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これは、東京都のはるか南の海に浮かぶ奇跡の島、八丈島。そこにある海の見える野球場に導かれた一人の若者が島の知り合いゼロ、仕事も未決定の状態で生まれ育った都会から島へ移住した。島という特殊な環境での生活。大自然の中で起こる都会とは違う経験。数々の制限や逆境。その主人公が東京都唯一の離島単独硬式高校野球チームの助監督になり夏の大会で奇跡を起こすまでの物語。現役島在住高校野球助監督本人が綴る、離島で無職から始まるストーリー!



「ハチジョウのキュウジョウ」

~あの時、真っ直ぐな目で「勝ちたいです」と語った島の高校生にこの物語と感謝を送る。~

これは奇跡の島の球場に導かれた野球選手の僕の事実のストーリーである。


第一話 「球場」


突然だが、僕の一番好きな映画は「フィールドオブドリームス」(1989)だ。
 ちなみに「名探偵コナン黒鉄の魚影」はもちろん大大大好きで特別な映画なのだが、僕に影響を与えて人生の軸となっているのは「フィールドオブドリームス」である。
 不思議なことにこの映画僕が生まれた年の1989年に公開しているのだ。
 

 主人公がアメリカの自宅のトウモロコシ畑で聞こえた謎の声。「それを作れば彼がやってくる」という声を聞き、野球場を作ると不思議なことが起こり伝説の選手がやってくる名作だ。
 僕は野球を見ることよりも特に自分自身がプレーするのがとにかく大好きな人間なので、いつか家の隣に映画のように野球場を作って毎日野球をしようと考えていた。
 大学生くらいの時は真剣に北海道の南東に牧場と家を買って牧場の一部に野球場を作ろうと真剣に計画し住み込みで働いていた時期があったくらいだ(人間より牛の方が圧倒的に多い地域だったので、試合を開催したら牛は18頭すぐに集まるけど野球する人が集まらなそうだった)なので諦めて東京で就職し週末多摩川の河川敷の野球場で野球をしていたのが僕だ。

 そんな映画みたいなロマン溢れる野球場を作ろうとしていた僕がまさか「それを作れば彼がやってくる」の「作る側」ではなく、「やってくる」方の”彼”になるなんてこの時は1ミリも想像していなかった。


~~〜〜
 全方位水平線まで何も視界を遮るものがない青い大海原の上に僕を呼んだその野球場は突如浮かんでいた。

 空から風に乗ってきた波の音が聞こえてくる。
 
 今日は風が穏やかな日で気持ちの良い日差しが優しく体を温めてくれる。これが「常春の島か」そう表現するのに最適な空気が無限に吸い放題で体の周りを包んでいるような日だった。

 スパイクを揃えて立った僕の足元には真っ白な長方形のプレートが土の山の上に埋まっている。ここは野球場の真ん中にあるピッチャーマウンドの上だ。

 その周りの地面には綺麗な緑色の人工芝が果てしなくフェンスまで続いている。僕は気持ちを落ち着かせるためにゆっくりと深呼吸をしながら周りを一周確認する。

 ライトのポール側の向こうには海の上に浮かぶ無人島八丈小島が大きく見えている。ライトスタンドでファンの応援団ではなく、無人島が野球観戦しているスタジアムを僕は八丈島以外で知らない。八丈小島がある方角は西側なので、夕方にはその島の横に真っ赤に輝く夕日が沈んでいく。
 
 センターには巨大な黒板みたいな濃い緑色の鉄製のバックスクリーンがある。時間になるとその上空から突如ジェット機が現れて、大谷翔平が思いっきりフライを打てば当たるんじゃないかというくらいの高さをダイナミックに飛んで、試合中の球場の上空を通りそのまますぐそばにある空港の滑走路に着陸する。
 
 レフトフェンスの向こう側は海だ。耳を澄ますとザブーンと波が南原千畳敷の溶岩に当たる音が聞こえてくる。こっちの方から風が吹いてくる日は音が聞こえる気がするが、外野からバッターに向かって風が吹くのでホームランが押し戻されて出にくい。僕たちピッチャー側からしたらありがたい味方の風なのだが。

