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教会の鐘についてのいろいろ

 長崎県の北の方にある平戸市は、早くから外国に開いていた地で知られている。田平町には、長崎における教会建築で有名な鉄川與助氏の設計施工ということで訪れる人の注目を集めている田平教会がある。このあたりへのキリシタンの入植は、外海の出津教会のド・ロ神父と、黒島教会のラゲ神父によっておこなわれた移住開拓事業が始まりと言われる。

 第1回目の移住は1886(明治19)年で、外海から4家族、黒島から2家族だった。その時から代々田平で生活を続けてこられた方とのご縁があり、こちらも(外海ほどではないが)ときどき訪ねていく。
 そして会えば色んなことを教えてくれるし、資料を見せてくれたりもする。田平のものでは、ある節目で発刊された教会史がいくつか手元にある。

 この田平教会の教会史をめくっていて目についた、教会の鐘のことを少し書いてみたい。

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 田平教会のアンゼラスの鐘(※1)は、フランスから取り寄せたもので、1931年2月11日に初めて鐘の音を響かせたとある。
 購入の際、多額の輸入税がかけられるところだったが、鐘の役割として時報のほか火災や災害が起こったとき、村民に急を知らせるなどの大事さを説き、無税で引き取れたそうだ。
 また太平洋戦争期には金属回収の要請があったが、様々な応援を得て供出を免れている。
 この鐘は上から下がるロープを引いて鳴らす手動のもの。観光で訪れる人の中には勝手に鐘を鳴らそうとする方もいるらしいが、「鳴らしてもいい」とおもって鳴らそうとするのか、その辺りの心理がよく理解できない。そういう扱われ方がなるべく少ない世の中がいい(教会に限らない)。

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 一方、出津教会のアンゼルスの鐘(※2)は1943年に回収されてしまった。こちらもド・ロ神父の特別注文でフランス製のものだった。お別れするのは大変かなしかっただろうと想像する。回収されたのち8年間は、鐘の代わりとしてド・ロ神父が持参した西洋の放牧用ラッパを用い、1951年に日本製の鐘を購入し鐘楼に揚げられた。その後出津教会の100周年を迎えた1982年に記念としてイタリア製のアンゼルスの鐘が取り寄せられ、鐘楼も新しく建て替えられた。この鐘は電動式で、正午の音を何度か聴いたことがある。(※1、2:それぞれ教会史の表記による)

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 もう一つは大浦天主堂のもので、資料には聖鐘と書いてある。教会の献堂時(1865年)にフランスの信者より寄贈されたものらしく、こちらも大戦時の供出を免れ、現在もその音を聴くことができる。以前は手動で鳴らしていたが、現在は自動式となっている。
 大浦天主堂付近では、この鐘の音や近くの妙行寺の梵鐘の音、港から響く汽笛の音など賑やかだと言われたことがある。そうかもしれない。

 諸外国の鐘の音について考えたことはないけれど、これを書いていたら興味が湧いてきた。いつかヨーロッパなどに行って鐘の音を聴いてみたい。

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 田平教会。これは2015年に母を連れて訪ねたときのもので、霧雨というか、細かな水滴が空気中に浮かんでいるような雨の日だったためこのような写真になった。

 こんな風に眺めると、どこか外国の田園風景のように見える。

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