よい比較わるい比較〜他人と比べちゃうあなたに〜
ノートを見てて思ったことがあります。
「みんなしゅごい・・・]」
ややもすると、少し上から目線な感じですが、上からではなく客観的な目線だということでお願いします。
自分のコーチングの大先輩の二人がこんなことを言ってました。
「人と同じことじゃなくて私にしか出来ないことをする」
「自己評価を上げること以外しなくていい」
ノートを読んでて思った「みんなすげぇわ」ですが、この二人の言葉を通して考えると、比較にも”良いもの”と”良くないもの”があることが見えてきました。
少し前まで比較を否定していた
以前は、”他人は他人、自分は自分”と思って比較することはしませんでした。
更に昔は比較ばかりで凹みMAX!って感じでしたけど・・・。
でも、今は積極的にとまでは言いませんが、ある部分では他人と自分を比較しています。
どんな比較かと言えば、それは似た主張をしていないかを確認するための比較です。
オリジナリティがあれば良いということではなく、社会に対して貢献するのに、既に存在するものを提供するよりも、未だ存在していない価値を提供するためです、
比較することのリスクや無駄と言えるものは、「自己評価を下げること」です。
そうでなく、「私にしかできないことをする」為に比較するのは、自己評価を上げるために比較するということになります。
元レッチリのギタリストで私が尊敬してやまない、ジョン・フルシアンテは、沢山の音楽を聴いて、たくさんコピーしたそうです。
それは何故かといえば、同じ音楽を作らないようにするためだからだそうです。
知らない人からすれば、ジョンのギタープレイも音楽も何かの延長だと思う人がいるかもしれません。
でも少しだけ深く知ることで、その奥深さに驚くことは間違いありません、
悪い比較は、あなたからたくさんのことを削り取ります。
でも、良い比較はあなたとあなたの周囲の関係性を知るきっかけになり、オリジナリティといった部分や、新たな価値、更には自分でも気が付かなった自分の姿というものを見つけることができると思います。
私が最近、他の人のnoteを読んでスキがたくさんついている記事というのは、同調を煽るようなものではなく、何らかの気づきを与えている記事だと思いました。
それは、本質的なことからは一見すると離れた個別的な内容だとしても、その根っこには他者には無い視点があるように思います。
「へぇなるほど」とか「あっそう言えば」などなど、知っているようで知らなかったこと、見えいるようで見えていなかったものが分かる喜びというのが人にはあるんだなと思います。
自分のnoteの記事もこれからそうした視点で書けるようになっていこうと、改めて思いました。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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