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ヘルダーリンのエンペドクレス観

  ヘルダーリンの戯曲『エムペ―ドクレス』を読んだ。それは日頃から哲学に関する学説や独自の解釈をyoutubeで動画にして公開されているネオ高等遊民さんに触発されてのことだった。

 正直エンペドクレスについては、高校の教科書に載っている「四元素」のひととしか知らなかった。それをネオ高等遊民さんは、それまでの自然哲学の議論を根本的に揺るがすパルメニデスという巨人の登場というギリシア哲学の文脈から、そんなパルメニデスに対抗し、あらたに自然哲学を立ち上げようとし挫折するという、英雄的にして悲劇的なエンペドクレス像について鮮やかに論じてくださった。そうしたネオ民さんの動画と、その参考文献である廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』を読んで、あらためてエンペドクレスの偉大さを感じることができた。

 そんな中でドイツの詩人ヘルダーリンがエンペドクレスを主人公に据えた悲劇を描いているということで、期待を胸に抱きながらその戯曲を読んでみた。しかしそこに描かれていたのは、読む前に思い描いていたのとは違う、かなり独特なエンペドクレス像であった。

 以下では、彼自身の断片(『自然について』、『浄め』)や彼についての学説から一般的なエンペドクレス観を確認したうえで、ヘルダーリンの悲劇『エムペ―ドクレス』の中で描かれた独特のエンペドクレス観を紹介したい。

エンペドクレスとはどういう人物か

 まずはエンペドクレスという哲学者について確認しておこう。教科書的な説明だと、万物は火・土・空気・水の四元素の結合によって成り立っていると主張し、パルメニデスとヘラクレイトスの議論を折衷した古代ギリシアの自然哲学者である。しかしこれだけでは「なーんだ、それだけか」というかんじなのでもう少し詳しく見ていこう。

 古代ギリシアでは「万物の根源(アルケー)は水」だとするタレスから始まって、様々な自然哲学者がコスモスがなにからなっているのか、思索を巡らせてきた。そんな中で議論をさらに一歩推し進めたスーパースターが登場した。それが先ほども少し触れたパルメニデスである。自然哲学者たちは世界の起源たるアルケーが変化することによって多様な事物が現出すると説明してきた。つまり彼らは彼らは生成変化する世界をそのままに所与のものとして承認してきた。しかしそれらは本当に確実なものなのか、迷妄に過ぎないんじゃないかとパルメニデスは考えた。彼はもっと普遍的な絶対確実なものを追い求めたのである。そしてそれが「ある」ということだ。

まことに探求の道として考えうるのは ただこれらのみ。 そのひとつ、すなわち、「ある」そして「あらぬことは不可能」の道は、説得の女神の道である——それは真理に従うものであるから——。 他のひとつ、すなわち、「あらぬ」そして「あらぬことが必然」の道は、 この道は、まったく知りえぬ道であることを汝に告げておく。(「断片2」)

つまりどういうことか。「ある」というのが否定できるつまりないならば、それはもはや「ある」ではなくなってしまう。そうであるならば、「ある」ということ自体は疑いようもなく確実な絶対的真理なのだ。同様に「あらぬ」があることはあり得ない以上、それを考えることさえできないはずだ。これがパルメニデスの議論である。そして付け加えておくべきことは、ここでいう「ある」とは個々別々な存在者(○○が「ある」)のことではない。パルメニデスが確実だとするのは存在、つまり抽象的・概念的な「ある」ということそれ自体の事なのだ。だからこそ確実ではない世界を観察することで思索を深める自然哲学は、まったく用をなさなくなってしまったのだ。

