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身近な土地のちょっとした探検

 久しぶりに外海に行って、TKさんに会ってきた。御用伺いといったところである。変わらずお元気そうだったので安心した。
 この日は少し時間をとってきたため(いちおう仕事です)、以前から気になっていた場所に連れて行ってほしいと頼んでみたところ、快諾してくれた。TKさんは私に甘い。行きたいのは樫山という地区だった。
 そこに何があるのかというと、茂重もじゅうという殉教者の墓所だ。赤岳と呼ばれる御岳のふもとに大神宮があって、そこには茂重をたたえる顕彰碑がある。2017年の年末に、この大神宮に連れて行ってもらったことがあって、そのときに近くに墓があることを聞いて以来ずっと心のこりとなっていたのだった。大神宮にある案内板を書き写す。

-東樫山皇大神宮と殉教者茂重翁碑-

 この神社は、もともと7人のキリシタン殉教者を祀る社で『弁財天』と呼ばれていた。
 安政3(1856)年の浦上三番崩れの時、この地の領主佐賀藩深堀家では、弁財天がキリシタンに係りがあると考えて天照皇大神を祀ることにした。
 皇大神宮の地には、かつて「バスチャンの椿」と呼ばれる椿の巨木があって外海地方のキリシタンの心の支えになっていた。しかし「浦上三番崩れ」の時に役人に取り上げられることを恐れて、キリシタンは自ら切り倒し、椿の気の木片を家々に配り大切に祀ることにした。
 背後の赤岳はキリシタンの霊山として浦上や外海の人々に崇められてきた。
 『殉教者茂重の碑』は、浦上三番崩れの時、連座して殉教した東樫山の指導者茂重を追悼して建てたものである。
 なお、茂重の墓碑は、南へ約450米の東樫山キリシタン墓地にある。

平成30年11月 三重地区史談会

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 まず大神宮にお詣りをして、墓所に向かった。TKさんは自家用車が傷つくのをものともせずに、トンネルみたいな雑木林のなかをどんどん進んでいく(すみません…)。もうこれ以上はやめておこうという場所まで行って車を停めて、歩いて進んだ。奥の方に墓石や背の低い石塀がいくつか見えた。茂重さんの墓の前に行き、手を合わせて、ふたりでしばらくそこに立っていた。

 この、赤岳というところも気になっていた場所だった。以前記事の中でちょっと書いたのだけど、ここに三度巡礼するとローマに巡礼したことになる、という言い伝えがあって、だけどその赤岳というのがどこを指すのかわからなかったのだ。TKさんに訊いたところ、この茂重の墓所のあたりが麓だというのだけれど、木々に覆われていてだいたいの場所しかわからないみたいだった。大神宮の案内板と合わせて考えてみると、大神宮にでもお詣りをするということなのだろう。TKさんの自家用車にいくつもの模様をつけて(ほんとにすみません)、来た道を戻った。

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 戻る途中、TKさんたちの子どもの頃の遠足地だったという場所を教えてもらった。そこは、私がポケットの海と名付けたところだった。三重崎というらしかった。ちょっとした探検だったけれど、いくつかのことを知ることができたし、とてもたのしかった。

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 TKさんにはこれまで色んな場所への道先案内をしてもらってきた。私はだいたいいつも、TKさんの背中を見ながら後ろをついていくことになる。この大きな背中に何度たすけられたかな、とふと考えた。

 私がこの仕事に就いたのはちょっとした縁からで、特に思い入れみたいなものをもって臨んだわけではないのだけれど、いまおもうとTKさんは私の人生においてけっこう大きな存在なんだと感じている。すごくたくさんのことを教わったし、そばにいると自分が小さな子どもみたいに感じられて安心できた。未信者である私をいつだって受け入れてくれた。こうやってときどき会って、お互いに好き放題言い合っているだけで安らげる。TKさんのおかげで正気を保って生きてこられた部分も大きい。

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尊い背中

 ずっと私のそばにいてほしいな。いつもそんなふうにおもってしまう。私はほんとうに甘えが強い。

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 TKさんの奥さまはお菓子作りの腕前がすごい。この日は、新作のかわいいクッキーをくれた。おいしかった。

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お花の色が3原色だ


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