【体験記】本当に母が死ぬ日①~幕が上がる時
ある日の事でした。
母が突然血相を変えて、私の元へとやって来たのです。
「私、殺される……!」
それは、母が本当にその命を終えるまでの「人生の総まとめ」開始の瞬間でした。
もちろん、当時は誰もそんな結末を知るはずもなかったのですが……。
そして、その日から母と共に、母を取り巻く私たちの闘いが始まりました。
※この記事は、2014年発売のKindle書籍
「本当に母が死ぬ日~母は、その「時」が来るのを知っていた。」
に加筆し、再掲載したものになります。(Kindleではunlimitedで読めます)
noteでは第1~2話が無料、第3~6話を有料マガジンとして公開させて頂きます。
無料部分だけでもぜひ、お読み頂けましたら幸いです!
chapter1:幕が上がる時
母は私の父と離婚後、数年して別の男性と再婚していました。ですが、実はその男性からずっと暴力を受け続けていたのです。
当初は身体的に加えられていた暴力でしたが、その頃になると、心に深くダメージを与える「言葉の暴力」へと変わっていたようでした。
激ヤセし、日に何度も電話をかけてくるようになった母
再婚後しばらくして心身のバランスを崩した母は、それからずっと精神科に通院していました。
その当時、私はそんな問題が背後にあるとは知らず、更年期や環境の変化で精神的にもバランスを欠いてしまったのだと思っていました。
母の状態はかなりひどく、目は虚ろで体重37キロという急激な痩せ方。
「障子の穴から誰かがずっとこっちを見ている」
「仏壇からヒソヒソと話し声が聞こえる」
「この手は私の手じゃない、違う人の手みたいに感じる」
――など、妄想とも取れるつぶやきを繰り返すようになりました。
そして毎日私たち姉妹に電話してきては、
「今日の晩ご飯は何にしたらいいかなあ……」
「お味噌汁ってどうやって作るの?」
それを一日に3回も4回も繰り返すのです。
とうとうしまいには、親戚や近所の家にも電話するようになりました。
心身不安定状態に陥り、ついに自殺未遂を犯してしまった
「これは……尋常じゃないね」
母は、元はといえば料理屋をやっていた、いわば料理のプロ。
ですからお味噌汁だの献立だのに悩む事は、あまりに考えられない事でした。
私たち姉妹は相談し、母を温泉療養に行かせる事にしました。
もちろん再婚相手(今後はA氏と呼びます)は大反対しましたが、私達は母のこの状態にも関心を示さないA氏に不信感を持っていたので、そこから母を離した方がいいと思ったのです。
強引に温泉施設まで送って行く算段を取り付け、強行突破しました。
ところが、母は滞在先でもうどうにもおかしな精神状態に陥り、このままではまずいという事でほんの二日で帰宅する結果となってしまいました。
今ならその理由が、母が精神的にギリギリの所まで追い詰められていたからこそ「崖っぷちに立つ事で成り立っていた日常のバランスを壊してしまった」せいだと分かるのですが、
その当時はほとほと困り果て、もはや成り行きに任せるしかなくなっていました。
かなり後になって、母はこの帰宅後、自殺を図っていた事を私に明かしました。
実は、この時母は「本当に一度死んでしまった」のではないかと思うのです。
死んだはずなのに、また戻されてしまった――いわゆる臨死体験のような出来事があったのではないかと私は思っています。
それから数年後、いよいよ「人生の総仕上げ」の幕が上がる
不思議な事に、その温泉療養から帰宅後しばらく音沙汰がなかった母は、
あれほどおかしかった精神状態が嘘のようにピタッと消えて、元の明るい状態に戻っていました。
もちろん当時は、この期間に自殺を図っていた事など知る由もありませんでしたから、それはそれで安堵したものです。
しばし、平和な日々が流れていきました。
母が私の元へ逃げてきたのは、それから数年の後の事。
そして母は、二度とA氏の元へ戻る事なくこの世を去って行きました。
この最後の時に、母の人生を間近にいてつぶさに見せられた事は、私にとっても必然だったと思います。
誰の人生にも「必要な時に必要な人が必ず現れる」ようになっているものですが、