 そしてホームの後ろには観客席のスタンドがあり、その後ろに大きな八丈富士がそびえ立っている。形が本物の富士山と同じように美しい山だ。
 ぐるっと一周マウンドから見渡して上を見る。空は新品の高級な絵の具で塗り立てのような美しい青で宇宙まで見えそうな透きとおった空だ。「そりゃビルも高速道路も工場地帯もなくて周り全部海だからなあ」都会では見たことない空から降り注ぐパワーを一番受け取れる場所。野球場のグラウンドで一番高い場所。このマウンドにあの時、僕は立ちたくなったんだ。
 ついに実現した島の試合で今一つ、夢を叶えている。

「さあ。三振狙うか」

 僕は右手に力と並々ならぬ気持ちを込めてボールを握りしめて、大きく振りかぶった。
 グローブと共に高く掲げたボールは宇宙からでも見えそうなくらいに輝き、勢いをつけたフォームからバッターに向かって投げ出された。
 ボールは外野の海から吹く風に乗り加速する。バッターも風に負けまいと渾身の力でバットをフルスイングしたが、振ったバットの上を通り越しキャッチャーのミットに音を立てて飛び込んだ。

「ズバン!!」

「ストライク!アウト!!」

マウンドの上で僕の心臓が鼓動を上げていた。
「よっしゃああああああ」
これが僕が八丈の球場で初めて取った三振である。

海が見える八丈島の球場は「ヒューウゥゥ」と風の音を立てた。
それはまるで新たに野球が好きな人間がここにやってきたことを喜び、歓声をあげているかのようだった。
~~~


第2話 「都会での心情」 トカイデノシン”ジョウ”


「都会での心情」トカイデノシン”ジョウ”

 時を遡り、2021年8月。
 東京ではTOKYOオリンピックが開催され、盛り上がりを見せていた。
 
 僕は高校野球、大学野球そして大人の軟式野球の大会と野球選手を続けていた。
 さらに本格的に野球がやりたすぎて社会人になってからもう一度大学に入り直して野球部に入ったほどである。このように自身もずっと野球選手をやりながら、世田谷区で地域の母校の中学生の野球部をずっと手伝っていた。

 その話の作文を五輪聖火ランナーの募集のコカコーラのキャンペーンにたまたま応募していたことで聖火ランナーに選ばれていた。地域のスポーツに貢献した人やスポンサーの偉い人やアスリートや俳優などいろんな人が選ばれていて、もしかしたら有名人から聖火を受け渡ししてもらえたりするかもしれないとめっちゃワクワクしていた。
 ご存知の通り、本当なら2020東京オリンピックとしてやる予定だったがコロナの影響で1年開催がズレたため、聖火ランナーに当選した人たちもそのまま1年待っていた。貢献した地域として世田谷区を走る予定になっていたので、「世田谷区の野球場の近くを走るのかな」なんて想像していた。

 世田谷区にも野球場はいくつかある。多摩川の河川敷のグランドは、雨が降るとすぐぐちゃぐちゃになって使えなくなったり、台風が来ると川が氾濫してバックネットが流されて無くなったりする。
 実際に2020年の一年間は何個かのグランドが流れてきた砂で埋まり、バックネットの再建設もあって使用不可能になっていた。おそらく東京には人口が多く週末野球をする人たちが多いが、野球場の広さを取れるスペースは河川敷くらいなので、ある意味しょうがない状況なのである。
 東京の他の地区の大田区、江戸川区や墨田区のようなところもおそらく同じような状況だろう。その他には公園についている球場もある。小さめで危険防止のために高いネットに囲まれていたりはするが、河川敷よりも少し立派である。その分、使用するには人気が高く、使用料金が高いのに2時間使うのに50倍や土日のいい時間だと100倍以上の倍率の抽選に当たらないと使えない状況で、せっせと毎月抽選に申し込んでいたのだ。
 さらに高校野球の予選で使うような観客席付きの球場やその上に神宮球場や東京ドームといったプロ野球が使う球場が存在するが、そこまで行くともう雲の上の存在である。
