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緑道のマトリクス

 私たちが何か記憶を呼び起こすという時には必ず、その記憶というものは上書きされてしまう。呼び起こした時の心理状態であるだとか、まわりの状況だとかを加味したかたちで上書きされてしまうというようなことがあります。特に私たちの脳には確証性バイアスと呼ばれる一つの偏向性がありまして、要するに都合のいいことだけ覚えていくというような傾向があります。したがって、昔の話というものはどんどん美化されていくという傾向がある。そういうふうなことも、一つ、あの、昔の話をするときに問題になるであろうと私は考えております。したがいまして、私が知りえる範囲が極めて限定されているということと、そして、これを報告することにあたって、客観的な報告にはならないというに点を、特に気にしているということであります。

 俺はベッドに縛り付けられヘッドホンが装着される。そして、緊急時のスイッチを握らされると、ベッドごど閉鎖空間に押し込まれていった。ヘッドホンからはウチの嫁が言うところの「歯医者のような音楽」が流れている。しかし、ここは歯医者ではない。やがて、ガコンガコンという騒音に続いて、古いSF映画のレーザービームのような音が鳴り響く。「歯医者のような音楽」はかき消された。
 選曲ができればいいのにと思う。どうせ聞こえなくなるのならヘビーメタルとかハードコアパンクとかのほうがいいのではないか。普段からそんな音楽は聞かないが、Rebel Riotは応援してるよ。まだ新譜は買ってないけど。

 15分のMRI検査に耐え、医師からは「問題ないですね」と告げられた。
 処方箋をもらうため通っているクリニックは、家から電車を乗り継がなければならない不便な場所にある。もともとは自転車で通える病院に通っていたのだが、主治医から週一で勤務しているクリニックに移ってほしいと懇願されたのだ。大病院は患者が多く確かに待たされる。俺のように一言二言交わして処方箋を出すだけの奴はクリニックに回って欲しいようなのだ。
 電車代を請求したいところだが、四半期に一度のことだ。たまには別の街に足をのばすのも悪くないかと渋々受諾した。
 薬を受け取ったら、いつもならまっすぐニュータウンへ帰る。しかし、今日はとある講演を聞いてみようと考えていた。思っていたり検査が早く終わってしまい、乗換駅で時間をつぶすことにした。
 この駅前にはなんと同じ通り沿いに図書館とブックオフがある。時間をつぶすには持って来いの場所だった。「百年泥」と「金閣を焼かなければならぬ」を借りて、「フィッシュストーリー」と「ヤクザと原発」の文庫を買った。
 ここは我がニュータウンとは異なり割と古くからの街で、町の中華屋などが残っている。厨房では小太りの主人が不機嫌そうに中華鍋を振り、アルバイトと思しき若い男女が各テーブルに食事を運んでいた。俺はカウンターにつく。メニューを開けばサンマーメン、横浜市民であったことを思い知らされた。ニュータウンでは家系ラーメンを見かけることがあってもサンマーメンを見ることがない。でも、麺な気分じゃないんだよな。と、日替わり定食を頼んだ。メインディッシュはニラ玉。中華料理屋なのに一口大の冷奴とたくわんがついてくる。町中華として実に正しい。
 腹を満たしてニュータウンへ戻る。そして、区役所併設の公会堂へ向かった。我が町にはサンマーメンが足りないが、各地には緑豊かな公園とそれをつなぐ緑道が形成されている。その設計者が講演をするとのことで、緑を愛する多くの区民が集まっていた。400名の会場なんてスカスカになるのではないかと思っていたのだが、大いに驚いた。

 会場に入るとアンケート用紙とうちわを渡された。そこにはGREEN x EXPO 2027の文字。う、そういうことか。これは壮大な GREEN washing EXPO の序章ではないか。

 しかし、その不安を覆すように講演内容はとても興味深いものであった。司会者は行政の方だろうか?彼の口からも 、そして、正面の大型スクリーンにも GREEN x EXPO という言葉は出てこなかった。
 冒頭の文章は講師である上野氏の言葉である。いきなり「客観的な報告にはならない」と宣言したことに、俺は感銘を受けた。司会者が消えると、壇上の隅に講師が一人、大きなスクリーンに資料が投影され、会場の電気が消された。抑揚のない語りで淡々と進む講演。俺は気になった発言をほとんど見えないノートに書きとった。
 以下、その記録である。