 しかしそんな哲学史の文脈の中で、エンペドクレスはパルメニデスに対抗してあえて自然哲学を行った。それはなぜなのだろうか。もしもパルメニデスの議論を素直に受容するならば、私たちが見ている世界も、私たち自身も、個々別々な存在者はことごとく迷妄にすぎないことになってしまう。そこでパルメニデスの主張する絶対的なものと、様々に生成変化する世界の多様性という感覚的な事実がどのような関連があるのか、探求する必要が出てきたのである。そこでエンペドクレスが『自然について』で主張したのが万物の根源を四元素とする議論なのだ。それまでの自然哲学の議論をとりまとめたうえで、まず絶対不動な四つの元素があるとし、それらの混ぜ合わさり方のバリエーションによって世界の多様性が両立されることになるのである。そして元素同士の結びつきの原理として「愛」と「憎」という原理も考えだした。「愛」とは元素の混合を引き起こす力であり、「憎」は分離をもたらす力である。そしてこの「憎」によってばらばらであった多様なものが「愛」のもとに一なるものとなることこそが「浄め」である。

 以上がエンペドクレス議論の概説である。エンペドクレスはパルメニデスが求めた絶対的な天上の真理より、人間や自然、多様な世界を重視した。こうしたパルメニデスの対抗者としての性格は、パルメニデスが彼の著作を有限な存在者である彼自身ではなく天上の女神が語ったものと記したのに対して、自身を称して神とするエンペドクレスの語りからも読み取ることができる。

悲劇『エムペ―ドクレス』の概要

 それでは、ヘルダーリンの悲劇『エムペ―ドクレス』について見ていきたいが、その前に簡単にヘルダーリンについても見ておこう。ヘルダーリンは17世紀末から18世紀中葉にかけて活躍したドイツの詩人である。テュービンゲン大学時代にはヘーゲル、シェリングとともに哲学を学んでおり、三人の中でもっとも天才だったという。彼は詩や小説『ヒュペーリオン』、戯曲『エムペ―ドクレス』などの作品を記し、ニーチェなど後世の思想かにも多大な影響を与えた。(『ヒュペーリオン』はニーチェの『ツァラトゥストラ』の思想や形式、文体に深い影響を与えたと言われている。)

 そんなヘルダーリンが記した『エムペ―ドクレス』だが、この作品は何度も中断され、ついに完成を見ず、残されている草稿は断片に過ぎない。エンペドクレスがエトナ山の火口に飛び込んで死んだという逸話をもとに、彼の死を描こうとしたが、一度もその場面にまではたどり着かずに書き改められている。「エムペ―ドクレスの死」と名づけられた草稿が二稿とその後に書かれた「エートナ山上のエムペ―ドクレス」という草稿の三つが残されているが、大まかなあらすじとしては次のようなものである。

民衆と仲違いをしたエンペドクレスはアグリゲントのまちを追い出され、エトナ山の荒涼とした地へと赴いた。彼のもとには彼を慕い嘆き、まちに戻るように訴える民衆からの死者や弟子のパウザーニアスが訪れるものの、エンペドクレスは彼らを去らせる。(そしてエンペドクレスは自らの意志でエトナ山の火口に身を投げる。)

これが話の大筋である。

ヘルダーリンのエンペドクレス観

 さて、ではヘルダーリンはエンペドクレスをどのような人物として描き出しているのだろうか。彼の残された断章とこの戯曲を書くにあたって記された論考「エムペ―ドクレス劇への基礎」を検討しつつ、ヘルダーリンのエンペドクレス像を見ていきたい。

 ヘルダーリンにおいて得意なのは自然の扱われ方だ。別に劇の中に自然が詩的装飾として立ち現れるのは珍しいことではない。しかしエンペドクレスの思想における自然の重要性は、軽んずることのできるものではない。ではヘルダーリンは自然をどのようなものの比喩として用いたのだろうか。少し引用してみよう。

