見出し画像

喫茶店百景-休息の場所としての喫茶店-

 カウンターに座るようなお客さんはほとんどが常連で、店が立て込んでなければコーヒーを飲みながら父や母との会話をたのしんでいた。お客さんの邪魔にならなければ、私もそこに加わる。まあ学校が終ってからの時間はそう混まないのでだいたいカウンターに座る。

 近所で大学生向けのアパートを経営していたMDさんの奥さんも、買い物のついでにほとんど毎日来店した。MDさんは喫煙者なのでコーヒーを飲みながらたばこを吸うけれど、会話から家では吸わない人だった。つまり旦那さんには内緒にしていた。
 近くの信用金庫に勤めるHさんは、すごく細いたばこを吸っていた。その銘柄は1本が細いので、箱もふつうのより薄い。自分が勤める信用金庫の紙幣用封筒に入れて持ち歩いていた。旦那さんと子どもたちに知られないためである。

 家族に喫煙者であることを隠していることについて、この2人は特に印象深かった。MDさんの旦那さんは、癇癪を起すと暴れて手が付けられないらしく、たばこがバレたらとんでもないことになるといつもびくびくしていた。Hさんは子どもが確かその当時小学校にあがる前だったか、一度たばこを入れた封筒を見られそうになったと言って慌てていた。

 MDさんなんか本当に旦那さんがおそろしいみたいで、店に来てはたくさん不満を言い、たくさんたばこを吸い、帰りたくないと肩を落として帰っていた。子どもはいないから、家に帰れば旦那さんと2人きりだ。

 イギリスで起こったコーヒー・ハウスという文化がもとは社交場だったように、このころの喫茶店というのは私が初めて接した『社交場』だったとおもう(コーヒー・ハウスに女性は出入りできなかったけど)。MDさんのように子どもがいなかったり、他所からお嫁に来ていたりすると家庭の外の社交場というのは貴重だし、大事な役割を持つとおもう。店で過ごすMDさんの笑顔は忘れがたい。そして、これらの女性たちはほとんど母に会いに来ていたようにも見えた。父が外に働きに行っていたころの話。

 夫婦において(恋人でも)、隠しごとをしないと成立しない関係はさみしいけれど、人には色んな事情があるからそこはいい。ただMDさんやHさん、それからあの当時来店してくれていたお客さんたちが、ほっとできる場所がウチの店だったことや、打ち明けられる相手が私の両親だったことなどはうれしくおもう。そういう世界を見られたことも。

 孤独っていうのはダメージが大きい。できれば家族との関係が良好なのがいいけれど、それがむずかしい場合はこういった場所を持てる世界がいい。

この記事が参加している募集

振り返りnote

サポートを頂戴しましたら、チョコレートか機材か旅の資金にさせていただきます。