 都市設定として、その骨格は緑にするべきである。道路を骨格にしてしまうと、時代の変化で交通量が変わったりすると変更する必要が生じる。都市の骨格を担うものとしては、時代に応じてニーズが変わらないものが望ましい。

 都市設計を考える上で明治神宮外苑を参考にした。都市の中に緑があるという前例であった。(誰もが再開発の事案を思い浮かべただろう)。

 港北ニュータウンのトライアルはグリーンマトリクスの構想だった。各地に公園を点在させるのではなく、細長い公園のマトリクスを作りたかった。結果、公園を緑道でつなぐという形となり、主要な住宅はその緑道に沿うよう建てられた。

 もともと農村であった場所を都市にする計画で、緑地を整備するのではなく既存の植生を利用(保全)し、これを骨格とした。
 手を付けずに残した部分を中空(Void)という言葉で表現していた。

 培地の上で細菌がコロニーを作るように、都市そして生命は後背地が支えている。そこから食料・資材など様々なものが届く。人間が一本の管とすれば摂取と排泄で大地とつながっている。また、人間の管である腸内にも細菌が生きている。
 この辺の下りで何を伝えたかったのかいまいち掴めなかったが、生物学に明るいのだろう、生命と都市の対比をよく用いていていた。

 都市は環境基盤の上に成り立っている。そこには様々な露頭が確認できる。道路に亀裂が生じ草が生えてくるような自然発生的なもの、都市の隙間に街路樹を植えるという人工的なもの。そして、都市を貫く大河川。

 公園を回廊でつないでいくことで都市としてのポテンシャルが上がる。クマが出没するなどネガティブな面もあるかもしれないが、人間だけではない生物との共生を可能としている。
 道路は人間のネットワーク。緑道は人間だけではない生物のネットワーク。色々な生命が共生することで都市は都市らしくなる。

 今後のビジョンは「偏(へだたり)」から「遍(あまねくある)」へ。緑の保全と非都市を都市へ内在化させていく。水と油のように混ざらないものを馴染ませる界面活性剤のようなはたらきをしていきたい。江戸時代に武家屋敷が自然の緑を抱えていたように、小さな力(?)で緑を都市に点在させていく。
 市民-行政-企業が連帯して、スモールパワー/スモールターゲットで町全体に緑を残す「大きな田舎」を形成していきたい。

 上野氏の講演後、十分な質疑応答の時間も取られ、中々厳しい意見も飛んできた。その中では本編で語られなかった本音もチラリ。

 既存の植生を残した緑道を形成したことによって、災害に強いニュータウンになったのか?
 そうとも言い切れない。開発途中で大量の水を流す試験を行った際、地表が崩れて死者が出た(ビックリ)。後にそこが盛り土であったことが分かった。過去の開発記録は重要だがすべてを残しておくのも難しい。「ナントカが丘」と名前のついた土地でも、元々農地だったところを盛っただけというところも少なくない。地価が下がることを懸念する業者が、土地の歴史を公開しないケースがある。

 何十年も昔からこの地に暮らしていた方からは、現在の公園には、花も、カメも、魚も、外来種ばかりだという指摘が出た。ニュータウンは文明的になったが文化的ではないという苦言も。
 上野氏からコメントはなかったが、デザインの問題なのか、その後の市民や行政による管理の問題なのかは分からない。

 港北ニュータウンのデザインにおいてやり残したことはなかったか?
 やり残したことという訳ではないが、本当はこのような区画整理ではなく、既存集落をベースに残してその周辺にニュータウンを造成するようなデザインにしたかった。

 スモールパワー/スモールターゲットというビジョンを示したが、この港北ニュータウンはビッグターゲットで造られましたよね?
 今の時代を考えれば、ビッグターゲットというやり方はもう破綻している。時代にあった保全・管理をしていかなければならない。

 学びの多い一日であった。市民-行政-企業が連帯しろと言われると、どうしても東京都のような行政-企業の思惑が先行した再開発がちらつく。そして、ここは菅義偉を生み出した神奈川第二区を持つ横浜市。緑の管理に市民が連携するのは当たり前であるが、金にならないことは自助だ共助だと、こちらに押し付けてくるのではないかという不安が横切る。
 上野氏はGREEN x EXPO 2027の開催にどんな意義があると感じているのだろう。

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