だが 己にも 生はあった 木々の梢から 花々や 金色の果実が 雨と降りそそぎ 小暗い大地からは 草木と禾穀が 萌え出るように 己の辛苦と困苦のなかからも 悦びが 溢れ出て したしげに 天界の諸力は 天降ってきた おお 自然よ おまへの高みに湧く水の おのづから 低きに集まるやうに おまへの悦びもまた ことごとく 己の胸裏に 憩ひを求めて 集ひ来たり 一大至楽と化したのだった あのころ 己は 美しい生活に 深く 想ひを沈めては いくたび 神々に ただ一事をのみ 懇願していたことか ああ いつの日か この神聖な幸福に 酔ひよろこばふことなく 堪えきれる 青春の力が 己の身から 消え失せて そのかみの天界の寵児さながら この己の 精神の充実が もしも 頑患と化すことがあったならば 立ちどころに 己を戒めたまへ そのときこそ 浄化の時いたれりといふ 徴として 己の心に すぐさま 不運の運命をば 差し向けられて 己が みごと 機に遅れることなく あらたな 青春へと 身を済ひ度らすことができるやう (ヘルダーリン『エムペ―ドクレス』)

 ここに明らかなようにヘルダーリンは自然を、汎神論的に、神々の領域に属するものとして見ていたのである。これはエンペドクレスの一般的な理解からすれば、かなり異なる。エンペドクレスは超越的な真理としてパルメニデスが打ち立てた「ある」に対抗するべく、個々の存在者たる自然に向かっていったはずだった。しかしヘルダーリンが描くエンペドクレスは、自然の中に此の世から超越した神の姿を見た。しかしこれはそれほど自分勝手な解釈ともいえないように思える。なぜならエンペドクレス自信、四元素という自然を構成するものにゼウス、ヘラというふうに神の名前を与えていたからである。

 ではヘルダーリンの描くエンペドクレスは、彼以前の自然哲学者たちと同様に、パルメニデスが迷妄にすぎないとした自然世界に絶対的真理を見ただけの人物なのだろうか。必ずしもそうではない。むしろこの作品で問題とされているのは「浄め」の問題なのだ。では、「浄め」の問題とはいったいどのようなものだったのか。それは「憎」によってばらばらになっていた多様な事物が「愛」によって一者へと合一することだった。ヘルダーリンは「エムペ―ドクレス劇への基礎」の中で、自然と技巧の調和的な対立について論じている。技巧という言葉の意味をくみ取ることはなかなか難しいが、訳者である谷友幸によると、技巧によって意識的な主体が、有限な生命が生じるのだという。そしてその代表的存在こそが人間なのだ。「エンペドクレスの死」において、司祭たちは自らを神と称したエンペドクレスを非難し追放しようと画策し、彼を尊崇していた民衆も司祭たちに名がされてエンペドクレスを追放したり、かと思えばすぐに彼に戻ってきてほしいと哀願したりとこうしたところころと態度を変えている。弟子であるパウザーニアスも信じる師にひたすら付き従おうとする。彼らはみな我性の中に生きているのであり、普遍的・神的な自然からは切り離されてしまっているのである。谷の注釈に基づくならば、『エムペ―ドクレス』を執筆していたヘルダーリンが問題は一者としての自然とそうした個々の人々の我性との対立と、その調和こそを問題としていたのである。ここからヘルダーリンがエンペドクレスの一面を正確にとらえていたといえるだろう。

エンペドクレスの死

 ここにこそエンペドクレスの死の意味が明らかになってくる。なぜ彼はエトナ山の火口に自ら飛び込んだのか。それは死という一点において我性(技巧)と世界(自然)とが結びつき調和するからなのである。ヘルダーリンは次のように論じている。

 ちゃうど、その中間に位置するのが、個体の死にほかならぬ。死こそは、有機的なものが、おのれの我性を、すなわち極に達していた己の特殊な存在を、また非有機的なものが、おのれの一般性を、もはや当初のごとく観念的な混同においてではなく、実際のこのうへなく苛烈な戦いのうちに、かなぐり棄てるところの、刹那である。このとき、おのれの極に立っていた、特殊なものは、非有機的なものの極に向かって、能動的に、おのれをますます一般化してゆきつつ、おのれの中心から、おのれを、ますます引離してゆかねばならない。また、非有機的なものは、特殊なものの極に向かって、ますます、おのれを集中させてゆきつつ、しだいに中心を獲得し、特殊なものと化してゆかねばならない。かくして、非有機的となった有機的なものは、いまや非有機的なものの個性を固執しつつも、ふたたび、おのれ自身を取戻して、以前のおのれに立返らうとするかのごとき観を呈するにいたる。一方、その客体だった非有機的なものは、おのれが個性を獲得した刹那に、相手の有機的なものも、同時に非有機的なものの最極端に達しているのを、発見して、これまた、おのれ自身を取戻さうとするかのごとき観を示すのである。ここにいたって、つひに、この刹那のうちにこそ、すなはち、かやうな苛烈きはまる抗争の発生のうちにこそ、最高の融和が、本当に存するかのごとく、見受けられるのである。(ヘルダーリン「エムペ―ドクレス劇への基礎」)

