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ジ・ソンシン(嘘の韓国俳優)

見ず知らずの人に注意されるって、誰しも一度はあると思う。街中の人然り警察然り(後者はまだない)。で、理不尽に怒られたらそりゃあ怒り返せばいいじゃないか、と割り切れるものの、どうやらわたしには常識というか慎ましさというか良心というか、が欠けているようで……よくよく考えるとまさにその通りですね、と感心してしまいたくなるほどのやや思慮に欠ける行動をとっては、それに対して、しかしお前、仮に俺がムキムキの巨漢だったとしても同じ態度だったか?と言いたくなるほどには些細でねちっこい指摘を受けることが多々ある。書き方からして反省がないと思われる方もあるかもしれないが、そのまま受け取っていただいてかまわない。ともかく私には、そのような経験が、ぱっと思い出せるだけで5回はある。直近3年以内だけで、である。そして私はこう見えて(いったい他人にどう見えているという自信があるのやら。おまえみたいな人間の浅さなんて、とうに誰からも見透かされきっているだろうに。)プライドが山のように高い。書いてて恥ずかしくないのか?恥ずかしいに決まっている。だがそうとしか言えないのだからしょうがない。もともと人に怒られるのにめっぽう弱い人間であったが、それは常に「俺のやることにケチつけやがって。殺してやる」という、(0.1秒以上は続かない、が、しかしながら)爆発的な怒りを伴っていた。怒られる経験が増すにつれ、大人になるにつれ、マシになるのだろうと思っていたが、そんなことはなく、未だに「殺してやる」とともに生きている。昔に比べればそういう、指摘してくれた人からすればとんでもないような感情、が湧きだしたのを悟られないようにする術は身についたが、根本的解決ではない。考えるに、わたしのこれはもう持病としか言いようがないという結論に至った。

そもそもわたしは身内以外の人間に対して、風景より出しゃばったようなマネをされるのが嫌いなんである。どうしてか?わたしは努めて、身内以外の人間にとっての風景になるように過ごしているからだ。わたしが、赤の他人に「人格をもった思考する一生物」として認識されたくないように、わたしも赤の他人に対してそうしたい。それが、少々灰汁の強すぎる原液100パーセントの世界を、ほどよく生きていくための術である。それがルールである。そして……振り返ってみれば、べつに犯罪をやったわけでもない、だのに「迷惑」などという、いかにも世間様の支持を得たような、実際曖昧極まりない自己判断で講釈を垂れてくる人間が嫌いだ。そんなこと言ったらお前、俺だって言いたいことの一つや二つ、いいや千は有るんだ、ふざけるのも大概にしろ、と叫んでやりたくなる。この、ジェット機もびっくりするような、うるせえ声でよ、と……思い出し怒りをしながら書く文章は破綻しているだろうにすいすい進んで怖いと思います。少し冷静になる。

……それでも、わたしは結構我慢している方だと思う。勝手な我慢。頼まれてもないのに。というのも、別にそれはわたしが偉いのだということを言いたいのではなくて、わたしが人一倍厄介な性格を持っており、それゆえに他人の行動の多くがわたしにとっての「迷惑」に該当するという前提を踏まえての、主観的な感想に過ぎない。しかしそれゆえに、「迷惑」なんていうのは99パーセントくらいは自分の勝手だな、という解釈をしている。だから、神経質なわたしだが、思い出せる限りクレームの類や説教を行ったことはない。もちろんそれが良いこととは言わない。だがそれは少なくとも、「わたしはなにも言わないから、あなたもなにも言わないでね」という、わたしの山のようなプライドと脆弱な自我を保つためのルールではあったのだ。ところが外で接触してくるやつらは、そんな理を知るよしもない。仕方ない。というかそんな想像は推奨されない。うーん、彼らがうらやましいと思う。世間とか、常識とかいう(実際はエコーチェンバーのかかりまくった仮想現実)基準に、ちょうどよくチューニングされ、当然みたいな顔をしてこちらに近づいてこられる厚顔無恥さが。非常に感情的だから誉め言葉には到底見えないだろうが、本当にうらやましく思っている。1パーセントくらいは。あんなのにはなりたかないけど。時代遅れのコンキスタドールみたいなやつら。

はあ。世間にあっかんべーをしながら過ごしたいものだ。


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