母の人生にとっては、そのポイントとなる場所に私が立ち会う事に、どうやら筋書きがされていたようで……。
人生の仕組みの不思議。こればかりは、宇宙の采配に頭が下がる思いです。
chapter2:死の淵に立って思い出すこと
母の自殺未遂を、私はかなり後になってから聞きました。
湯治場から帰宅して数年、A氏の暴力がいよいよひどくなり、真剣に離婚を考え始めた母が初めて暴力と自殺の事を私に打ち明けたのです。
我が家に逃げてきた母が明かしたこと
A氏の暴力がずっと続いていた事、帰宅して実は自殺を図っていた事、そんな話をしながら、母は死の淵に佇んだ事にも触れました。
「ちゃんと死ねたと思ったのに、気が付いたら普通の生活に戻っていた」
その間の記憶は、実はほとんどないそうです。
病院に運ばれた事も退院した時の事も、うっすらとしか覚えていなかったそうです。
なので、TVや本のような劇的な臨死体験のドラマをここで描く事は出来ません。
でも、現象としての不思議さなんてどっちでもいいと思います。
重要なのは、死に臨んだ人が「まだ必要があってここに生きている」事の方なのですから。
母は「何もかもがきれいに見えて、スーッと力が抜けて笑いたくなった」と言っていました。
当時、元気になったその姿は清々しくさえありました。
「私は人生で二つ、大きな間違いをしているって分かって」
「どうしてそんな事分かったの?」
「突然、分かっちゃって……死にかけて、気が付いたらもうその事は分かってた」
「今までの記憶がいっぺんに戻ってきてね。もう全然覚えてもいなかったような事が、こんなに今の私に影響しているんだってびっくりした」
「忘れていたけど、私にはずっと隠していた秘密があった」
「死の間際に人生を振り返る」のはどうやら本当らしい
母が語ったこれらの言葉に何かの本で読んだことを重ねてみると、
人間が『死の際に自分の生きて来た人生を振り返る』というのは本当なのかもしれません。それも瞬時に、気が付いたら全部がいっぺんに分かっていたみたいな感じで。
ある一つの事柄が、見えない所であちこちに影響を及ぼし合っている。
それは例えば弱者に対して加えられる、その時はそれで終わってしまったかに見えたひどい抑圧が、「誰かの心をねじ曲げ、そのまた誰かへと吐き出されるストレスとして伝播して行く」ようなイメージが浮かびます。
死の際に立った人は、そうしてこれまでの人生の在り様を一瞬にして見せられ、はっきりと知る事になるのでしょう。
生きてきた世界の中で、どんなに言葉をこねまわして他人に「自分を弁護」して見せていたとしても、ここで知るのは「神様だけが全部見ている、本当の自分の姿」だと思います。
他人だけでなく、自分の心ですら「これが正しい」という間違った思い込みによって騙す事は可能なのかもしれません。
けれど、神様の目を欺く事は決して出来ないと思うのです。
不思議な事に、しばらくした後でその話の内容をもう一度尋ねたら、母はその事をすっかり忘れてしまっていたのです。
内容どころか、思い出したという事実すら完全に忘れていました。
「え?そんな事あったっけ?」と言う母に、私は本当にびっくりしたのですが……。
それは母の死が訪れる日の、数か月前のこと。
死にかけて知った人生の課題を「再び忘れる」必要があった?
今にして、私はこう思うのです。
母は入院中、肉体をこちらに置いて、魂はしばし天の世界へと還っていたんじゃないかと。
傷付いた羽を休め、心のパワーを充電して、再びここへ意を決して戻ったんじゃないかと。
そう――戻ってきた母は、元気のパワーをいっぱいにチャージしていた。
それは、これから取り組む事になる「人生の課題の総仕上げ」の時期が近い事を、どこかで知っていたからなのではないでしょうか。
課題は、答えを知っていたら本当の実力は身に付きません。
母はあちらで思い出した答えを、取り組む直前には知らないでいる必要があった…… だから、私に語った内容をすっかり忘れているという、おかしな事が起きたのではないでしょうか。
思い出したという、この「二つの間違い」を再び忘れ、実際に母がどうやってそれを克服し課題を果たしていったのかは、また追々お話して行きましょう。