見出し画像

千年鯨の2023年から2024年


1.2023年 大晦日

 2023年の大晦日の朝、私は炊飯器でチョコブラウニーを作っていた。
 チョコブラウニーにはベーキングパウダーが必要なのだが、私は重曹で対応しようとしていた。
 しかし調理用の重曹がなかったため、どうしようかと悩む。
 そんな時、ヨーグルトならなんとかできるのではと思いついてやってみる。
 その結果、うまいことブラウニーが出来上がった。

 できたてのチョコブラウニーと帰省用の荷物を持参して、弟が住むマンションにたどり着く。
 お正月は元祖父母が住み、現在弟が住むマンションで親戚の集まりが行われることで母が30日から泊まりに来ていたのだ。
 弟と母と一緒にチョコブラウニーを食べた後、整理整頓を手伝う。
 すると、赤色のプラスチック製でぺらっぺらなレコードが出てきた。

 子供向けの雑誌の付録であり、ウルトラマンタロウの歌が聴けるらしい。
 すごい、レコードって硬いものだと思ったけれどこんなぺらっぺらなレコードがあるのか。
 昔は雑誌の付録にそういうのが付いていたらしい。
 実際に聞いてみようとしたのだが、ぺらっぺら過ぎてレコードが安定しないのか聞けなかった。

 その後は、親戚の叔父さんがおばあちゃんかおじいちゃんに頼んで買ってもらったのであろうレコードを聴く。
 歌はUFOロボグレンダイザーのOPである。
 私と弟は両手足をカニのように開いて、音楽に合わせて踊る。
 いい年した大人であるが、私と弟は子供のように時々はしゃぎながら踊りをした。本当に馬鹿だよなあと思いながらも楽しかった。
 他には柳ケ瀬ブルースなど昭和の歌を思いっきり変な振り付けで踊ってみる。なんだかんだこういう楽しみができて幸せだ。

 その後はデカフェで年越しをした。
 その様子はこちらの記事でせひ読んでみてほしい。

2.2024年1月1日

 年越しした後、デカフェのメンバーで近くにある神社に参拝。
 その後はぐだぐだと眠りながら5時まで過ごす。
 5時になり、ちょいと歩こうかと私はデカフェを出て名港線の六番町駅へと移動する。
 新年になったばかりの早朝は暗く、これが元日の風景かと思いながら歩く。
 めったにない光景になんとなくわくわくした。

 アパートでシャワーを浴びた後、弟のマンションへと足を運ぶ。
 眠いんだよと弟の寝床で一旦仮眠した。
 約束の時間になって起床し、親戚といとこたちを出迎える。
 和気あいあいとしながら食事をしていろいろと話をした。

 一番上のいとこと話をしているとなんとなくうれしいことを言われる。
「○○ちゃんは真実を追求するジャーナリストが向いているよね」
とのことだ。
 私がこうしてブログやnoteを書くのもやはり自分の気質にあっているものだろう。
 今年も去年と同様、執筆活動を続けていくぞ!

 食事会の片づけをした後、駐車場へと移動して実家に帰るぞ意気揚々。
 時は夕方の4時頃、車は一の宮で高速道路の下道をのんびりと走っていたところだ。
 おせち料理、楽しみだなあと思っていたところに家族全員のスマホとカーナビがわめきだした。
 なんだろうと思ったら緊急地震速報。
 え、元日に大きな地震!?と驚いた私は運転していた母に今すぐ路肩もしくは駐車場に止まろうよと提案した。

 みんなでビビっている中、長い横揺れが来た。
 その揺れは2011に起きた東日本大震災を思い出させるかのような気味の悪いものだ。
 何があったのかと調べようとAMの岐阜放送を聞いてみる。
 AM岐阜放送の昼間にはのんびりとした雰囲気が漂うラジオ番組が放送されており、なんとなく癒されるものだ。
 ああー、吉田早苗昔から元気だなあと思いながらラジオを聞いていると、石川県で震度7の地震が起きたとのニュースが流れていた。

