興福寺・浄安寺・三宝寺・深崇寺・禅林寺と続き、その向こうはもう八幡町となる。この中の延命寺には20年近く前に仕事で縁があった。
 1800の折りたたみテーブル(しかもFRP加工が施してあって重い)をこの寺に40台くらい貸し出すことが年に数回あって、すごく長い階段を何往復もして運ばなければならなかった。今より20歳ほど若かったといっても、テーブルを両手に持ち階段を昇り降りするとへとへとになる。「延命」寺とはいかに・・・などと、考えても意味のないようなことを頭に浮かべながら、上司と2人でひたすら運んだ思い出(?)がある。
 話がそれた。
 古書店のすぐ南は交差点になっていて、東にのびるのが「崇福寺通り」で、ドン突き(ほんとはそのまま折れて崇福寺通りは続くけど)に崇福寺(大雄宝殿は国宝)がある。崇福寺を過ぎて通りを南下、すぐにまた東に続く道を歩くと、八坂神社・清水寺せいすいじと続く。八坂神社では子どものころ七五三をした。厄の際にもここでお祓いしてもらった。七五三は、紫色の着物だった。
 八坂神社では先週ほおずき市が立っていたらしい。今年のぎおん祭は規模縮小でおこなわれたとのことである。八坂神社境内には桜姫美人稲荷があって、このため女性に人気である。

 崇福寺の思い出といえば、数年前に宮崎から友人が遊びにきて市内を案内してまわった際、閉門まぎわに中に入ったことだ。夕暮れの崇福寺の受付には人の姿は見えなくて、途中で誰かに出合えば払うつもりで友人と入った。でも結局誰にも合わず、15分ほど(うろ覚え)滞在したけれど門が閉まることもなかった。なんだかふしぎな夜だった。

 鍛冶屋町周辺のことを書いてみた。

竹製の楊枝を入れた

↑ファイヤーキングなどのことを書いた。

↑散策と古地図復元図のこと。

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