人々が各々の我性の中を生きていた時代にあって、エンペドクレスは自らの我性と自然との不和を感じ取っており、彼がただ一人自らの我性と宇宙全体とを調和させようとしていた、というのがヘルダーリンが描いたエンペドクレスなのだ。これはある種、人々の罪を一身に受けて十字架にかけられたイエス・キリストのごとき英雄的にして悲劇的な人物だ。

 しかし私はこの物語を読んでいたとき、果たしてこの物語は悲劇なのか、と感じていた。たしかにエンペドクレスが嘆くシーンはある。しかし彼は絶望のうちに自殺したわけではけしてなく、やけくそになって自殺したわけでもない。むしろ帰ってきてほしいと求める人々を頑としてはねのけ、自ら死のほうへと向かっていった。実際ヘルダーリンは「エムペ―ドクレスの死」の中で、エンペドクレスにこう語らせている。

夢にも 現世の者らに 迎合したことのない身は いままた おのれの力のままに 憚るところなく みづから選んだ道を 下りてゆく これこそ 己の幸福 己の特権にほかならぬ                                   (ヘルダーリン「エムペ―ドクレスの死」第一稿)

こうしたエンペドクレスの言葉からは悲劇的な色などうかがえない。しかし同時にそうした彼の選択を、運命のように語ってもいる。次に引用する文は、弟子であるパウザーニアスがエンペドクレスに対して「なぜ突き放すのか」と尋ねたときのエンペドクレスの言葉である。

己の志は けふに はじまったのではない 生れ落ちたときから すでに さだまっていたのだ 臆せず 眼を上げて見よ ひとつと思えたものも 割れ裂けよう 愛は 蕾のままで 枯死はせぬ 亭々たる 生命の樹は 一面に 枯葉をひろげて 心ゆくばかり 伸びゆく歓びに ひたっているではないか 徒世の契りは すべて とことはに 打ちつづきはせぬ 己たちも 別れねばならないのだ よいか 己の運命を ゆめ 引留めてはくれるな 躊躇ふではない―― (ヘルダーリン「エートナ山のエムペ―ドクレス」)

とすればここにエンペドクレスという人間の悲劇性の極致が現れている。エンペドクレスはまちから追放され死ぬという運命を背負っている。そうしてその運命を一身に引き受け、自ら選び取って肯定するという、のちにニーチェが論じた運命愛が描かれているのだ。

まとめ

 ヘルダーリンはたしかに当時の哲学史における、パルメニデスに対抗して自然哲学を行ったという側面こそ見落としていたかもしれない。しかし『浄め』における一者との合一というエンペドクレスのテーマを確かにとらえ、のちのニーチェの思想につながる重要な側面を描き出していたのである。

参考

〇ヘルダーリン『エムペ―ドクレス』

紹介した作品。論考「エムペ―ドクレス劇への基礎」を併録。

〇廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』

エンペドクレスとパルメニデスの思想のまとめに参考にした本。ソクラテス以前の哲学者たちの思想の概説とその断片がまとめられている。断片が収録されているものとしては比較的手に入れやすい良書。

〇ネオ高等遊民「100分deエンペドクレス」

ヘルダーリンの戯曲を読むきっかけになった動画。長いものの、ものすごく面白いシリーズ。廣川先生の議論と見比べるとかなり独創的な議論だった。



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