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移住するのに5年以上かかった理由(後編)

長女の病気が落ち着いた一方で、私の心身の状態は最悪の状態となり一時休暇をとることに。

長女が骨髄移植を行った、2020年夏頃の私は以下の状態に置かれていました。

  • (仕事)コロナで会社業績が低下/停滞。ベンチャー企業の管理職だった私は、新規事業を立ち上げるも事業成長はせず。既存事業のマネジメントもままならなくなる

  • (家族)長女が長期入院になるため妻と交代しながら、付き添い対応

  • (家族)付き添いがない日は、長男・次男の家事・育児

  • (家族)そんな中で4番目となる次女の臨月

本当は妻が一番大変だったかと思うのですが、(情けないことですが)私の方がまいってしまい、長女が無事退院/次女が産まれ、緊張の糸が切れた瞬間に仕事を行うことができなくなり、たまっていた有休を全部利用し、会社を休みました。

この休暇期間が非常によく、自分の気持ちを見直すいいきっかけとなりました!

休暇中は、大学時代の恩師の家(大きい旧家)で、昼は農業、夜は囲炉裏を囲んでの会話をしたり、子どもの頃から好きだった八丈島に行ったりして好きなことをして過ごすうちに、自分なりの条件が見えてきました!

  • 子どもと思いっきり遊べる環境がそろっていること

  • 行政・観光・買い物など生活がひとつのエリアで完結する事

  • 温泉/釣りにお手軽に行くことができる場所

  • 心が落ち着くところ(超感覚的)  等々

こういう環境を探すために、土日や連休を利用し家族と日本中を見て回りました。
北海道/福島県/栃木県/静岡県/福井県/淡路島/香川県/福岡県/佐賀県 等々

条件を整理した表

場所の選定基準は、以前遊びに行き良いイメージがあった場所や、親せきや親しい知人が住んでいる場所。次男がうどんが好きだから・・・昔住んでいて、いい場所だったから、、、等々

当然ですが、上記の表の評価はみんなに当てはまるものではなく、
例えば釣りのしやすさという項目も「釣り場へのアクセス」「釣り場の混み具合」「よく釣れる魚の種類が自分の好みか」などかなり個人的な評価が含まれています。もちろん温泉もわたしの好みですし、落ち着くか否かに関しては知り合いの有無や過去住んでいた/訪問回数によって、大きく変わるので、こういう項目で考えてたんだな・・・というあくまで参考程度にというものです。

後悔の無いよう、思いつくままいろんな場所に行きました。その中でも
唐津市(佐賀県)と掛川市(静岡県)は最後まで悩んだ場所でした。

私から見た唐津市:仕事で3年間過ごした福岡は、ご飯はおいしく、生活に必要なものがコンパクトに収まっている都会でありながらも、人のいい理想の場所でした!!ただしもう少し自然の多い環境で子育てをしたかったので、電車や車で1時間程度離れた、佐賀県唐津市。電車からみえる海岸線がすごくすてきな場所で、大学時代の友人もいて下見もしましたが、好きな雰囲気の町でした。

私にとっての掛川市:大学の恩師の実家で、大学時代から遊びに行っていた掛川市の農村も検討をしていました。会社を休んだ2020年年の年末に恩師に相談をしたことで1年間、週末を利用してほぼ月に1・2度宿泊をしながら、農村での暮らし体験をしていました。大きい古民家で五右衛門風呂と囲炉裏に昔ながらのかまどがある築年数100年以上の旧家での暮らしと、近隣の方々との交流は、本当に心が温まり、カブトムシを育てたり、ミカン狩りや川釣りなどなど。子どもたちも大喜びの経験でした。


囲炉裏・かまどに五右衛門風呂と古民家は子ども達にとって最高の学び場であり遊び場でした。


でもやっぱり、、、自分にとって、一番フィット感があった場所は、、、八丈島でした。

妻や子どもたちに「ごめん色々とめぐって、具体的に話をしていたところもあったけど、やっぱり俺は八丈島がいい」と伝えました。

妻も子ども達も特別場所へのこだわりがあるわけでは無かったという事もあると思いますが、「八丈島にしよう」と言ってもらえ、離島への移住とあいなりました。

振り返ってみると『行動は起こしていたけど、自分の気持ちや自分との対話が不足していた』ことに気づきました。

思い始めてから7年近くにわたる間、常に移住の事を考えていたわけではないのですが、「なぜこんなに、気持ちはあるのに行動は起こしているのに、移住できないんだろう!!」と悶々としていました。

今思い返すとそれは自分の想いを確認することなく、場所や家などハード面ばかりを気にしていたからだと思います。普通に考えればわかるのですが「◎◎県○○市や△△島に住む」「古民家(ログハウス)に住む」というのは、目的ではなく目的を叶えるための手段や環境。
「子どもたちと一緒に遊ぶ環境」「こういう生活がしたい」という欲求や目的の結果でしか無いはずです。浅はかな自分はそのことに気づかず、どこに(どのような家に)住むかということばかりを気にして、探し続けていました。

転機は移住する2年前。娘の病気やコロナ。自身の内省や対話を通して色々な気持ちを確認し、家族や親族に理解をいただき、八丈島への移住となりました。
もちろんひとりひとり状況は違いますが、私(我が家)はこのような経過をたどりました。移住や自身の環境を変えようと考えている方に、少しでも参考となればと思い、noteいたしました。最後まで読んでいただきありがとうございました!!

【ご案内】
移住を考えた時、移住先の情報収集や移住先の家・仕事についてなど移住先選定に向けての行動や情報に着目しがちですが、わたしが移住活動を行う中で一番大事だと分かったのは、「自分の気持ちを整理し、自身の欲求に素直になること/気付くこと」さらに「家族や親せき、職場など第三者に気持ちを知ってもらい、理解が必要な場合はそのコミュニケーション設計をどうするかということ」でした。

上記のことに悩まれている方はぜひ、私といちどお話ししませんか。
ご興味ある方は以下をご確認ください。


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