楽器を吹きたいと思った。久々のことで、そのためにはまず楽器を洗う必要があった。午前3時、風呂場に向かう。管のすべてを分解し、洗う。軽く水気をとって、ひとつひとつに新しくオイルを差す。明日を心待ちにして寝床に入るも、眠れない。朝日に顔を顰め、いつしか寝ていた。楽器は吹けていない。
宇宙人の存在を信じながら、自らの代替不可能性も信じたい。無限の捜索範囲の中で、宇宙人はまあどっかにはいるだろうな、けど自分と同じ人間はいないだろうと考える都合のいい生き方をしたい。出来てない。
今日は人と会った。(なかなかに良い会合だった!)そして帰ってきたのは日付が変わってからだった。 バイト先の都合やら、オールカラオケやらで日が昇ってから帰ることも珍しくなくなった今となっては、それでもむしろ早いと思えるようになった。とはいえこんなものをヘッドの中で書いているから、その帰宅時間も意味がない。何回、こうやって、空想に時間を費やして夜更かししたことだろう。夜更かしという言葉に感じていたはずの罪の味は、ガムと同じで、もう消えてしまった。 罪の味といえば、個人的
Armando Young-Loved ones(Saudades) 3人の友達が留学に行った。 2人は大学でできた友人で、もう1人は10年来の親友だった。今生の別れではもちろんないし、1年くらいで帰ってくるんだけど、みんな私とすごく仲良くしてくれる人だったから、やっぱり思うところはある。 「寂しくなるね〜」 と言った。寂しく、なるんだろう。今はまだ実感がないので寂しくない。まったくといっていいほどだ。でもいつか、ふと「不在」を感じて寂しくなるのだと思う。絶対に。でもそれ
社会的存在たる人間、とはいえ雌雄があるので、こんなわたしにも「一応女だから」と言わなきゃいけない時があるけど、できればそんな言葉は言いたくない。なんたってそれを言うときには、いちばん私の意識は「女」から遠ざかっていて、自分で自分を置いてけぼりにしている気分になるからね
憧れの三原則:勝てない・眩しい・苦しい
・少しブルーな出来事があった(と書いておきながら、それは起こった際には相当な衝撃をもって私の心を通りざまに刺していったのである。とても痛かった)のち、大学の書店の、その一角の本の山の前で放心していたら、よく知る、そしてよくお世話になっている先輩とたまたま鉢合わせた。お疲れ様です〜、と消え入りそうな声で挨拶したら「大丈夫ですか?」と言われてしまった。思わず、さっきのことをぼそぼそとこぼしてしまった、先輩はとくに何を語るでもなく、そのあと一緒にミルクティーを買った、去り際に「必修
November Steps 自らの誕生日を公開する、というのはなんとも、「祝ってほしい」という幼い願望を最も明け透けな形で呪詛に変えてしまう営みであるように思われる、とそんなことを考えたのはいつのことだったろうか、ともかくそれからは、なんでもかんでも人に喋ってしまう自分にしては相当厳戒して、自らの誕生日をむやみに言わないように努めていた。とはいえ友人との雑談の中でそれを聞かれた際に、「さあ……」と躱すほど意地が悪いわけでもなく、結局毎年、そういった会話の端くずを律儀にカレ
Even though there are many problems now ignore that just do nothing
人と喋ってると気付かぬうちに自他境界がガバガバになっており、ふと我に返ると、しょうもない人生の悩み相談会みたいなのに移行してしまっていたということが本当に多くて、マジのマジで悪癖でやめたいし金輪際人間と関わらん方がええかも
見ず知らずの人に注意されるって、誰しも一度はあると思う。街中の人然り警察然り(後者はまだない)。で、理不尽に怒られたらそりゃあ怒り返せばいいじゃないか、と割り切れるものの、どうやらわたしには常識というか慎ましさというか良心というか、が欠けているようで……よくよく考えるとまさにその通りですね、と感心してしまいたくなるほどのやや思慮に欠ける行動をとっては、それに対して、しかしお前、仮に俺がムキムキの巨漢だったとしても同じ態度だったか?と言いたくなるほどには些細でねちっこい指摘を受
味わい深い人間でありたいと、常思っているが、だれに味わわれたくてそうしてるんだ?え?となる。マカロンみたいな人間にはなりたくないのだが。ゲテモノを嬉々として食ってくれる人に味わわれよう。何言ってんだ キモいのも大概にしてくれ
コミュニケーションがだるくて、サークルに来てるのに、端っこでずっと日本語学の本読んでる。コミュニケーションは娯楽性が高いくせに、生活に必要な営みとして、やりたくないときもやらなくちゃいけないのがいやだな。
オフラインでいるのって難しい。脳内常時Twitter接続人間だから、生活そのものはもちろん思考の種から発芽の過程まで全部を全世界に発信している。恥ずかしい。し、そういうのはどうなんだろうなってここ1年くらい思ってる。Twitterをしまいたい。しまうためにNoteに書いている
大学のおはなし 入学したときのことは、まだ、つい最近のように思い出されるなあ、などと思っていたらもう1年半も経っていたということで、時間の流れの速さには目を剥かざるを得ない。そんでもってゼミとかいうやつがそろそろ始まるらしくて、まだ「これ」といった志望も決まっていないのにどうすんだ(どうにかしてほしいのは、わたしの計画性)という心もち。行列に並んだあと、会計の段階になってはじめて財布がカバンの奥底にあることを思い出してガサゴソするようなちょっと嫌な焦燥感がある。ゼミと言やあ