カミュ
私は小さい頃から「好き嫌いするな」とよく言われていました。
イカの刺身、うずらの卵、焼き茄子、キノコ入り味噌汁が出てくると、それを最後まで置いておきました。
「食べなさい」
私は泣く泣く食べました。えずきながら。
すると、怒られます。
「食べ物に失礼や!」
嫌いなものが出てくる食事は私にとって恐怖でした。
それは親だけではなくて学校の先生や諸々の大人においても同じでした。
それから何年か過ぎて、私は成人を迎えました。
嫌いなものが好きになったことはなかったけれど、無理に食べさせられてきたおかげで、顔色一つ変えずに食べることができるようになりました。私は未熟ながらも大人になったと思いました。
しかし、親や姉も含めて世の中の大人や同級生を見ると、嫌いな食べ物を単に「おいしくない」と言って残しています。
「嫌なら残せばいいよ」
「お腹いっぱいなら残しても仕方がないね」
私は耳を疑いました。
私が子供の頃に受けてきた教育と、今見ている現実が睨み合っています。
言い換えると、両端に顔のある奇形の蛇がずっとお互いを喰おうと争っているのです。
社会の教科書には、フードロスや飢餓が問題になっていると書いていましたが
犯人はそれを書いた者と同じ「大人」だったのだと気づきました。
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