言葉の持つ本来の力について

今日はじめての「あれ」をいただいて嬉しくて「あれ」してます。
サポートをいただいたんです。
なんと!もう、うっきうきのうきです。まだ始めて間もなく、お礼メッセージの登録をしてなく、手書きの文章でお返事したので、もしこれを見ていらっしゃったらメールボックスを見てくださいね(超私信)

私がnoteを書く理由のきっかけは某ネット活動のリサーチのためだった。
どんな記事が読まれるのか、どんな方がいらっしゃるのか?精神疾患を持っている方はいらっしゃるのか?
と興味は尽きなかったんだけど、それはどこかに行ってしまい(あかん)、だんだん自分の気持ちや昔あった出来事を文章にすることが頭の整理に役立つようになってきた。
かと言ってnoteも散らかっているけれど。

スキやコメントをもらえればやっぱり嬉しいし、何も反応がなかったとしても私の感情や起こった出来事などを心の片隅に……ほんの小さな欠片でも置いてもらえたらこんな幸せなことはない。そこは前頭葉か後頭葉か左脳右脳なんだかわからないけど。

私も色んな方のnoteを見たい。だけど時間と元気が圧倒的に足りない。
何人かの方の記事を読んで、鋭い感性を持ち自分の言葉で書いている方の多さにびっくりした。そして私の語彙力の少なさに驚いた。
もはや、「語彙力」という言葉はTwitterなどで使い回されて本来の言葉の力を失っているように思う。

すごかった(語彙力)

のような使われ方。もう見飽きてしまい本来あったはずの新鮮さや、自分の内にある言葉では表せないもどかしさ、読書をあまりしていないゆえ、しっくり来る単語が出てこない悲しさや虚しさが失われている。

学生の時に作家の梨木果歩さん(『西の魔女が死んだ』の著者。私のおすすめの本)の講演か授業で聞いたことがある。もうかなり昔の話。
その時におっしゃったのは、「癒し」という言葉が本来の力を失っているということ。その言葉がとても印象的だった。

私のイメージでは、もっと昔は「癒し」というのはヒーリング的な効果、身心を穏やかにするような特別な意味だったと思う。今Wikipediaで見たら、ソクラテスやキリストまで遡っていて驚いた。新約聖書の日本語訳に何度も「癒した」という単語が出ているとか。
キリストって!!!あの最期の晩餐の!?張り付けにされた?裏切者はユダだ!の?←私の情報もかなり偏っている。

それほどの力のあった言葉が今ではもう使い古されている。
癒し系女子だとか、ちょっとほっこりした時に「あー、癒された~」なんて無意識下で使っている。というか「ほっこり」も、もはや使い古されているのかな。
店の名前やキャッチコピーに「癒しの〇〇」なんて使われていても心は無でしかない。あったかいお茶を飲んでほっこりした。とか、それも無。まったく響かない。
最初はセンセーショナルだったんだろうな。
「尊い」も元々の本当の尊さは失われている。だけど私の「語彙力」のなさでは他の表現が見つからない。

そんな風にしながらも、数年うつで読書ができないのでアレンジが利かない。バリエーションがない。もう稚拙な文章でしか書けない。周りで飽きるほど聞いた言葉しか書けない。

というお話。
で終わろうと思ったけれど、梨関係(どんな関係?)について語ろうと思う。
これも語るほどのことはない。
毎年この季節に「梨水」というコンビニで買える1リットルのパックジュースがある。めっちゃおいしい!見つけたら飲んでみて!
noteのフォロワーさんがアップしていて、季節の移ろいを感じた。
今年も梨水の季節がやってきたのだな。ああ、秋だ。確かに秋だ。
マスクで金木犀の香りは感じないけど、梨水で季節を堪能したかった。
ファミマ、ローソン、セブンと行ったけれど何故か梨水はない。
代わりに、桃水、ぶどう水があった。いや、違うねん。私は梨を求めているの!

地域によって時間差があるのかな?
ちなみにこの前画像をアップしたパピコの梨味、期間限定はそんなにだった。梨水のみずみずしさを私は求めている。

では、また。

この記事が参加している募集

#noteの書き方

29,308件

そのお金で美味しいアイスでも買ってください♡ ……と、ずっと書いていたんですが、サポートしていただけたら嬉しいです。書くエネルギーになります。そして私の心が潤います。