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三代目「我が家のカレー」ができるまでのこと

里帰りにて食ひたきもの

帰省したら食べたいものが、2つある。
ひとつは、地元・福岡の豚骨ラーメン。
もうひとつは、実家のカレーだ。

なんなら、実家のカレーを食べるために帰省しているといっても──

……それは流石に過言なのだけれど、楽しみの一つであることは間違いない。

そして僕はちょうど、帰省を明日に控える身なのだ。

帰る理由もあいまって、昔のことを思い出したので記そうと思った。

現時点で三代目となる、僕にとっての「我が家のカレー」について。


初代

「我が家のカレー」は「母のカレー」だった。

物心ついた時から舌に馴染んだメニュー。カレールーは中辛、肉は薄切り、牛乳と擦り下ろし林檎を必ず入れる。中辛未満・甘口以上という塩梅が、母の定番だった。

けれども中学への進学以降は、母のカレーを食べる機会がめっきり減った。
理由は単純、中学受験によって県外の寮制私立高に進学したからだ。
寮の食堂でもカレーが供される機会はそこそこ多く、それなりに美味しくもあった。

──ただ、やっぱり家で食べるカレーのほうが美味しかったな。

母のカレーが好きだった。食堂の他のメニューについては何も思わないのに、カレーだけは母の味と比較している自分がいた。それは寮生活以前からずっとそうで、たとえば家族でチェーン店のカレー屋に足を運んだ時などでも、ふだんと違うカレーにわくわくしつつも、味に関しては「お母さんのほうが上だ」といつも思っていた。

週末の帰省のたびにカレーをねだり、やっぱり「家のカレーが旨い」と再確認する。とはいえ、自分にとってのカレーのデフォルトはもう、母ではなくて寮のそれになっていた。中高一貫校であるからして、6年間はこのカレーと付き合うことになる。自分の「青春時代」のカレーは、寮の味ってことになるんだろうな。そんな、今思えば本当にどうでもよさげな感慨を抱き、妙にしんみりしていた憶えがある。

けれども、その展望は外れることとなる。

中学3年の秋、僕は地元の公立中学へと転校した。
再び実家へ戻ってきたものの、それから母のカレーを食べることはついぞなかった。その時にはもう、母は重病を患い、入退院を繰り返す身であったから。


二代目

母がいない家の食卓は、惣菜と出前、それから宅配食で占められるようになった。ただ、カレーだけは「自家製」だった。病床についている母の代わりに、彼女の姉である叔母がよく家に来てはカレーを作ってくれたのだ。

「口に合えばいいっちゃけど……」

そんな言葉とともに叔母が盛り付けてくれたカレーは、当然ながら母の味とはまるで違っていた。入れる肉と野菜のチョイス、カレーのとろみから色味にいたるまで、似ても似つかない。チェーン店やレトルト、そして寮のそれとも明確に異なる、別の家庭の味。

でも、それは不思議と口に合った。母との違いを認めこそすれ、そこに優劣をつける気はさらさら起こらなかった。

「おいしいです」

それは心からの言葉だったけれども、果たして彼女は信じてくれたかどうか。ともあれ、その日から我が家のカレーといえばそれは「叔母のカレー」になった。寮のカレーでお代わりをした記憶はほとんどないが、彼女のカレーは必ずお代わりをしていたように思う。

そんな生活のさなか、秋に母が亡くなった。

葬儀をはじめとする一連の慌ただしい日々が過ぎ去ってからも、叔母は暇を見つけては家に来てくれた。そして、カレーを作ってくれた。「カレーばっかでも飽きるやろ」と他の料理をふるまってくれたことも多く、それはそれでとても有難かったのだけれど、個人的に一番好きなのはやっぱりカレーだったのだ。

そんな日々が、だいたい一年ほどは続いただろうか。

やがて、父が早めに帰宅することが多くなり、叔母は以前ほど我が家に来なくなった。

そうして、我が家のカレーは代替わりを果たすことになる。


三代目

あれは、高校一年の春頃だっただろうか。

自室で宿題を終え、リビングの扉を開いたところで──香辛料の匂いに気付いた。

キッチンには、父が立っていた。
カレー鍋をかき混ぜていた彼は、こちらに気付くと「もうすぐできるけんが」と告げた。いかにも自然な口ぶりではあったが──その実、父が夕飯を作るのは初めてのはずだった。

そもそも、父が台所で包丁を握っている風景からして記憶にない。ましてや料理好きという話なんぞ、一度たりとて聞いたこともなかった。大学時代は実家通いで、自炊を要する環境に置かれたこともないだろう。

なにげなく壁掛け時計へと目を移す。夜の7時を過ぎたあたり。この時間帯に父が家にいることは、少し前までは滅多になかったことだ。それが可能になったのは、父が転職したおかげだった。

以前よりも退勤時刻が早くなり、休日の融通もききやすくなった。「子供のこともあるけん、なるべく家に早く帰りたくて」。親戚から聞いたところによれば、父は転職理由についてそう語っていたらしい。

もともと、帰りは遅いほうだった。元いた職場で、父がそれなりの要職に就いていたことは知っていた。昇進ルートまっしぐらだったはず、とも人づてに聞いていた。

けれども──結果として父は転職し、こうしてカレーを作っている。
母はもうこの世にいない。だから、父が家族の飯を作っている。
しごく単純な事実に、改めて母の死を眼前に突きつけられた思いがした。

料理って手間暇かかるんだからね、と苦笑していた母の姿が脳裏をよぎる。

──別に「手料理」じゃなくたっていいのに。
──というか、ここから「勉強」するのか?
──だったら尚更「本職」に任せるのがベターだったのでは?

