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夢遊240622

 眠れない夜というのは、なにかの物語や情緒の欠片としての認識くらいに留まっていて、私自身はあまり経験したことがない。どんな悩みも、片手間のスマートフォンに脳みそをすり減らされた怒りとしての眠気がさらっていく。大体はそう。大体は、というのも、昨日は久しぶりに眠れない夜だった。

胸がどきどきするというか、そわそわするというか、まだ一日は終わらないんじゃないか、この一日の主たるイベントがこの後に来るんじゃないか、みたいな、期待と不安…と野次馬根性、のようなもの。当然予定はなく、さっさと寝たほうが良いものの、散らかったテーブルを見つめて懊悩した結果、散歩が丁度よいという判断に至った。

近所に川があるのが本当に良い。歩く先を悩まずに済むためだ。適当なところから降りて、川の水面をずっと眺めていると、静謐な…という形容詞が頭に浮かんでくる。実際は、夏を目前にして、足元から聞こえてくるカエルのギュムギュムという鳴き声や、近くの落差工が作り出す、ざばーーーーといった流れの音がうるさいほどなのだが、静謐としか言いようがなかった。それはもしかすると私の心の中のことだったのかもしれない。

稚拙な物言いだが、なんというか、すごく、もうなんでもよかった。どうにもならないという諦めとか、どうなりたいんだという自問とか、そういう根本の問いが頭を埋めつくしていたが、もうどうでもよかった。どうでもいいことで悩んでいる、というのとはまた違って、悩む過程でどうでもよくなった、の方が近い。そしてなにも解決しないまま、すべてがどうでもよくなっていく。ともかく、突然そこらへんのカエルと入れ替わったりしたかった。カエルの方が楽しいとかそんなことは思ってなくて、私のこの身体を動かすのがもう面倒くさい、明け渡したい、という怠惰の一点があった。

私が小説を書くなら、ここで主人公の好きな人(そこまで親しくない友達、とかでもいい)を登場させる。そして会話をさせる。たぶん、お互いのアイデンティティーに関わる話をして、分かり合えないことを分かりあって、かえって距離を縮める、みたいなそういう展開になるはずだ。…というところまで考えたところで、私は頭の中でその人と会話をしていた。いつの間にか目を瞑っていて、その人が喋りそうな内容を考えていた。私はその一つ一つに返答を丁寧に返していく。会話は、弾むでもなくしぼむでもなく、ただ流れて行った。それこそ目の前の川と同じようだった。そしていきなり、「もう帰りなよ」と頭の中のその人に言われて、意識が飛んでいたことに気づいた。眠気がいつの間にかやってきており、その眠気が脳内のその人を操って喋らせたのだと思う。ともかく、重い重い腰を上げて帰路についた。

帰ってきて、ため息をつきながら床についた。確かに眠い。疲労感があった。そしてそこからはスムーズに入眠したものの、夢見はあまりよくなかった。


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