 東京の野球場事情はだいたいこのような状況で、限りある公園や河川敷の球場を、小学生から大学生、草野球のチームが奪い合っている。


「一生に一回くらい東京ドームや神宮を草野球の仲間で貸し切って試合できたらいいね。」

 なんていつ実現するかもわからない話を毎回しながら草野球の後にご飯を食べる週末が日常で、それでも僕は幸せだった。
 母校の中学の野球部で教えた後輩を中心に自分たちで世田谷区に新たな球団「ハヌマンズ」を立ち上げで世田谷区の100チーム以上参加するトーナメント戦に参加していた。
 地元の世田谷区出身者で構成されていたチームだが、中学野球までしかやっていないヤツ、長い間野球から離れていた人なども多くいて決して強豪メンバー揃いのチームではなかったが、僕がピッチャーで主将として練習会を開いたり、人数を集めたりし、少しずつみんなで奇跡を起こし、
結成3年目に世田谷区で優勝し世田谷区の代表チームに選出される球団にまで成長した。
区の代表になると次は東京都の大会に出場となり、各23区や市、の大会で代表となったチーム同士が戦うトーナメントに進めるのだ。渋谷区や港区なんか強そうだし、気合が入った地区も多い。西東京の方から来るチームもある。

この時の僕は、このトーナメント表に、東京都に含まれる”島”から参加するチームも参戦していることは全く目に入っていなかった。

トーナメント表をみるとたしかに参戦していた。この大会に向けて万全のチーム練習を行っていたが、悲しいことにこの2020年の都大会はコロナの影響で中止になってしまった。僕らの球団の初めての都大会は流れ、幻の世田谷区代表となったのだ。



【第3話】「1K8畳」ワンケーハチ”ジョウ”


 そんな東京の大都会で

「自分専用の野球場があったら最高だな。」

というかつての思いを語っても誰もが

「無理だろ。」

と即答されるのが、大人になり現実を知るとわかってきてしまう。

 実際、企業に勤めている今の給料では、野球場を貸し切るどころか、都会で急行の止まらない駅の近くで築年数の古い”8畳の1K”を借りるのが精一杯であった。
 この部屋を不動産屋と内見に行った時、マンションの1階の部屋でベランダのところに小さな小さな芝生の庭みたいなスペースがついていることにとても喜んだのをよく覚えている。ここで試合やキャッチボールをするなんてドラえもんのガリバートンネルやスモールライトがないと不可能である。が、「ここならバットの素振りできるかも」なんて喜んで予算より少しオーバーしていたが、この部屋を契約した当時の僕がいた。

 そんな日々を過ごす中で、東京オリンピックの聖火ランナーの日が来た。結局沿道に人が集まることがコロナ対策的に良くないとのことで、世田谷区の道路を走ることはなくなり、特設会場内での聖火の受け渡しセレモニーの形になった。聖火のトーチを貰って火の受け渡しを行った。結局僕が火を受け渡したのは有名人ではなく名も知らない中学生だったのだが、彼が将来大物になると信じよう。そして僕の受け渡した火はその後、元メジャーリーガーの上原浩治選手や、松井秀喜、王貞治、長嶋茂雄が受け取り聖火ランナーをやったので間接的に野球界の伝説の名選手のリレーに加わったことがとても誇らしかったのを覚えている。

聖火ランナーのマラソンは毎日ダイジェスト番組として今どこを走っているのか放送されていた。自分が映るか楽しみに毎日見ていたので「今、東京に来た!」、「今日はどこだ?」と追いかけていたが、
この時、東京の離島でも聖火ランをやった日があった映像はなんとなく流れで見た記憶はあったが、特に意識もしないで通り過ぎて行った。
この時を振り返ると、おそらく多くの人にとって、あるのはなんとなく知っているが具体的には意識していない。これが東京の離島の立ち位置なのかなと感じるのである。