これまで通り、惣菜や宅配食が食卓に並ぶだろうと思っていた。
母が闘病生活を送って居た頃は、それが当たり前の日常だった。
実際、僕はそこに不平も不満もまったく抱いていなかったのに。

想像は巡る。

果たして、この「料理」は親心によるものなのか。
あるいは子育て本の類に触発されたのではないか。
もしや周囲から何か言われでもしたのではないか。

渦巻く思いは、一言に集約される。

──無理を、しているんじゃないか?

とはいえ、その懸念をぶつける気にはならなかった。
そうすることで、父を傷つけそうで怖くもあったから。
無理をしているか否か、その判別は僕にはつかなかった。

せめて自分に出来ることといえば、父のカレーに「おいしい」と言ってあげることくらいのものだろう。
それに、だ。
単純に、僕は父のカレーを食べてみたかった。

「できたばい」

テーブルに運ばれてきたそれは、いたってシンプルなものだった。正真正銘、どこからどう見ても紛うことなきカレーだ。そんな当たり前すぎる事実にほっとしつつ、僕は早速とばかりに口へ運んだ。

瞬間──ざり、と舌に粉っぽい感触が走る。
甘い。かすかに苦味も感じる。そして、カレーの辛さに絶妙に合っていない。なんだこれは。例えるならばそう、これは粉末ココアの溶け残りのような──。

よくよく目を凝らしてみれば、カレーよりもなお色味の深い焦げ茶色が点々と沈んでいて。

「……なん入れたん、これ」

さながら不正解と分かりきった設問の自己採点をするような心持ちで、そう問うてみる。

「チョコレートをな、入れてみたったい」と父親は語った。

「次からはやめてね」と僕は言った。


またある日のこと、父がカレーを作った。

盛り付けられたそれを見て、僕は思わずぎょっとした。

なにやら見慣れない具材が入っている。そのくせ既視感はある。
生物の資料集で見た気がする。そうだ、あれだ──「ニューロン」
いや待って欲しい、なぜカレーに神経細胞が浮いているのだろうか。

首を傾げている僕に、父は告げる。

「今回はな、バナナを入れてみたったい」

輪切りにされたバナナ──その果肉が溶け落ちて、芯だけが残っているのだった。

「見た目はともかく、悪くはなかな」
どこか満足げに父は笑った。

「悪くはない」
超甘口のカレーを飲み下して、僕は苦笑した。
「……けど、もうバナナはやめてね」

それからも、父が言うところの「挑戦的なカレー」を幾度となく腹に収めた。鰹節をふんだんに使用した和風カレーなんてのもあった気がするが、残念ながら僕の好みには合わなかった。

もともと、父はつくることが好きな人だった。

これと見定めたものには惜しみなく労力と時間を投入し、心ゆくまで凝る。
趣味のガーデニング、それから革小物の手芸。そして、それなりのものを仕上げるようになる。その「作品」は、息子の贔屓目を抜きにしても、素直に「すごいじゃん」と思えるものだった。

そういうわけで、僕は父になんだかんだで信頼を寄せていた。

父親お手製のクセが強いカレーは、しかし、わがままな息子の度重なる苦情……もといフィードバックを得て改善がなされていった。

そうして、高校2年生の頃に、父のカレーは完成をみた。
カレールーは辛口、肉はサイコロステーキ系、そこへ数種類のスパイスを添加する。辛口以上・激辛未満のそれが、三代目の我が家のカレーになった。


その後、僕は東京の大学へ進学した。

長期休暇の折に帰省してみれば、実家の冷蔵庫には必ずといっていいほどカレーの大鍋が入っていた。主食としてはもとより、小腹が空けばおやつ代わりに食べていた気がする。地元の友人の家へ泊まりで遊びに行き、翌日帰宅するとカレーがいつの間にか補充されていたりもして。

それから更に月日は流れ、僕は東京で就職した。

久しぶりに帰省したその夜、父が尋ねた。

「晩ご飯、何にする」
「カレーでよかよ」
「カレーか……」
 渋い顔をしながら、父はつづけた。
「ちょうど切らしとるけんなぁ……作るの面倒くさかけん、なんか出前でもとろうかと思ったっちゃけど」

──我が家のカレーが、ない?

当てが外れた僕は、内心ひどく慌てていた。父がカレーを作るのに乗り気でなさそうなことも分かって、なおさら焦った。作るのが面倒くさい。分かる。僕も大学生になってようやく実感できるようになった。自分の場合、大学進学を機に一人暮らしを始めてから自炊をするようになったけれど、その面倒くささゆえに結局はコンビニや出前で済ませるのが常だった。社会人になって以降、その「面倒くささ」はいや増すばかりで、週5で牛丼屋のお世話になることも珍しくない有様である。

でも──いや、だからこそ。

「カレー “が” ……いい、です」

神妙な面持ちで、僕は頼んだ。
仕方がないな、と父は苦笑した。

***

一応のところ、僕ももう「四代目」を名乗ることはできる。
三代目のレシピはずいぶん前に教えてもらったから、精度はともあれ再現はできるだろう。
ただ、そのお披露目はまだまだ先でいいかなと思っている。

単なる僕のわがままだ。
末永く三代目のお世話になりたい、というだけで。
「俺の」ではなく、「父の」──三代目の辛いカレーに、甘やかされたいのだ。

あす、実家に帰省する。
母の十七回忌が、あさってに控えている。
実家の冷蔵庫に控える「我が家のカレー」の大鍋に思いを馳せながら、キャリーケースに荷物を詰めている。

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