 恐ろしいことだなと思った私たちは岐阜の家に着くとさっそくテレビをつけてみる。
 通常なら正月特番が流れているはずだが、どの放送局も被害を伝える報道番組へと変わっていた。
 ただならぬ事態になったとその日はビビりながらおせち料理を食べた。

 おせち料理は富山県の料亭が作ったものである。
 富山県も地震の被害を受けており、料亭も無事なのだろうかと気になった。
 ふるさと納税で災害支援の受付が始まったらさっさと支援しようと思った。

3.2024年1月2日

 1日は母方の集まりがあり、2日は父方の集まりがある。
 近況を報告しあったりして、いろいろと話をした。
 地震怖かったねという話や、祖母の病院に行った話を聞いたりと情報交換。
また会おうねと別れた後に家に帰宅し、一休みしてから恒例の弟と散歩した。

長良橋の近く、鵜飼ミュージアムまで歩くというのが私と弟の散歩。毎年同じことをするのだが飽きない。
川の流れをただ見るだけがけっこう癒しになるのだ。

今回の散歩では川に行く前にちょいとメモリアルセンターのサッカー場に寄った。
 というのは、実は12月にここで恐ろしいことが起きたのだ。
 それは12月半ばあたりの日曜日の昼の事、サッカーの試合が行われるはずだったが、キックオフが1時間以上遅れることになった。
 なぜそういうことが起きたのか、それは遺体が見つかったからだという。

 まさか平和なところでそんなことが起きるなんて思わなかった。
 調べてみると、遺体は自殺したものであったらしい。
 その前日の土曜日にもサッカーの試合があり、試合終了後から当日までに何があったのかとSNS上ではざわざわしていた。

 遺体があったと思われる電光掲示板には外から行ける道がある。
 昔は入れたのだが現在は通行禁止だ。
 その道の入り口には工事現場でよくみられる簡単に設置できる柵と立ち入り禁止の旨を伝える看板があった。
 メモリアルセンターは自然たっぷりで散歩するにもちょうどよいところであるが、うっそうと生い茂っているので夜になると暗くなって怖い印象がある。
 意外と犯罪が起きてもおかしくないのではという雰囲気があった。

 あれこれと12月の騒動について話し合いながら歩いているといつの間にか長良川にたどり着く。
 ふっと川辺に腰かけて長良川の流れと山の風景を見つめていると弟が夢を語りだした。
 その夢とは川の近くに住みたいということだ。川の流れを見ていると癒されるからという。
 台風とか増水のときは怖いけれど、素敵な夢だなあと思う。
 いつか弟の夢が叶うといいなあと思った。

3.2024年1月3日

 正月三が日の最後は整理整頓。
 実家は物が多いのでいろいろと大変。
 とくに多いのはおやじの本、全く読んでないのに捨てるなり売るなりの行動をしない。
 私は正月にしか帰らないのでさっさと整理整頓をすることにした。

 懐かしい漫画に触れたりしてあー、こういう青春を送っていたなあと思い出す。
 でも、自分が今後読むことはないだろうなあと思ってさっさとまとめて縛った。
 一番懐かしくなったのはウォークマン。
 その中には中高生に聞いていたボカロの曲や宇多田ヒカルの歌などが入っていた。

 充電ケーブルを刺してみると、画面がつく。
 あ、これまだ聞けるじゃんとさっそく持って帰ることにした。
 実家を出てアパートに帰宅後、ウォークマンを専用のスピーカーに刺していろいろと聞いてみる。
 あー、昔はこういう音楽好きだったなあと脳が刺激された。

 本当は夜には定食屋のシフトが入っていたが、思ったより暇だったので休んでもよいと店長から言付けを受ける。
 というわけで夜はガヤガヤバーひな壇に行って、書初めなど正月ならではの遊びをしたのであった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?