オリンピックの開会式も無事終わり都会の猛烈な暑さの中、エアコンの効く部屋に隠れていた夏、競技の観戦チケットも運良く当たっていて新国立競技場に行きたくてワクワクしていた。のにもかかわらず、これもコロナの影響で無観客開催となり、チケット代金が返金されたのだ。
テレビでいろんな競技の中継を見ながら僕は過ごしていた。


 生まれた時から東京にいて、これからもずっと東京で暮らしていくんだろうなとなんとなく考えていた。家から一番近い小学校に行き、その隣にある中学校に行き、家から自転車で行ける高校に行った。
 大学までの満員電車が嫌いすぎて絶対に満員電車に乗らなくて済む場所の職場に就職しようと考えていたが、気づけば満員電車に乗って通勤していた。
 人がギュウギュウに押し込められた電車やバスに乗るのは明らかにおかしいことだと思っていたのに、いつのまにかどこに立てば押しつぶされないのかをマスターしていた。

日本は少子化が進んでいるというが、電車やバスに乗り切れないくらいめっちゃ人間がいる。なので、少し人間が減った方が乗りやすくなってちょうどいいんじゃないかと、潰されて苦しそうな中学生なんかみると思ってしまう。それでも少し混んでることが不満なくらいで特に不便な点もなかったので、東京ではないどこかで暮らすことは想像もしていなかった。むしろ予想もしない地方に転勤になるような仕事だけは避けて就職し、ずっとこの地域で地元の仲間といつもの場所で野球をして暮らしていくんだろうなと思っていた。

東京オリンピックに向けて新しい建物や駅が進化していくのは特別感があって楽しかったしきっとこんな機会はもうないかもと思いながら、その状況の中で東京に住み、オリンピックでの盛り上がりに遠くでつながっている仕事ができていることに大きな不満もなかった。仕事にも慣れてきて自分が新人の時にやっていた仕事を後輩に教えたりすると、誰にでも代わりは務まる仕事をしてるんだよなと感じずにはいられなかったが、それを割り切るのがオトナなのだ、みたいな空気があった。納得はしていなかったが、そんなものかと思いながら週末野球ができて楽しければいいと思って過ごしていた。



そんな状況の夏。
僕はエアコンをドライで弱く効かせた少し暑い実家の8畳の日本間のたたみの上にいた。

そこでなんとなくスマホで検索していた。

すると僕の右手の中に突如、流れ星のように一枚の野球場の写真が表示された。

なんのワードで検索していたのか、SNSの誰かの投稿だったのか、忘れた。「絶景_野球場」かもしれないし、「メジャーリーグの野球場」を調べていたら関連画像で出てきたのかもしれない。とにかく、その写真が衝撃的すぎて、なんで出てきたのかの過程は吹っ飛んでしまった。

今となっては未来の技術でその時のスマホに未来の自分から飛ばされてきた写真なのかもしれないと思っている。とにかく運命だったのだ。

そこには青い海と海沿いに存在するめちゃくちゃ綺麗な野球グランドが存在していた。
今まで国内のプロ野球の球場やアメリカに行ってメジャーリーグの球場も何箇所か現地に見に行ったが、この写真の野球場は衝撃的すぎた。外野のすぐ外が海になっていてホームランを打てば海に落ちそうな海岸沿いに存在している。サンフランシスコジャイアンツの本拠地などホームランが水に飛び込みカヌーでホームランボールを追いかける映像など見たことがあるが、この写真のスタジアムの方がスケールはもっと大きい。

この写真を見た瞬間頭に電撃が走り、
出てきた感想は「絶景だな」や「美しい」なんて単語ではない。


「このマウンドに立ちたい!!」


まさにその一言だった。

そこから行動に移すのに、息継ぎもしなかったのをよく覚えている。



【第4話】“まさかあるのか飛行場”


とにかくワクワクしていた。
ここで投げる瞬間を想像したらワクワクしていた。
その瞬間を実現するために突き進んでいこうと心の羅針盤は方角をはっきりと既に示していた。

