めたふぁー

徳島生まれの大阪育ち。書生。

めたふぁー

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最近の記事

スタンドバイ自分

私は今学期、死んだ人をたくさん見た。といっても映画の中だけど。 モザンビークの子ども兵 ルムンバの叫び ホテル・ルワンダ 人間が殺されるシーンや死体がゴロゴロ転がっているシーンがたくさん出てきて、しかもそれが実際に起こったことであって、もうどんなに怖いホラー映画を観ても何も怖くないだろうと思った。 でもこの前、友達の家で心霊スポットのYouTubeが流れていたけど、画面に目を向けられなかったし、Netflixでイカゲームを観たけど、グロくてグロくてビクビクしながら観ていた。

    • 今、暗み

      20歳の今、人生で一番辛い気がする 勉強に友達に恋愛に将来に人間に それが良いのか?と思うことばかりで 足元がフラフラしておぼつかない 隣の芝が青く見えて 自分の行動を変えてしまいそうで 唸り声しか出てこない 変わろうとしているのは 現状に満足していないからか 自分に嘘ついて 言いたいことは頭の中から出ていかない 自己肯定感は過去最低で何も楽しくない

      • 菊と私

        サッカーで仲間のボールを奪ったことがあります。 卒園式の練習で、違うことを考えていてボーッとしていたため、先生にいつも怒られていました。 図画工作の時間で、班の子と喋りすぎて全く作品が進んでいないことが、先生によってクラス中に晒されたことがあります。 図画工作の時間で、アイデアが全く浮かばず、班の子の作品をパクったことがあります。 「アホ」のたった2文字で目頭が熱くなったことがあります。 車が横を通った時に、「危ない!」と言って、一緒に歩いていた友達を押したことがあ

        • 完璧人間

          世の中には「普通」を尊ぶ風潮と「個性」を尊ぶ風潮があります。 私にもその風潮があります。小学校の真ん中あたりのまだ小さい頃、「普通」をとても意識していました。例えば、色が選ぶことができるものは「白」を選んでいました。「白」が全ての色の「基本」だと思っていたからです。それから、ワッフル屋で味を選ぶときは「プレーン」を選びました。何段にも並んでいるものから一つ取る時は上の左隅のものをとっていたし、シリーズものは下から順番に積み上げました。人を描く時は、丸い顔にラグビーボールのよ

          私的人間観察法

          今まで生きてきたことしばしばにして 「あんな髪型なのに、しっかりしたコメントができとるなぁ〜。」 とか 「礼儀正しくて優しいあの子がねぇ〜。なんであんなことをしたのかしら?」 という「想定外」であったことを言う人がいますが、私はそれがなんとなく格好悪く感じたので、ある時その解決法を思いついて、それを実行してきました。 その方法はあまりに単純明快で、馬鹿げていると思うかもしれませんが、それによって現実と思想との間にある溝をいとも簡単に埋めてしまうのです。 それは

          私的人間観察法

          私の悩み

          高校生の頃から、 「その後、二人は幸せに暮らしました。」 という終わりの言葉が少し怖くなりました。 二人は特に何もしていなくて、毎日同じ生活をしていて、幸せって何?ってなりました。 「充実した私生活」と聞くと、友人や恋人と遊んだり、趣味に没頭したりする場面を思い浮かべますが、それが充実?ってなりました。 要は、その人の心の持ちようであって、その人の心が満たされていれば、それを幸せと呼ぶのでしょう。 つまり、何かに酔ったり、依存したりすることがそれにあたるわけで、他

          私の嫌いなもの

          私が小学生の頃、クラスに一人の男子のいじめっ子と一人の男子のいじめられっ子がいました。 いじめっ子はいつもいじめられっ子に気に障ることを言って、いじめられっ子が「ふがー!」と怒ることを楽しんでいました。 ある日、そのいじめられっ子が「ふがー!」と怒ると、勢い余って口から唾が垂れました。 クラスの女子がそれを見て「ひゃーー!」と言いました。 私はこの時に女子があげる、嘲笑にも似た絶妙な音調の悲鳴が 小学生の頃、大嫌いでした。

          私の嫌いなもの

          カミュ

          私は小さい頃から「好き嫌いするな」とよく言われていました。 イカの刺身、うずらの卵、焼き茄子、キノコ入り味噌汁が出てくると、それを最後まで置いておきました。 「食べなさい」 私は泣く泣く食べました。えずきながら。 すると、怒られます。 「食べ物に失礼や!」 嫌いなものが出てくる食事は私にとって恐怖でした。 それは親だけではなくて学校の先生や諸々の大人においても同じでした。 それから何年か過ぎて、私は成人を迎えました。 嫌いなものが好きになったことはなかったけれど、