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死に見で一杯

数年前、21でメンタルをやった。
正確に言えばそれより前からやっていたのかも知れないが。

気分の落ち込みには慣れた。
閉塞感にも、孤独にも。
洗わなくていいように、紙皿や割り箸を準備しておくようになった。
3日ぶりのシャワーも、もう珍しくない。

死にたさにも、慣れてしまった。


世間一般、希死念慮と呼ばれるあいつ。

最初は闘うつもりだったあいつは、
今では仲良く隣に並んで歩いている。

どこかへ去るわけでもなく、
攻撃してくるわけでもなく、
ただ、そこに居る。

好かず、嫌わず、ただ一緒に歩いてみることにした。

こちらから声をかけない限りは、
向こうから来ることはないと、
僕は思っている。


軽くはないいうつの割には、
僕は大丈夫(?)な方だと思う。

待つことが得意な僕は、
どうやらひたすら耐える能力も高いらしい。

時折こちらに手を振るあいつが、それに飽きるまで、
じっと耐えることにしている。
なんともないわけは無いが、なんとか耐えている。
手を振り返してしまえば、きっと引っ張られてしまうから。

潔く散ってしまいたいとは思うものの、
散り損いたくは無い。

どこかの誰かが言っていた。
「死神とは戦うな。手を繋いで踊れ。」
神を信じきっていない僕は、死神にもさほど興味はない。


「死に見で一杯」

評価される言葉ではないと思うが。

この心に居座る死にたさは、
酒のアテに、割とちょうどいい。

それくらいには、慣れてしまった、
それくらいには、受け入れてしまった。

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