で。まず、この球場はどこなんだ。

こんなマンガみたいな、ゲームのフィールドのような野球場はどこにあるんだ。
「きっと世界中のどこかのリゾート地の海岸線にならあるのかもしれないな」
と僕の第一印象だった。

そこから画像検索や先程の写真の情報から場所を特定するまでたいして時間はかからなかった。
僕はとにかく調べるのが得意な特殊能力があるのだ。
そして運命のキーワードにたどり着いた。

”この球場は八丈島にあり~”

そう

”八丈島”

「ハチジョウジマ??」八丈島ってなんだ。どこだ。

すぐさま八丈島を調べる。

「えっ!日本だ。」
「ええっ!しかも東京都だ。」

驚いた。しかし謎すぎる。

僕の中でのこの時点での八丈島との関連した知識としては

「スネ夫の別荘のある島のモデル」のみである。

ドラえもんにスネ夫の別荘がある島として「四畳半島」という漫画内の島がたびたび登場し、夏休みにジャイアンとしずかちゃんをつれて海に遊びに行くのをのび太くんが羨ましがる。みたいな話が何度か登場するのだ。
これも僕が早稲田大学ドラえもん研究会に入っていたレベルでドラえもんに詳しいので、パッと四次元ポケットから引っ張り出してくるように出してきた知識なのであって、おそらく釣り好きでもない普通の一般的な人は八丈島と言っても関連した知識が皆無の状態なのかなと予想するに容易い。

さらに僕は八丈島について検索していく。

真夏の都内の8畳の日本間から僕はあらゆる情報にアクセスしていた。
古いエアコンを動かしているとはいえ最近の東京都内の夏の暑さは異常で畳に汗が落ちそうになっていた。

暑さのせいなのか、こんなにも検索して出てくる結果を待ち侘びてワクワクすることはないほど興奮しているからなのか、調べている間は畳が揺れていそうなほど心臓が飛び跳ねていた。

次に
島の場所を地図のアプリで表示してみる。

「とおおおおおおおおぉ!!!」

めっちゃくちゃ遠い。想像の何倍か遠い。
東京都の島っていうと、東京湾の先、関東地方の沖に浮かんでいるイメージがあるが、

八丈島は違った。
正確にいうと八丈島”だけ”は違った。

伊豆諸島として関東地方の南に複数の島が連なって浮かんでいる。そのシリーズの中の一つの島として八丈島もラインナップされているのだが、地図を見てみると八丈島だけが一つ飛び抜けて南にポツンとあるのだ。

普通の人ならこの位置情報を知った時、ここで遠いことを嘆き、重い腰がより重くなって、動かなくなり行動を起こすことが遠のくこともあるだろう。

しかし、僕はむしろめちゃくちゃワクワクした。

完全にRPGのマップで裏技でしか行けない”隠しステージ”を見つけた時の気分だ。
「こんなに日本の南に遠く離れた小さな島に、あの美しい球場があるとか奇跡だろ!!」

面白すぎる。

もう地球上はGoogleマップとGPSに調べ尽くされて、ネット上に出てくる有名観光地以外は特に何もないフィールドと住宅街が広がっているだけかと僕は思い込んでいたが、現実にはまだ”隠しステージ”が存在していた。しかも日本。しかも東京都だし。灯台下暗し。ホントに隠しステージ。

これから連載されるであろうルフィがONE PIECEのお宝が隠された島の情報にたどり着いたシーンの時の感覚に近いかもしれない。ワンピースが眠る最後の島「ラフテル」は八丈島なのかもしれないと、本気でこの時の僕は想像していた。

いくしかない。

楽しいことを調べていると時間はあっという間に過ぎて夜になった。
そこでさらに不思議な面白いことが起きる。

毎日見ていたNHKの天気予報に「八丈島」が登場したのだ。

うそだろ。
目を疑った。

1週間の天気が3段になって並んでいる画面で

関東北部 前橋
関東南部 東京
伊豆諸島 八丈島

なのだ。
うそだろ。
3列しかないのに、1列八丈島になってる!!!

