生まれて初めて「寄付」をした。
ロシアのウクライナ侵攻が報じられて1週間近くが経ったといったところでしょうか。
正直、自分でもびっくりするぐらいに動揺というか、この件のニュースが自分のメンタルに影響を及ぼしています。
自分が生きている間にWW3が始まるかもしれない状況に陥るなんて少し前までは思いもしなかったし、
そこまで国際情勢に興味関心を持ってニュースを見ていなかった、というのが現実です。
先週、仕事で久しぶりに県外に行っていました。
ロシアがウクライナに全面侵攻し始めた日というのが、ちょうど大阪から沖縄に帰る飛行機に搭乗する日で。
仕事ではありましたが久しぶりに飛行機で県外に行けた余韻に浸る間も無く、機内のモニターでは世界の緊迫した状況がリアルタイムで報じられていて。
伊丹から沖縄に向かう約3時間のフライトの間、色々な人が会見を開き、現地の映像が流れ。
「もしかして本当に戦争始まってしまうの?」と思ったら機内のモニターから目が離せなくなってしまい。
その少し前(北京オリンピック閉幕直後くらい)にウクライナ東部を独立承認した、みたいなニュースを見た時は「ほえーなんか仰々しいなー」ぐらいで流し見してたのに、
一気にここまで事態が急転するのか・・・と、「他人事」から一気に「身近なニュース」になったと同時にこの現実が恐ろしくなって。
そこから毎日のようにニュースサイトで続々と更新される情報を見るたびに、
「この現状を見て見ぬふりというか、何もしない選択をすることはできない」という気持ちが日々強くなっていきました。
「無関心でいることは、加担していることと同じだ」
という言葉を以前どこかで見た記憶があって。
今起きていることに関心を持たないと言うことは、この侵攻を肯定していることに繋がってしまうんじゃないか。
そんなことを考えると何もしないわけにはいかないな、この現実から目を背けることはできないな、などと考えるようになりました。
その一方で。世界で戦争が起きていない時期というのは存在しないという現実もあり。
私は今までそういった世界の現実から目を背け続けてきたんだなぁという事にも気付かされました。
ウクライナは可哀想、じゃあなんでシリアは?ミャンマーは?ウイグルは…?
他にもたくさんの地域で紛争は起きているけど、「他人事」でしかなかった。
この違いはなんなんだろう???
それは日本には直接関係がないことだから。
普段ニュースでここまで取り上げられてないから意識していなかった。
と言ってしまえば済むかもしれないけど、
「自分が生きている2020年代の現代で大きい国が侵略戦争をするなんてありえない、するだけマイナスしかない」とぼんやり思っていた「当たり前」が覆された今。
島国である日本も同じことが起きない、と言い切れる?
沖縄は日本の中でもさらに危ないんじゃないか???
もしそうなったとき、世界中の人がどう反応するんだろう。
「小さな日本の小さい沖縄が攻められたところで自分たちには直接関係がないことだから」
そう思われる可能性もあるんだよなぁと思うと、今まで自分が見て見ぬふりをしてきた世界の状況というのが一気に身近に感じるようになりました。
おそらくこっから危ない思想に引き込まれる人もいるかもしれませんが、まだそこには至っていないので安心していただきたい。
とりあえず、「一生安心な日常」が保障されている国なんてどこにもないんだ、ということを改めて感じた2022年の今。
自分には何ができるのか??
この1週間でたくさんの記事を見て、たくさんの情報を見て、色々考えた結果。
「寄付をしよう」
という結論に至りました。
ほんとに少しの額ではありますが。
自分の中で、「寄付をする」というアクションを起こすことで
「何もしない自分へのもどかしさ」というのが解消されて、
少しは心の平穏が取り戻せるのかなと思ったのが理由です。
要は自分を落ち着かせるためなので
「これも自己満足に過ぎないのかな」とも思ったんですが、
「やらない善よりやる偽善」という言葉もあるぐらいなので、
やろう!という決意に至りました。
最初はウクライナ大使館に直接寄付をしようかなとも思ったんですが、
口座に振り込むというアクションが少しハードル高く感じてしまい。
色々と調べた結果「国連UNHCR協会」がクレジットカードで1000円単位で寄付ができ、
寄付金の使用用途も明確に記載があったので、そちらに寄付をすることにしました。
そして私自身、恥ずかしながら「寄付をする」という行為自体が生まれて初めてで。
今まで県外の災害(台風・地震・水害)での義援金や首里城の火災などでの義援金は、
「寄付しようかな」と思っても「実際に寄付をする」というところまで至らなかったんですよ。本当に恥ずかしい限りですが。
「なんで日本の困ってる人に寄付したことない奴がウクライナには寄付するんだよ、お前偽善者じゃん」
とか第三者目線で見たら思うよなぁ、など寄付をするに至るまでに色々考えました。
でも、「今までの話ではなくてこれからの話をしよう」という考え方に至り、まず第一歩として今回の寄付を行いました。
結論から言うと、
「寄付というアクションを起こしてよかったな」
と思ったし、
「これからは自分のできる範囲で困っている人への寄付は続けていこう」
という気持ちにもなりました。
金曜日に寄付をした「国連UNHCR協会」からメールが届き、
支援金で支援物資を現地に届けたという報告がありました。
自分も少しだけだけどその役に立てたんだ、というのは自分のメンタル的にもプラスになったと思います。
できる人ができる事をやればいい
話は少し変わり、職場で毎日朝礼のスピーチを司会が行うんですが、
先週のある日の朝礼でこんなスピーチがありました。
昔おぎやはぎのラジオで、なんでミュージシャンは売れる前は金と女と名誉を歌って、売れたら愛と平和を歌うのか?という話題があった。
結局、売れる前はギラギラしてる人でも、ある程度のものを手に入れたら、見える世界が一段上に上がって、愛とか平和を願うようになるんじゃないか。
逆を言えば自分のことで精一杯な人は、愛とか平和を願うことはできないのかもしれない。
確かにな〜、と納得させられた話題でした。
結局、自分の生活・人生に余裕がないと、世界の状況などに目を向けることはできないかもしれない。
私は今健康で、仕事も有難いことにちゃんとできている。余裕があるといえばそうなのかもしれない。
今後、自分の人生に何があるかわからないから、その時は世界の状況なんて知ったこっちゃない、となる可能性は十分にあるわけで。
なので、これからも日本や世界で日々いろいろなことが起こるけど、
自分の負担にならない程度に向き合っていき、その時々でできる範囲のことをやろうと思います。
なのでこのnoteは寄付をしようぜ、なんて呼びかけるものでもなく。
単に自分の考えの変化というか今の現状の受け止め方をまとめただけのものです。
どうか、1日も早い侵攻の中止と、一人でも多くの方の命が守られる事を切に願います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?