これは僕のテレビだけに起きている現象じゃないはず。
この小説を読んだあなたのおうちのテレビも今日から1列八丈島の天気が表示され始める現象が起きます!!!

例えばドラクエなどのRPGの世界だったら、特定の村人から新しい街のヒントの話を聞くイベントが起きた後に、初めてマップ上の選択肢にその街が出てくる。なんて現象はよくあるんだけど。現実のテレビで起こったぁぁ!!と思った。

もしかしたら、というか当然、以前からその列には八丈島の天気が存在していたし、関東地方の天気が地図で出る画面でも右端に八丈島がずっと出ていたのだが、人間は知らないと視界にも入らないのだということをこれでかなり実感し、学んだ僕だった。

知識とはこの世に見えているものを増やすのだ。
知っているとはいろんなものが見えるということだ。
世界の解像度があがるというか、
知らないと存在している素敵なものを見落とすのだ。


テレビのお天気ニュースは僕がこの夏の日に八丈島を知るという
運命の日までず~っと、
気がつく日までず~っと、
そこに八丈島という表示をこっそり出して放送し、待ち続けていたのかもしれない。
お待たせしましたお天気担当のお姉さん。僕は今日見つけましたよ。八丈島を。

それにしても人口6900人の島の天気予報に1列使ってくれているのは贅沢である。
関東北部、関東南部の天気を必要としてる人はその何倍いるというのか。
ピンポイント情報すぎるぞ。やはりなにかお宝があるのか。

これだけでもかなりびっくりする程、僕の世界の解像度が上がって見えた世界が広がったと思った。

だがしかし、ここで終わらないのが八丈島。

次についに僕は八丈島への行き方を調べ始めた。
この遠い不思議の島にはどうやって行けばいいのかを。

おそらくONE PIECEのようにはるばる船で旅をしないと辿り着けないのだろうと当然覚悟している。
隠しマップの島なんてそう簡単に行けないと相場は決まっているからだ。

以前に僕は小笠原諸島に旅をしたことがあった。
小笠原諸島の行き方は、1週間に1回しか出ない船に乗り24時間海の上を進み続けてようやく到着できる世界遺産の島だった。行くのも帰るのも大変だったが、とても感動したのを覚えている。そんなイメージだ。


「八丈島_行き方」
恐る恐る検索した結果は驚くべき情報だった。


「ANAで片道55分」


んんんんんんん!!!!!!なに!!!!!ええええ!!!

とんでけるの!!!!しかも1時間かからん!!!
しかもANA!!ANAってあの青いANAだよなぁぁ!!!

僕の中の大航海を覚悟していたゴーイングメリー号は空を飛んだ。あっという間に島に着いた。


この時、天気予報の画面と同じ現象が起きた。

東京都の空港一覧をみてみると、

東京(羽田空港)HND
東京(成田空港)NRT
八丈島空港   HAC

と3つ並んでいるのだ。
東京都の空港は羽田と成田だけだと思っていた。思い込んでいた。
ここに八丈島空港が現れているのだ。


まさか、あるのか飛行場。


夢の野球場とANAの飛行場があるめっちゃ遠い隠しステージの島。
八丈島に出会ってしまって僕の世界の見え方がこの日大きく変わったのだ。


5話に続く。

この後、知り合いゼロの八丈島への初上陸し、不安を菅田将暉のラジオへ人生相談したところからの怒涛の三年間。住む家決定。不思議なバイト。仕事決定。島の野球レジェンドおじいさんとの修行。島の大会での優勝。まさかのコナン映画がやってくる。そして島唯一の高校野球部の助監督就任。すべての物語が続いて行きます!お楽しみに!

終わり!



僕の島でのストーリーをもとに書いていきますので長くなるとおもいますが、ぜひ島に来たと思ってゆっくり楽しんで欲しいです!!




きっかけとなったnote #創作大賞2023 受賞作のこちらのnoteもぜひ!


サポートもぜひ!

八丈島からがんばります!!